さがみ三太・良太
メンバー
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●さがみ 三太︵さがみ さんた、本名・鈴木猛男、1939年3月17日 - 2023年12月︶
静岡県浜松市鴨江町の生まれ。1955年16歳の時に初代相模太郎に入門。芸名を相模金時で秩父劇場で初舞台。1960年より相模五郎と改名し、司会、漫談に転向しその後、1974年良太とコンビを組む。現在は漫談家として活動。日本浪曲協会、漫才協会に所属していたが、2022年時点では両協会を離れている。﹁相模太郎﹂の名跡を預かる。芸名の由来は灰神楽三太郎から。2006年、静岡市駿河区にオープンした温浴施設﹁すんぷ夢ひろば﹂(その後2010年頃に閉鎖、のちに﹁大江戸温泉物語 天下泰平の湯すんぷ夢ひろば﹂→2020年現在﹁リバティリゾート久能山﹂︶ に併設された﹁すんぷ演芸場﹂のプロデュースにも携わっていた[1]。そのため一時静岡県に居住していた。漫才研究家の神保喜利彦によると2023年12月に亡くなったとのことである[2]。
●さがみ 良太︵さがみ りょうた、本名・鴇崎義泉[ときざき よしずみ]、1933年6月15日 - 2015年5月11日[3]︶
群馬県館林市の生まれ、両親とも浪曲師で自身は浪曲の曲師をしていた。浅草東洋劇場に入り﹁みなみ良雄﹂の名でコメディアンとなり、1963年2月に﹁じん弘とスリーポインツ﹂︵元々はじん弘、萩本欽一とのトリオだったが、萩本が4ヶ月で脱退。︶を結成。その後﹁コント・コンビネーション﹂等のメンバーで活躍、1972年に﹁スリー・アンバランス﹂︵斎藤正道、清水粒太とのトリオ︶を結成も1年ほどで解散。妻は東家三楽嬢の名で浪曲師をしていた。解散後は実の娘のいずみと﹁さがみ良太・いずみ﹂で2014年頃まで活動。
芸風・ギャグ
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三太は概ね和装。対する良太は洋装。この洋装の良太が三味線を抱えて曲を奏でながら、三太が朗々と歌う。いよいよ盛り上がってきたところで突如﹁丁度時間となりました﹂と三太が締めに入ってしまう。
良太が﹁まだ早いよ﹂と突っ込んでいなし、話を進行させる。暫く進んでまた三太が﹁丁度時間と…﹂と締めに掛かる。良太が﹁だからまだだって!﹂と突っ込み話を進行させる。
両名が登場して三太が自己紹介をした後﹁丁度時間と…﹂と持って行くパターンもあった。
弟子
編集脚注
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(一)^ まち娘 (2006年11月16日). “すんぷ夢ひろば オープン!”. 静岡ジモティーズ. TOKAIネットワーククラブ. 2020年10月8日閲覧。 “記事写真内の看板に﹁さがみ三太と仲間たち﹂の記載あり。”
(二)^ 喜利彦山人 (2022年4月1日). “さがみ三太・良太”. 東京漫才のすべて The tokyo manzai collections. 2024年3月11日閲覧。
(三)^ 松竹芸能 アラ還ブログ 2015年7月15日より
出典
編集- 「東京漫才列伝」(東京新聞出版局)