ホレーショ・ネルソン (初代ネルソン子爵)

イギリス海軍提督

: Horatio Nelson, 1st Viscount Nelson KB, 1758929 - 18051021[1]
初代ネルソン子爵
ホレーショ・ネルソン
Horatio Nelson
1st Viscount Nelson
1800年
生誕 1758年9月29日
グレートブリテン王国の旗 グレートブリテン王国イングランドノーフォーク
死没 (1805-10-21) 1805年10月21日(47歳没)
トラファルガー岬沖
所属組織 イギリス海軍
軍歴 1778年 - 1805年
最終階級 白色艦隊中将英語版
墓所 セント・ポール大聖堂
署名
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世界三大提督の筆頭に挙げられることが多い。山梨勝之進は「世界史的な観点から海軍の名将を列挙するならば」として8名の提督を挙げた上で、デヴィッド・ファラガット東郷平八郎、そしてネルソンの3名について特記している[2]

生涯

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生い立ち

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1217701774

海軍へ

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1781年、23歳のネルソン(ジョン・フランシス・リゴー画)

1777177817792117841787西

1793101794

179617972



1798

姿退



1801

1803Commander-in-Chief of the Mediterranean Fleet

1804

トラファルガー海戦

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トラファルガーの海戦におけるネルソン・タッチの図。イギリス艦隊は赤。

1805272733233西412
 
DUTY3[U][T][Y]

England expects that every man will do his dutyNelson convinced that every man will do his duty[3]Duty

[4]Z
 
1860

Line1/2

姿





4退



()

449 4,48010221535()

死後

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死後作られたネルソン提督の昇天図。王冠(月桂冠)らしきものを天使によって被せられている。

ネルソンの遺骸は腐敗を防ぐために、乳香樟脳を入れた当時最高級のコニャックの樽に入れられ、ヴィクトリーが曳航された先のジブラルタルにてワイン蒸留したスピリッツで満たされた棺に入れ替えられ、大事に鉛で密封されて本国まで運ばれた[5]。これは、当時の遺体処理としては異例であり、当時の科学技術では遺体は直ぐに腐敗し、周囲に疫病を撒き散らす為に、すぐさま水葬(海に返す)するのが当然であり、常識であった。遺体を英国に持ち帰ろうとするのは、当時としては異例であり、軍医および兵士らの強いネルソンへの思いと努力が伺われる。

宮中で報告を心待ちにしていた国王および貴族は、空前の大勝利とネルソンの死を聞きつけ、また、その死にざまに衝撃を受けた。翌年、君主以外では初となる国葬としてセント・ポール大聖堂に葬られた。中将からの昇進は行われずに、王として葬られた。後に、貴族あるいは人の上に立つ者の心得として「duty」はイギリス高位者の国是として使われ、第二次世界大戦時の国王ジョージ6世、地雷撤去運動などで知られるダイアナ妃などの演説で盛んに使われる事となる。後に、英国王子が軍務に従う事が慣例化していき、これら高位者が進んでリスクを負う風習がイギリス国力を大いに躍動させた(ノブレス・オブリージュ)。

現在でもネルソンはイギリスの英雄として称えられ続けており、ロンドントラファルガー広場中心にはネルソン記念柱が据えられている。

影響

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ナイルの海戦にあたって、「明日の今頃にはウェストミンスターに葬られるか、貴族となっているかだ」との言葉を残している。

この発言に象徴されるように、終生艦隊決戦に重きをおいた。この考え方は海尉時代のかなり早い時期からのものだったらしく、「自分が艦隊司令官だったら、敵艦をすべて沈めるか、自分の艦をすべて沈められるかどちらかだろう」との手記も残っている。

これは、相当数の艦艇を保有してさえいれば、それだけで敵対国への圧力となるとする当時の「現存艦隊主義」に反するものだったが、ネルソンが実戦での実績を重ねるうち、海軍のみならず英国民すべての認識となっていった。逆に、敵艦隊と交戦し、一定の戦果を得ながら、艦隊の保全を重視して追撃戦を行わなかった提督が軍法会議にかけられるような事例も生じた。ネルソン自身はそうした提督を擁護する立場を取った。

ジョゼフ・コンラッドは、ネルソンひとりのために海戦の意味や勝利の基準まで変わってしまったと評した。

「19世紀のイギリスに海軍などなく、ただ偉大なネルソンの亡霊のみがそこにいた」と、ネルソンの海上権制覇に安穏としすぎたことが、20世紀におけるイギリスの没落を招いたとする見方もある。

逸話

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1801(w:Horatia Nelson)1881寿

[6]National Archives綿調



No407No236[7]

栄典

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爵位

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179810[8]

 (1st Baron Nelson, of the Nile, and of Burnham Thorpe in the County of Norfolk
()

17997

 (1°Duca di Bronte)
()

1801522[9]

 (1st Viscount Nelson, of the Nile, and of Burnham Thorpe in the County of Norfolk)
()

1801818[10]
  • ナイルおよびノーフォーク州におけるヒルバラの初代ネルソン男爵 (1st Baron Nelson, of the Nile and of Hillborough in the County of Norfolk)
    (勅許状による連合王国貴族爵位。自身の男系男子の他、父と姉妹への特別継承規定付)

勲章

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ネルソンを題材にした作品

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映画

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ネルソン役:コンラート・ファイト
レディー・ハミルトン役:コリンヌ・グリフィス、ネルソン役:ヴィクター・ヴァルコニ
ネルソン役:ローレンス・オリヴィエ、レディー・ハミルトン役:ヴィヴィアン・リー
ネルソンとレディー・ハミルトン、ハミルトン卿の三角関係を描いた作品。対独戦意高揚を狙ったプロパガンダの側面もあり、英国社交界から顰蹙を買った大胆な不倫の恋が、ここでは世を忍ぶ純愛として描かれている。

舞台

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ネルソン役:大空祐飛、レディー・ハミルトン役:野々すみ花

漫画

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物語はルドゥタブルのマストからヴィクトリー艦上のネルソン提督を狙う仏軍マスケッティア、ニジェール・マルソーとそれを阻止しようとする英海軍のユージン・ラドリック中佐が中心で、どちらかと言えばネルソンは脇役であるが、ネルソンと愛人エマ・ハミルトンとの関係も描かれている。

脚注

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注釈

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出典

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(一)^ 100 great Britons - A complete listBBC2002100dailymail(9)

(二)^  1981, pp. 1720,   - 2 5

(三)^ England confides that every man will do his dutyWikipedia

(四)^ Signal Flags. National Maritime Museum. 20079302006916

(五)^ en:Horatio_Nelson,_1st_Viscount_Nelson#cite_note-Hibbert_378-217

(六)^ James PackNelson's Blood: The Story of Naval Rum1995. Pusser's Navy Rum "Nelson's Blood"

(七)^ Famous Freemasons (). Lodge st.Patrick. 201597

(八)^ "No. 15067". The London Gazette (). 6 October 1798. p. 931. 2008712

(九)^ "No. 15366". The London Gazette (). 19 May 1801. p. 549. 2008817

(十)^ "No. 15393". The London Gazette (). 4 August 1801. p. 948. 2008814

(11)^ "No. 14012". The London Gazette (). 23 May 1797. p. 474. 2008712

参考文献

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関連書籍

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関連項目

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軍職
先代
初代キース子爵
地中艦隊司令長官
1803年–1805年
次代
初代コリングウッド男爵
グレートブリテンの爵位
爵位創設 初代ネルソン男爵
(ナイル=バーナム・ソープの)

1798年–1805年
廃絶
イギリスの爵位
爵位創設 初代ネルソン男爵
(ナイル=ヒルバラの)

1801年–1805年
次代
ウィリアム・ネルソン英語版
初代ネルソン子爵
1801年–1805年
廃絶
爵位(ナポリ王国シチリア王国)
爵位創設 初代ブロンテ公爵イタリア語版
1799年–1805年
次代
ウィリアム・ネルソン英語版