服部達
日本の文芸評論家
服部 達(はっとり たつ、1922年(大正11年)2月13日 - 1956年(昭和31年)1月1日)は日本の文芸評論家。
略歴 編集
第一高等学校理科を経て京都大学文学部独文科卒業。1954年︵昭和29年︶、奥野健男、日野啓三、清岡卓行、村松剛、島尾敏雄、遠藤周作、吉本隆明たちと﹁現代評論﹂を創刊。同年﹁新世代の作家たち﹂を発表。1955年︵昭和30年︶、評論﹁われらにとって美は存在するか﹂を﹁群像﹂3月号から9月号まで連載。マルクス主義を背景にしたイデオロギー的批評の全盛期にあって、それとは全く異質な審美的批評の確立を図り、新進批評家として注目を集める。
しかし出版社への借金が嵩み、このことを苦にして、1956年︵昭和31年︶1月1日、八ヶ岳山麓の清里村キリスト教団清里センター清泉寮から失踪。睡眠薬を服用の上、雪山の中に深く分け入り、凍死を遂げた。当初は行方不明と思われたが、約半年後に小海線鉄橋近くで遺体が発見された。
死後、安岡章太郎、遠藤周作、村松剛の尽力により、遺稿集﹃われらにとって美は存在するか﹄︵1956年9月︶が審美社から公刊された。安岡は、服部の死を題材にして、小説﹃舌出し天使﹄を書いた[1]。