バシリカ

建築様式、あるいは聖堂

: basilica[1]: basilica3

殿使[1]使



 


概説

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建築形式としてのバシリカ

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西NaveAislesClerestoryTranscept使Apse
 

: βασιλική[2]使

[2][3]

使西西

特権を付与された教会堂としてのバシリカ

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オンブレリーノとティンタナバラム(ベルギー・ヴィルヴォールデVilvoordeのバシリカで)

[4][5]cappa magna)[6]

[7]20061476200

歴史

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ローマ建築のバシリカ

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[3]西使使西殿殿21[4]
 

 



218417025

12


バシリカ・ウルピア(113年完成)
トライヤヌスによって建設されたトライヤヌスのフォルムの付属建築物。北東と南西に半円形のアプスを持ち、長辺方向に数カ所の出入り口が設けられている。今日では一部の遺構しか目にできないが、プリニウスによってローマ最美の建築のひとつに挙げられ、属州においても広く模倣された。また、コンスタンティヌス1世が、このバシリカをキリスト教の聖堂のモデルとしたことは確実と目されており、コンスタンティヌス2世もローマを訪問した際に、この建築物に特に驚嘆した記録が残っている。重要なバシリカである。
レプティス・マグナのバシリカ(193年〜218年頃に完成)
セプティミウス・セウェルスによって建設されたフォルム・バシリカ・神殿複合体の一部を成す。床面から天井面までが30m近くある巨大なバシリカで、バシリカ・ウルピアとほぼ同じ平面を持ち、現在でも内部空間を想像できるほどの状態で残っている。使用されている大理石マルマラ海プロコネソス島で産出・加工されたもので、施工も東方で訓練された工人集団によって行われたらしい。
マクセンティウスのバシリカ(302年〜325年頃に完成)
マクセンティウスによって起工され、コンスタンティヌス1世によって完成したバシリカ。従来のバシリカとは違い、身廊と側廊を隔てる列柱が排除され、皇帝浴場から着想したと思われるコンクリート・ヴォールトの形態をより強調した造りになっている。現在では平面のうち北側の側廊にあたる部分のみが残る。キリスト教化以前に建設された最後の大バシリカである。

初期キリスト教建築のバシリカ

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471[8]31243143174303[5][]





殿殿

西[9]3523

調2
 
 

 320

5西西

 5

22

 534



5 

[10][11]

[7]使

西ヨーロッパにおける教会堂の発展

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西西11西9

2

西西7907998208[8]

815西

東方教会・正教会の教会堂

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ルーマニアにある古式教会堂

東方教会、特に正教会では形式的に古式の教会堂をバシリカとも呼ぶ傾向にある。

ロマンス語に属するルーマニア語では、「Biserică」は教会堂またはキリスト教教会を意味する。


脚注

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注釈

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(一)^ basilica.

(二)^ 

(三)^ 110m80m

(四)^ 

(五)^ 

(六)^ 

(七)^ 

(八)^ 

(九)^ 

(十)^ 3.5m

(11)^ [6]

出典

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(一)^  2011106 

(二)^ P.p51

(三)^ J.B.W.p15

(四)^ J.B.W.p131-p135

(五)^ C.p36

(六)^ C.p86

(七)^ C.p55-p59

(八)^ N.p44-p45

参照項目

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参考文献

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  • ニコラス・ペヴスナー他著 鈴木博之監訳『世界建築辞典』(鹿島出版会
  • シリル・マンゴー著 飯田喜四郎訳『図説世界建築史 ビザンティン建築』(本の友社)
  • ハンス・エリッヒ・クーバッハ著 飯田喜四郎訳『図説世界建築史 ロマネスク建築』(本の友社)
  • ルイ・グロテッキ著 前川道郎・黒岩俊介訳『図説世界建築史 ゴシック建築』(本の友社)
  • ピエール・グリマル著・北野徹訳『ローマの古代都市』(白水社)