コルネイ・チュコフスキー
コルネイ・イヴァノヴィッチ・チュコフスキー︵ロシア語: Корне́й Ива́нович Чуко́вский, 英語: Korney Ivanovich Chukovsky
発音、新暦1882年3月31日 - 1969年10月28日︶は、ロシア帝国及びソビエト連邦︵現:ロシア︶サンクトペテルブルク出身の詩人、小説家、文芸評論家、翻訳家、批評家。娘は女流作家のリージャ・チュコフスカヤである。
![Kornyey Ivanovich Chukovskiy.ru.vorb.oga](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/8/8a/Loudspeaker.svg/12px-Loudspeaker.svg.png)
コルネイ・チュコフスキー | |
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![]() イリヤ・レーピンによって描かれたチュコフスキー | |
誕生 |
Николай Корнейчуков 1882年3月31日 ![]() |
死没 |
1969年10月28日(87歳没)![]() ![]() |
職業 | 詩人、小説家、批評家、翻訳家、文芸評論家 |
最終学歴 | サンクトペテルブルク大学 |
主な受賞歴 | レーニン賞(1962年) |
子供 | リージャ・チュコフスカヤ |
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経歴
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1882年3月31日、帝政ロシア時代のサンクトペテルブルクに生まれた。出生名はニコライ・ヴァシリエヴィッチ・コルネイチューコフ︵ロシア語: Николай Васильевич Корнейчуков、英語: Nikolay Vasilyevich Korneychukov︶である。1901年にオデッサにてジャーナリストとして働いている時にコルネイ・チュコフスキーに改名した。また、文筆活動も1901年から開始した[1]。
1905年より反政府風刺雑誌﹃信号﹄の編集部で働くと同時に文芸評論家としても活動する。1908年、評論﹃チェーホフから現代まで︵From Chekhov to Our Days︶﹄を著す。1914年には﹃ホイットマン﹄などの評論集を著して、その後の1916年より童話﹃ワニ﹄を著して好評を得た[2]。
1925年に子供言葉について観察した風変わりな著作﹃2歳から5歳まで﹄を著す。また同年から1929年、1936年、1942年にかけてチュコフスキーは、アメリカ出身の児童文学作家のヒュー・ロフティング作﹃ドリトル先生﹄に登場する主人公のジョン・ドリトルを基にして翻案されたアイボリット先生を生み出した。1934年、ソビエト連作家連合︵en:USSR Union of Writers︶の第1回会議に参加した。
第二次世界大戦後はロシアの詩人であるニコライ・ネクラーソフの研究をし、1953年に﹃ネクラーソフの手法﹄を著す。1962年、オックスフォード大学で名誉学位が与えられた。1966年には彼の著作であるアイボリット先生が﹃アイボリート-66﹄として映画化され、ロシアの作曲家のボリス・チャイコフスキーが音楽を担当した。
1969年10月28日、モスクワで死去。
作品とその内容
編集日本での出版・紹介
編集受賞・栄典
編集- 1962年:『ネクラーソフの克服(Mastery of Nekrasov)』でレーニン賞を受賞[1][3]。また
- 1962年:オックスフォード大学より名誉学位。
脚注
編集参考文献
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●高津春繁、手塚富雄、西脇順三郎、久松潜一 著、相賀徹夫 編﹃万有百科大事典1文学﹄︵初版︶小学館︿日本大百科全書﹀︵原著1973-8-10︶。
●林達夫 編﹃世界大百科事典20チーチン﹄︵1972年版︶平凡社︿世界大百科事典﹀︵原著1972-4︶。
●“チュコフスキーとは”. コトバンク. 2013年2月15日閲覧。
関連項目
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●アレクサンドル・ブローク - ロシアの詩人。チュコフスキーと友人。
●アンナ・アフマートヴァ - チュコフスキーが著した評論﹃アフマートヴァとマヤコフスキー﹄にて言及。
●ヴィタリー・ビアンキ - ロシアの小説家。チュコフスキーと友人。
●ポチョムキンの階段
●ポルホフ - 1920年代、チュコフスキーが住んでいたロシアプスコフ州の中部にある都市。
外部リンク
編集- 『チュコフスキー』 - コトバンク。
- 『コルネイ チュコフスキー』 - コトバンク。