定州市 (平安北道)

北朝鮮の市

定州市(チョンジュし)は、朝鮮民主主義人民共和国平安北道に属する市。

定州市
位置
各種表記
チョソングル: 정주시
漢字: 定州市
日本語読み仮名: ていしゅうし
片仮名転写: チョンジュ=シ
ローマ字転写 (MR): Jŏngju-si
統計
行政
国: 朝鮮民主主義人民共和国の旗 朝鮮民主主義人民共和国
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地理

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西西

行政区画

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14洞・18里を管轄する。

  • 高峴洞(コヒョンドン)
  • 南鉄洞(ナムチョルトン)
  • 㺚川洞(タルチョンドン)
  • 龍浦洞(リョンポドン)
  • 北将洞(プクチャンドン)
  • 三馬洞(サンマドン)
  • 上端洞(サンダンドン)
  • 西州洞(ソジュドン)
  • 城南洞(ソンナムドン)
  • 新川洞(シンチョンドン)
  • 艾島洞(エドドン)
  • 駅前洞(ヨクチョンドン)
  • 五龍洞(オリョンドン)
  • 五山洞(オサンドン)
  • 南陽里(ナミャンニ)
  • 南湖里(ナモリ)
  • 大山里(テサンニ)
  • 大松里(テソンニ)
  • 独将里(トクチャンニ)
  • 宝山里(ポサンニ)
  • 西湖里(ソホリ)
  • 石山里(ソクサンニ)
  • 細馬里(セマリ)
  • 新峯里(シンボンニ)
  • 新安里(シナンニ)
  • 岩頭里(アムドゥリ)
  • 五星里(オソンニ)
  • 円峯里(ウォンボンニ)
  • 月陽里(ウォリャンニ)
  • 逸海里(イレリ)
  • 沈香里(チミャンニ)
  • 黒麓里(フンノンニ)

歴史

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平壌から北の義州へ向かう際の道筋に位置する。高麗時代、この地の人々はモンゴルの侵攻に降らず、その功績で定遠大都護府に昇格された。朝鮮王朝時代には定州牧であり、19世紀初頭には朝鮮王朝後期最初の大規模な叛乱事件である洪景来の乱が定州城で終焉を迎えた。

鍮器の生産で知られ、商業が発達した。1896年に十三道制が敷かれた当時は、平安北道の道観察使(道庁)所在地であった。

年表

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[1]

 - 

1231 - 

 - 

1811 - 

1895 - 

1896 - 使

1905 - 

191441 - ()(19)
西

1918 - (19)

193141 - (118)

1939 - (112)






西西



1947 - (13)

195212 - 西(122)
西西

195410 - (1128)




19586 - (1129)

1961 - (1128)

1992 (1423)
西西





1994 - (1418)


西西

西














産業

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伝統産業としては、馬山面納清(ナプチョン)でつくられる鍮器が「良大鍮器」と呼ばれ有名であった。朝鮮戦争時に越南した技術者(方字鍮器匠)が、韓国の重要無形文化財第77号に指定されている。

交通

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鉄道

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出身者

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  • 李昇薫 - 商人、五山学校創設者、1864年定州生まれ。
  • 方応謨 - 言論人、1883年定州生まれ。
  • 李光洙 - 作家、1892年定州生まれ。
  • 徐椿 - 言論人、1894年定州生まれ。
  • 金億 - 作家、1896年定州生まれ。
  • 李石薫 - 作家、1907年定州生まれ。
  • 文鮮明統一教会教祖、1920年定州郡徳彦面生まれ。
  • 洪允淑 - 詩人、1925年定州郡生まれ。
  • 洪成南 - 北朝鮮の政治家、1929年定州郡生まれ。

関連項目

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脚注

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外部リンク

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