プロレタリア俳句
(プロレタリア俳句運動から転送)
概要
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昭和初期、﹁層雲﹂の栗林一石路、橋本夢道、横山林二ら自由律俳句の俳人が主唱。1930年、一石路、夢道は﹁旗﹂、林二は﹁俳句前衛﹂をそれぞれ創刊し、﹁層雲﹂と別れて運動を展開した。翌年、両誌が合併し﹁プロレタリア俳句﹂、のち改題して﹁La俳句﹂となる。
定型派でも、早大俳句会の柴村羊五、宮田戌子らが﹁俳句研究﹂でプロレタリア俳句を唱え、1932年には﹁La俳句﹂﹁俳句研究﹂が合併して﹁俳句の友﹂となったが、ナップ内に俳句の詩への解消論が起こったため早期に終刊、1934年に一石路、夢道、林二らによって新たに﹁俳句生活﹂が創刊される。このように誌名をめまぐるしく変えたのは当局からの弾圧・発禁処分があったためで、誌面でもしばしば伏字や匿名が用いられた。一石路は新聞聯合社︵のちの同盟通信社︶の社員であったため、青木宏という偽名で﹁戦旗﹂に投句している。
﹁俳句生活﹂では新興俳句系の俳人たちとの交流も試みられたが、1941年2月、新興俳句弾圧事件に連座して主要同人が一斉検挙され廃刊となる。このプロレタリア俳句の流れは戦後、新俳句人連盟へと受け継がれ今日にいたっている。