1991年に国名を﹁アルバニア共和国﹂に改称した。アリアは経済の開放とともに政党結成を容認したが、国内の混乱を抑えられず、1992年の総選挙によって、戦後初の非共産政権が誕生した。民主化後のサリ・ベリシャ政権は、共産主義時代の残滓の清算や市場主義経済の導入、外国からの援助導入などを政策化し、国際社会への復帰を加速させた。しかし、市場主義経済移行後の1990年代にネズミ講が流行し、1997年のネズミ講の破綻で、国民の3分の1が全財産を失い、もともと脆弱を極めたアルバニアの経済は一瞬で破綻した︵アルバニアのネズミ講︵英語版︶︶。多くの市民が抗議のために路上に繰り出し、詐欺から国民を守ることができなかった政府への不満から暴徒化し、これによって政権が転覆し、無秩序状態となるという暴動が発生した︵1997年アルバニア暴動︶。暴動の発生を受け、暴動収束のための妥協案として同年中に総選挙が実施され、アルバニア労働党を前身とするアルバニア社会党が与党となり、一応の沈静化を見せたものの、未だ尾を引いているともいわれている。2005年9月の総選挙で民主党が56議席を確保し比較第一党となり、18議席を確保した国民戦線、4議席の環境農民党・2議席の人権党連合と連立を組んで民主党のサリ・ベリシャを再び政権に送り込んだ。社会党は42議席を獲得し、最大野党となった。
2007年の大統領選出は立候補がなく、5回期限が延長された。サリ・ベリシャは、大統領選挙を直接選挙制にすべきだとの声明を出したが、2007年の大統領選挙には間に合うものではなかった。社会党党首のエディ・ラマは総選挙を行った上で民意を反映すべきだとしたが、世論はこれを支持しなかった。
結局、民主党副議長のバミール・トピと社会党前党首のファトス・ナノ︵英語版︶が立候補を表明したが、社会党はナノを支持せず、欠席戦術を用いた。トピがいずれの選挙でも勝利したものの、得票数が定数に満たないために就任できなかった。また、第3回の選挙には、民主同盟党のネリタン・セカが出馬し、打開への期待からか票を得たものの、第4回の選挙では議会空転を終結させるため立候補を取りやめ、トピを支持した。その結果、出席90名、得票85票でバミール・トピは大統領に選出された。この後、ファトス・ナノは社会党を離党し、連帯行動党を結党した。
2009年4月28日、ベリシャ首相はプラハを訪問し、欧州連合 (EU) 議長国チェコのミレク・トポラーネク首相にEU加盟を申請した。2014年6月よりEU加盟候補国。
ラマ首相
国家元首は大統領で、任期は5年、議会における間接選挙によって選出される。大統領選挙の投票は最大で5回実施され、最初の3回は当選するのに6割の得票を要するが、以降は過半数でよい[10]。また、首相は大統領により任命され、閣僚は首相の推薦の下で大統領が指名するが、最終的に議会からの承認も得る必要がある。
鎖国状態から対外開放に転じた1990年代以降、先進諸国や国際機関との関係拡大を進めてきた。2009年に北大西洋条約機構︵NATO︶に加盟し、EU加盟を目標としていた。フランスやオランダ、デンマークなどはバルカン半島諸国がEUに加盟することで移民が西欧諸国に流入しやすくなり、移民反対を掲げる政党が増長しかねないという懸念からアルバニアや北マケドニアの加盟交渉入りに反対し続けたものの、2020年2月に欧州委員会が加盟交渉の改革案を提示したことでフランスなどが態度を軟化させ、同年3月24日に加盟交渉入りすることが決定した[11]。2021年には、同国初となる国際連合の安全保障理事会非常任理事国に選ばれた。任期は2022年からで2年間務める予定である[12]。
ヨーロッパの中ではアドリア海対岸の隣国イタリアとの経済的結びつきが強く、主要な貿易相手国の一つである。2019年11月には、政治的判断によりペルシア湾でイランなどを警戒するアメリカ主導の有志連合に参加した[13]。2022年9月にはイランとの断交を発表した[14]。
アルバニア人が多数を占めるコソボの国造りと、コソボ承認国を増やすための支援を行っている[15]。
- 駐日アルバニア大使館
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アルバニア大使館が入居するビル全景
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北国新聞東京会館にアルバニア大使館が入居
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アルバニア大使館は4F
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アルバニア大使館専用インターフォン
アルバニアの地図。
アルバニアは12の州 (qark)、61の基礎自治体 (komuna) に分けられる。
道路インフラの整備が進められており、首都圏では高速道路、環状道路の整備はほぼ完了した。主要な都市を結ぶ高速道路網も整備も進められており、一部の区間では通行できるようになっている。ラマ首相のイニシアチブにより2018年より空港のある首都圏と南部の観光地帯を結ぶ高速道路の建設が本格化した。
首都ティラナから30キロメートル、デュレス近くのポルトロマノに国内最大の軍民両用の港湾を建設中で、NATO諸国の艦艇も受け入れる計画である[19]
[20]。
アルバニア人が大部分であるが、国土の北部と南部では言語や風習に差異がある。南部にはギリシャ人などもいる他、国境付近にはマケドニア人やモンテネグロ人もいる。
アルバニア語が公用語であるが、北部のゲグ方言と南部のトスク方言に分かれ、標準語はトスク方言に基づいている。歴史的な理由(社会主義時代にイタリアからのラジオを聴くなど)によりイタリア語を話せる高齢者が多い。義務教育課程での英語教育が導入されており若年層のほとんどは英語を話す。南部のサランダを中心とした地域に住むギリシャ系住民の間では、なまりの強いギリシャ語を話す人々もいる。
ティラナのジャーミア・エトヘム・ベウト
アルバニアの宗教を語る上で1967年の共産党政府が「無神国家(無神論国家)」を宣言したことが取り上げられる。マルクス・レーニン主義を国是とする国家では旧ソビエト連邦の首都モスクワにおける救世主ハリストス大聖堂の爆破(1931年)や中華人民共和国の文化大革命(1966-76年)など宗教弾圧は見られた。しかし、これらの国々であっても、宗教の弾圧は徹底されず、(一定の制限はあるが)寺院も宗教団体も存在して、信仰と宗教活動は容認されてきた。
しかし、アルバニアは国内での激しい宗教対立を背景に1967年、共産圏では初めて、内外に﹁無神国家﹂を宣言した。これは国民全てがいずれの宗教も信仰しておらず、そのため国内にはいかなる宗教団体および宗教活動は存在しないという宣言である。この世界に類を見ない強力な宗教の弾圧と排除が特筆すべきものになったのは、当時のアルバニアの指導者エンヴェル・ホッジャが過激なスターリン主義者であったことと、アルバニアの国土面積と人口が旧ソ連や中国に比べて極めて小さかったこと、1970年代から鎖国体制に入ったことなどによる。そのため1970年代の鎖国体制以降、アルバニア国外では、アルバニアではどのような宗教が信仰されているのか、どのような宗教活動が行われているのかは、不明という状態となった。
1990年、信教の自由が認められた。現在では多くの人々が穏健で世俗的なムスリム[注釈1]、正教徒、カトリックであり、異なる宗教の信者間での結婚にいかなる制約もない。異教徒同士のカップルも少なくない。公式のデータは右記の通りである。
一方、最近では、信仰する宗教が特に無いという人々が多数派を占めているといわれている。ワトソン・インスティテュート︵ワトソン研究所︶の2004年度レポート﹃アルバニアにおける移民と民族集団-シナジーと相互依存﹄[21] でのデータは以下の通り。また、アメリカ合衆国の国務省が出した2007年度レポート﹃国際的な宗教の自由﹄[22] でも、国民は無宗教が多数派であることが述べられており、ワトソン研究所の調査と同じ形となっている。ただし、イラク戦争以後、若者のごく一部に戒律的なイスラム教への回帰も散見されるようになってきた。
婚姻では、婚姻前の姓を保持する(夫婦別姓)か、配偶者の姓へ改姓し夫婦同姓とするか選択することが可能である[23]。
同国での初等・中等・高等教育は、主に州によって定められたものが多い。学年度は2学期に分かれていてアメリカ合衆国と類似しており、授業はほぼ9月か10月に開始され、6月か7月で終了する仕組みとなっている。
初等教育は1年生から9年生まで設けられており義務教育となっているが、ほとんどの生徒は中等教育まで継続されている。
なお、2015年時点でアルバニアにおける全体的な識字率は98.7%であり、男性の識字率は99.2%、女性の識字率は98.3%となっている。
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現時点[いつ?]において、大きな犯罪が同国内で発生したケースはあまり発表されていない。麻薬取引や犯罪組織の存在が指摘されているが、これらの犯罪に外国人が巻き込まれた例もほとんど報告されていない。
また、テロにおいては中東や北アフリカ諸国に拠点を有するイスラム系慈善団体などの支部や、コソボなどで民族主義を掲げる反政府勢力と関係を有する団体は存在するものの、現在のところ直接的な治安上の不安は少ないと考えられている[誰によって?]。一方、シリアやイラクで聖戦︵ジハード︶のためにイラク・レバントのイスラム国︵ISIL︶などの反政府武装組織に参加した帰還兵の数名がアルバニアへ入国したとの報道もあり、同国におけるテロ行為の懸念は完全には払拭し切れておらず、警戒を求められているのが現状となっている。
長期にわたるオスマン帝国の支配の影響から、﹁アルバニア人﹂という民族意識の形成とそれに基づく民族文化の育成が遅れた。アルバニア語の学校教育は1887年に初めて開始され、そのころから民族意識高揚による﹁アルバニア・ルネサンス運動﹂が起きた。
第二次世界大戦後の共産主義政権は、共産主義のイデオロギー的影響を強く受けながらも、強力な民族主義的立場で国民の啓蒙と文化水準向上に関する政策を展開した。地中海周辺の諸民族と比べ、比較的に温厚で忍耐強いといわれるが、家父長制的な伝統の要素が社会に残っており、女性の地位向上運動が続いている。
- ^ a b イスラム教においてハラーム(食のタブー)とされる飲酒をしたり、豚肉を食べたりする者も珍しくない。井浦伊知郎『アルバニアインターナショナル』参照。
(一)^ ab“UNdata”. 国連. 2021年10月11日閲覧。
(二)^ abcde“World Economic Outlook Database” (英語). IMF. 2021年10月18日閲覧。
(三)^ W.チャーチル、佐藤亮一訳﹃第二次世界大戦1﹄︵河出文庫版︶P248.
(四)^ “独裁者の核防空壕を一般公開、観光資源に アルバニア”. AFPBBNews (フランス通信社). (2014年11月24日). https://www.afpbb.com/articles/-/3032532?ctm_campaign=pcpopin 2014年12月23日閲覧。
(五)^ 40 Years of Socialist Albania, Dhimiter Picani
(六)^ Enver Hoxha, "Reflections on China II: Extracts from the Political Diary", Institute of Marxist-Leninist Studies at the Central Committee of the Party of Labour of Albania," Tirana, 1979, pp 516, 517, 521, 547, 548, 549.
(七)^ Hoxha, Enver (1979b). Reflections on China. II. Tirana: 8 Nëntori Publishing House.
(八)^ Vickers, Miranda (1999). The Albanians: A Modern History. New York: I.B. Tauris & Co Ltd. p. 203. p. 107
(九)^ ﹃NHK特集 現代の鎖国アルバニア﹄︵日本放送出版協会、1987年︶
(十)^ “Albanian Parliament Fails to Elect a President in 1st Vote”. USニューズ&ワールド・レポート. (2022年5月16日). https://www.usnews.com/news/world/articles/2022-05-16/albanian-parliament-fails-to-elect-a-president-in-1st-vote 2022年6月2日閲覧。
(11)^ “EU、英抜きで再拡大へ バルカン諸国の加盟交渉で合意”. 日本経済新聞. (2020年3月26日). https://www.nikkei.com/article/DGXMZO57194850V20C20A3FF8000/ 2020年3月26日閲覧。
(12)^ . https://www.asahi.com/sp/articles/ASP6D447ZP6CUHBI016.html
(13)^ ﹁イラン包囲網﹂米主導の船舶護衛活動開始 日本見送り朝日新聞デジタル︵2019年11月8日︶2019年11月9日閲覧
(14)^ https://web.archive.org/web/20220907125105/https://www.jiji.com/jc/article?k=2022090701229&g=int
(15)^ abアルバニア共和国︵Republic of Albania︶基礎データ 日本国外務省︵2019年11月9日閲覧︶
(16)^ abcde﹃アルバニア‥﹁国民平等に貧しい﹂と﹁ねずみ講バブル﹂の関係﹄2008年3月6日付配信 日経ビジネスオンライン
(17)^ 佐藤和孝著﹃戦場でメシを食う﹄︵新潮社︶第三章﹁アルバニア-世界でもっとも孤立した国﹂
(18)^ 平野英雄﹁アルバニアの金属資源﹂﹃地質ニュース﹄531号 1998年11月 pp.43-51 PDF
(19)^ ﹁アルバニア、NATOに新たな海軍基地提供へ=首相﹂ロイター︵2022年7月4日︶2023年23日閲覧
(20)^ アルバニア首相‥軍港供与 NATOと協議﹁地理的に戦略拠点﹂﹃日本経済新聞﹄朝刊2023年2月23日︵国際面︶同日閲覧
(21)^ ﹃アルバニアにおける移民と民族集団-シナジーと相互依存﹄︵ワトソン・インスティテュート(Watson Institute)︶︵英語︶
(22)^ アメリカ国務省﹃国際的な宗教の自由﹄︵英語︶
(23)^ Family Code of Albania, Law Number 9062, Chemonics International Inc., 2003.
(24)^ ユネスコ世界遺産 アルバニア
(25)^ Napoli reportedly reach agreement with Empoli to sign Elseid Hysaj THE SIREN's SONG 2015年7月28日
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