ユーロビジョン・ソング・コンテスト
ユーロビジョン・ソング・コンテスト (Eurovision Song Contest) は、ヨーロッパ放送連盟(en:European Broadcasting Union、EBU)に国営放送が所属する多数の国が参加して行われる、楽曲の評価会である。このコンテストは1956年に始まり、毎年1回、テレビ放送されて行われている。ヨーロッパ全体および世界の一部の国のテレビとラジオで放送され、インターネットでも中継されている。
概要
歴史
サンレーモ・ミュージック・フェスティバルを前身としている。最初のユーロビジョン・ソング・コンテストはEBUのマーセル・ベイソンが考案した。このコンテストはまたテレビの生放送の送信技術の限界をテストする目的もあった。
最初のコンテストは1956年5月24日に行われ、7か国が参加した。以後数十年間に、さらに多くの国が参加した。1990年代初頭の冷戦の終結により、多くの東欧諸国が列を作るようになり、参加国数は急速に増えるようになった。この流れは2005年現在も続き、ブルガリアとモルドバが新たに参加している。
順位決定方法
ユーロビジョン・ソング・コンテストでは、本選出場国が自国以外に順位をつけ順位に応じてポイントを付加し、ポイントの合計点によって順位が決定される。
各国の視聴者による電話投票と携帯電話のSMS(ショートメッセージサービス≒携帯電話のメール)の結果を元にその国の順位がつけられ、得点は1位には12点、2位には10点、3位8点、4位7点、5位6点、6位5点、7位4点、8位3点、9位2点、10位1点が付加される。
このポイントの決定方法には政治的要素が多分に含まれ、例えばギリシャとキプロスが毎回12点ずつ与え合っていること(両国は同じギリシャ語を公用語とする)、フランスでは必ずイギリスが10位以内にランクインしないこと(逆もまた然り)などが挙げられる。 近年もこの傾向は続き、最近の優勝国に北欧・旧東欧が多いのも一つの政治的要素の表れではないかといわれている。
各国の初参加年
- 1956年 - イタリア、オランダ、スイス、ドイツ(西ドイツ)、フランス、ベルギー、ルクセンブルク
- 1957年 - イギリス、オーストリア、デンマーク
- 1958年 - スウェーデン
- 1959年 - モナコ
- 1960年 - ノルウェー
- 1961年 - スペイン、フィンランド、ユーゴスラビア
- 1964年 - ポルトガル
- 1965年 - アイルランド
- 1971年 - マルタ
- 1973年 - イスラエル
- 1974年 - ギリシア
- 1975年 - トルコ
- 1980年 - モロッコ
- 1981年 - キプロス
- 1986年 - アイスランド
- 1993年 - クロアチア、スロベニア、ボスニア・ヘルツェゴビナ
- 1994年 - エストニア、スロバキア、ハンガリー、ポーランド、リトアニア、ルーマニア、ロシア
- 1998年 - マケドニア
- 2000年 - ラトビア
- 2003年 - ウクライナ
- 2004年 - アルバニア、アンドラ、セルビア・モンテネグロ、ベラルーシ
- 2005年 - ブルガリア、モルドバ
優勝アーティスト
年 | 国 | タイトル | アーティスト |
---|---|---|---|
1956年 | スイス | "Refrain" | リス・アッシア |
1957年 | オランダ | "Net Als Toen" | コリー・ブロッケン |
1958年 | フランス | "Dors mon amour" | アンドレ・クラヴォー |
1959年 | オランダ | "Een beetje" | テディ・ショルテン |
1960年 | フランス | "Tom Pilibi" | ジャクリーヌ・ボワイエ |
1961年 | ルクセンブルク | "Nous les amoureux" | ジャン・クロード・パスカル |
1962年 | フランス | "Un premier amour" | イザベル・オーブレ |
1963年 | デンマーク | "Dansevise" | グレーテ&ヨルゲン・イングマン |
1964年 | イタリア | "Non ho l'età (per amarti)" | ジリオラ・チンクエッティ |
1965年 | ルクセンブルク | "Poupée de cire, poupée de son" | フランス・ギャル |
1966年 | オーストリア | "Merci Chérie" | ウド・ユルゲンス |
1967年 | イギリス | "Puppet On a String" | サンディー・ショウ |
1968年 | スペイン | "La, la, la ..." | マシェル |
1969年 | スペイン | "Vivo cantando" | サロメ |
フランス | "Un jour, un enfant" | フリーダ・ボッカラ | |
オランダ | "De troubadour" | レニー・クーア | |
イギリス | "Boom Bang a Bang" | ルル | |
1970年 | アイルランド | "All Kinds of Everything" | ダナ |
1971年 | モナコ | "Un banc, un arbre, une rue" | セヴリーヌ |
1972年 | ルクセンブルク | "Après toi" | ヴィッキー・レアンドロス |
1973年 | ルクセンブルク | "Tu te reconnaîtras" | アンヌ・マリー・デヴィッド |
1974年 | スウェーデン | "Waterloo (English version) Waterloo" | ABBA |
1975年 | オランダ | "Ding-a-dong" | ティーチ・イン |
1976年 | イギリス | "Save Your Kisses for Me" | ブラザーフッド・オブ・マン |
1977年 | フランス | "L'oiseau et l'enfant" | マリー・ミリアム |
1978年 | イスラエル | "A-ba'ni-bi" | イズハール・コーヘン&アルファベータ |
1979年 | イスラエル | "Hallelujah" | ガリ・アタリ&ミルク・アンド・ハニー |
1980年 | アイルランド | "What's Another Year" | ジョニー・ローガン |
1981年 | イギリス | "Making Your Mind Up" | バックス・フィズ |
1982年 | 西ドイツ | "Ein bisschen Frieden" | ニコレ |
1983年 | ルクセンブルク | "Si la vie est cadeau" | コリンヌ・エルメス |
1984年 | スウェーデン | "Diggi-loo-diggi-ley" | ヘレイス |
1985年 | ノルウェー | "La det swinge" | ボビーソックス |
1986年 | ベルギー | "J'aime la vie" | サンドラ・キム |
1987年 | アイルランド | "Hold Me Now" | ジョニー・ローガン |
1988年 | スイス | "Ne partez pas sans moi" | セリーヌ・ディオン |
1989年 | ユーゴスラビア | "Rock Me" | リーヴァ |
1990年 | イタリア | "Insieme 1992" | トト・クトゥーニョ |
1991年 | スウェーデン | "Fångad av en stormvind" | カローラ |
1992年 | アイルランド | "Why Me" | リンダ・マーティン |
1993年 | アイルランド | "In Your Eyes" | ニアマ・カヴァナー |
1994年 | アイルランド | "Rock'n Roll Kids" | ポール・ハリントン&チャーリー・マゲティガン |
1995年 | ノルウェー | "Nocturne" | シークレットガーデン |
1996年 | アイルランド | "The Voice" | アイメア・クイン |
1997年 | イギリス | "Love Shine a Light" | カトリーナ・アンド・ザ・ウェイブス |
1998年 | イスラエル | "Diva" | ダナ・インターナショナル |
1999年 | スウェーデン | "Take Me to Your Heaven" | シャーロッテ・ニルソン |
2000年 | デンマーク | "Fly On the Wings of Love" | オールセン・ブラザーズ |
2001年 | エストニア | "Everybody" | タネル・パダル、デイヴ・ベントン&2XL |
2002年 | ラトビア | "I Wanna" | マリー・エヌ |
2003年 | トルコ | "Everyway That I Can" | セルタブ・エレネル |
2004年 | ウクライナ | "Wild Dances" | ルスラナ |
2005年 | ギリシア | "My Number One" | エレーナ・パパリゾウ |
2006年 | フィンランド | "Hard Rock Hallelujah" | ロルディ |
1969年は4曲が同点。同点のときのルールが決まっていなかったため、4曲が同時に優勝となった。
「スタ誕」としてのユーロビジョン・ソング・コンテスト
- コンテストは「お祭り」としての要素が強く、全体的に決して音楽的に高いレベルのものとは言えないが、このコンテストをきっかけにして有名になったミュージシャンも多数存在する。また、既に有名となったミュージシャンが出場した例もある。
*フランス・ギャル(1965年ルクセンブルク代表、優勝) *クリフ・リチャード(イギリス代表) *オリビア・ニュートン・ジョン(イギリス代表) *ABBA(1974年スウェーデン代表、優勝) *ジンギス・カン(ドイツ代表) *セリーヌ・ディオン(1988年スイス代表、優勝) *カローラ(1991年スウェーデン代表、優勝) *Brainstorm(2000年ラトビア代表、3位) *t.A.T.u(2003年ロシア代表、3位) *ヴァニラ・ニンジャ(2005年スイス代表、8位)
追記
- コンテストの本選参加国は24か国であり前年上位9カ国と"Big4"と呼ばれる4か国(後述)が無条件で本選に出場し、残りの枠については予選によって出場国を決定する。
- イギリス、フランス、ドイツ、スペインの4か国は"Big4"と呼ばれ、前年の順位に拘らず本選出場が可能である。これらの国はかつてコンテストをリードしてきたが(特にイギリスは80年代までほぼ毎年一桁の順位を維持していた)、近年は低迷している。
- 本選優勝国は次回のコンテスト開催国の権利をもつ。