野平健一
経歴
中野区立桃園第二小学校、東京府立第六中学校から第三高等学校文科丙類を経て、1942年9月、京都帝国大学文学部入学。1943年12月、大学の徴兵猶予を停止され、三等水兵として横須賀市の武山海兵団に入隊。その後、海軍の飛行科予備学生となる。静岡県の大井海軍航空隊に所属。1945年10月、中尉として復員、京都大学に復学。1946年9月、京都大学文学部卒業。
1946年8月26日、700名中2名の被採用者のひとりとして新潮社に入社︵もうひとりの被採用者は野原一夫だった︶。﹃新潮﹄編集部に勤務。同年秋、太宰治の短篇﹃親友交歓﹄の原稿を読んだことがきっかけで太宰の熱烈な愛読者となる。1ヵ月後から文芸編集者として太宰を担当。﹃斜陽﹄の連載などを受け持つ。頭脳の明晰さから﹁カミソリノヒラ﹂と渾名された。
1955年12月、﹃週刊新潮﹄創刊に関与。1956年2月から同誌編集部に異動、特集部門を担当。1964年4月から﹃週刊新潮﹄編集長として齋藤十一の補佐役を務める。1966年、﹃週刊新潮﹄連載の梶山季之の小説﹃女の警察﹄によって刑法175条︵猥褻物頒布︶の容疑で略式起訴され、著者梶山と共に罰金5万円の有罪判決を受ける。
1973年、新潮社取締役。1981年、新潮社常務取締役。1992年3月、新潮社相談役となる。