ヴィッセル神戸(ヴィッセルこうべ、英: Vissel Kobe)は、日本の兵庫県神戸市をホームタウンとする[1]、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。
2010年代後半から国内外のスター選手を相次いで獲得し、2022年度時点でチーム人件費はJリーグ1位、J1クラブの平均値を大きく上回っている[6]。
2014年まで三木谷浩史の個人資産管理会社が全額出資しており、現在の運営会社は楽天ヴィッセル神戸株式会社。2013年度まで当期純利益で10年連続単年度赤字を計上したが、三木谷の個人資産や楽天グループの資金調達で債務超過を解消させている[7]。
概要
歴史
創設
1995年 - 2003年
1月1日、ヴィッセル神戸としてスタートしたが[1]、練習初日の1月17日に阪神・淡路大震災が発生し[11]、選手らは岡山県倉敷市のグラウンドで初練習を行った[10]︵2月6日︶。なお、神戸市内の練習場﹁いぶきの森球技場︵旧︶﹂は1995年7月に完成した。また6月に後にクラブの象徴的存在となり﹁ミスター神戸﹂と称されたFW永島昭浩が加入した。
運営会社の筆頭株主だったダイエー︵資本金10億円のうち、50%を出資︶が震災の影響から3月に撤退した。当時強化部長だった安達貞至がスポンサー獲得に奔走、5月31日に運営会社の商号を株式会社ヴィッセル神戸に変更。ユニフォームにも白と黒のストライプにオレンジのラインが襟と袖に入っていたがダイエー撤退に伴い、オレンジからエメラルドグリーン︵ヴィッセルブルー︶に変更した。
リーグ後半戦となる16節を前に当時現役デンマーク代表のミカエル・ラウドルップが加入[12]。最終節でNTT関東に3-1で勝利したことで、ジャパンフットボールリーグ(JFL)準優勝[13]、1997年シーズンからJリーグへ加盟した[1]。
リーグ第2節の名古屋グランパスエイト戦では永島昭浩が2ゴールを挙げ、チームはJリーグ初勝利を挙げた[14][15]。同年、Jリーグ史上初のフェアプレー賞(高円宮杯)を受賞した。
韓国代表FW金度勲を獲得し、永島との強力2トップを要したものの、シーズン途中には16連敗を喫するなど低迷。J1参入決定戦で札幌を下して何とかJ1残留を決めた。
シーズン終了後には伊藤ハムがユニフォーム胸スポンサーから撤退。
監督に川勝良一が就任。2ndステージ終盤に4連勝を記録するなど、年間7位となり、2016年に更新されるまで長年クラブの最高順位記録だった。
DF海本慶治がクラブ初の代表選手に選ばれた。2ndステージは連敗が続くなど苦しい戦いながらJ1に残留を果たした。この年限りで永島が現役を引退した。
横浜から城彰二、G大阪から播戸竜二らを獲得するも、1stステージでは5連敗を喫するなど低迷し、川勝が辞任し後任にコーチを務めていた松田浩が昇格する形で就任した。2ndステージ開幕前にFWオゼアス、MFアリソンを獲得。最終節で清水を下しギリギリで残留を果たした。
新たに副島博志を新監督に迎え、公式戦3連勝スタートを切ったが、1stステージ第14節大分戦ではワースト記録となる8失点で敗れるなど、年間通して多くの失点を喫する(リーグワースト63失点)。それでも終盤にカズ、播戸らの活躍で最終節を待たずして残留を決めた。
2003年12月15日、運営会社の株式会社ヴィッセル神戸は東京地方裁判所に民事再生法の適用を申請した[16][17]。
2004年 - 2005年
東京Vから現役日本代表DF三浦淳宏を獲得。開幕戦で勝利して以降、公式戦12試合勝ちなしとなり、6節広島戦終了後に松永英機が辞任し、エメルソン・レオンが就任したが成績は上向かず、2か月余りで解任された。その後パベル・ジェハークが正式に監督に就任した。パベル就任後、戦力構想から外れた三浦知良が7月に横浜FCへ移籍。また同時期にDFホージェルと6月に加入したばかりのディエゴ・デ・ソウザがそれぞれクラブを去り、FWエムボマが怪我の影響もあり現役を引退した。
8月にブンデスリーガでのプレー経験もあるFWイヴォとDFマルティンを獲得。2004年加入のMFホルヴィを加えて、チェコ人3人体制となった。前年17得点を挙げた播戸が怪我で10月下旬まで離脱したことが響き、年間通して得点力不足を露呈。第7節に最下位に転落して以降、一度も最下位を脱出できず、11月20日の大宮戦に敗れ、J2に降格した。
また、監督は2004年から1年半の間にハシェック、加藤寛、松永英機、エメルソン・レオン、パベル・ジェハークとかわるがわる5人の指揮官が務めるなどクラブの迷走模様が浮き彫りとなった。
- チームスローガン:Kobe Forever Forward
初代監督のスチュワート・バクスターが9年ぶりに監督に就任。GK掛川誠、DF菅原智、FW和多田充寿ら長年クラブに在籍した選手が契約満了で退団したほか、FW播戸竜二も古巣G大阪へ移籍したものの、現役日本代表だったMF三浦淳を始め多くの主力が残留した。DFラインには長年イングランド・プレミアリーグで長年プレー経験のあるDFエメルソン・トーメを獲得。攻撃陣にはJ1で出番の少なかったFC東京FW近藤祐介、広島FW茂木弘人を獲得。
トップチームにおいてサテライトチームを﹁ヴィッセル神戸U-21﹂として若手選手の育成強化のためのチームに特化させると共に、出場経験が少ない選手に対する実践機会提供を図る観点からSC鳥取︵現‥ガイナーレ鳥取︶と提携。また、横浜FMユース、ナショトレ関西地区担当の安達亮がU-21監督に就任。
4月10日、クリムゾンFC社長の三木谷が代表取締役会長に就任。安達がGM兼任で代表取締役社長に就任。5月、読売サッカークラブや浦和、日本サッカー協会などで重要職を担ってきた佐藤英男がGMアシスタントとして就任。また、人工芝グラウンドがいぶきの森に完成した。
8月24日、バクスターが家庭の事情で帰国することになり、4日前にコーチとして神戸に復帰していた松田浩が監督に昇格。リーグ戦は、横浜FC・柏と自動昇格を争い、最終節で柏に逆転され3位の成績。最終戦で退場処分になった三浦を欠いたホームでの初戦は引き分け、12月9日、福岡との入れ替え戦第2戦は後半、FW近藤のゴールで先制。その後同点とされ福岡の猛攻を受けたが耐え凌ぎアウェーゴールで上回りJ1昇格を決めた。
2007年 - 2012年(J1)
- チームスローガン:トモニイコウ We walk together forever
- チームスローガン:トモニイコウ We walk together forever
松田体制3年目。
韓国代表主将のMF金南一、大分から元日本代表FW松橋章太、横浜FMからMF吉田孝行、FC東京からMF鈴木規郎、甲府からFW須藤大輔などを獲得。一方で近藤祐介が期限付き移籍期限満了の為退団した。
大久保嘉人がキャプテン、北本久仁衛、榎本達也が副キャプテンとなった。開幕から好調を維持し、一時は2位につけていた。その後、レアンドロ、古賀誠史、北本久仁衛らが次々と怪我をし、一時は降格圏内まで順位が落ちたが、その後J1クラブ記録となる5連勝を達成するなどし、11月23日のFC東京戦で残留を決めた。天皇杯は4回戦で松本山雅FCにJリーグ加盟後の公式戦最多得点︵8 - 0︶で勝利したが、5回戦で鳥栖に敗退した。
共同通信によると11月時点で松田浩に監督続投を要請していたが、12月に松田が監督から解任された[18]。また、栗原圭介、酒井友之らベテランに加え、ユース出身の4人もが契約満了により退団した。
- チームスローガン:トモニイコウ We walk together forever
監督にCRフラメンゴからカイオ・ジュニオールが就任。
FW大久保嘉人がVfLヴォルフスブルクへ、FWレアンドロがG大阪へ移籍した一方、ブラジル人のFWマルセウ、MFアラン・バイーア、川崎からFW我那覇和樹、オーストリアのレッドブル・ザルツブルクから元日本代表DF宮本恒靖を獲得した。
リーグ戦は第5節︵4月11日︶の横浜FM戦で2006年以来の5失点で大敗。その後も下位に沈んだ。6月にFW大久保嘉人が復帰したが、6月30日にカイオ・ジュニオールがカタールクラブ監督を理由に監督を辞任。後任には和田昌裕がチーム統括本部長と兼任で就任した。さらに8月大宮や札幌の元監督の三浦俊也が監督に就任︵和田はヘッドコーチに就任︶。三浦の就任後は首位鹿島を下すなど8月は無敗で乗り切ったが、9月以降はなかなか勝ち点を伸ばせず、第33節に柏の降格が決定したため、残留が確定。シーズン成績は14位。
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三浦俊也体制2年目。社長職が安達から叶屋宏一へ交代。
主力MF金南一がロシアリーグに移籍した一方、草津からJ2で23得点あげたFW都倉賢、大分からMFエジミウソンを獲得。更に古賀誠史と内山俊彦が抜けた左サイドに大宮からDF冨田大介、柏からMFポポを獲得した。また、新卒として、北越高校からFW有田光希、久御山高校からMF森岡亮太が入団した。FW小川慶治朗がクラブ初の2種登録選手となった。またW杯での中断明けに練習に参加していたFWイ・ジェミンと7月に契約した。
開幕戦こそ勝利したが、代表戦で負傷した大久保嘉人のコンディションが上がらなかった事や、都倉や冨田といった新加入選手が出遅れた事もあり連勝できない状態が続いた。リーグ戦は17節から23節までの7試合で6人の退場者を出し、そのうちの2度がGK榎本達也の退場で、フィールドプレーヤーがGKを務める事態も2度生じた。9月11日の京都戦に敗北した翌9月12日に三浦俊也が解任され、和田が監督に就任。28節から7試合で勝ち点15を積み上げ、第33節終了時点で16位であったが、最終節で浦和戦に勝利し、第33節時点で15位のFC東京が敗れたため、最終順位15位でJ1残留が決まった。なお、2010年シーズンの反則ポイントが149となり150万円の反則金を課された︵反則ポイント17位は大宮で100ポイント︶。
- チームスローガン:トモニイコウ We walk together forever
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安達体制2年目。トップチームコーチに千葉前監督の木山隆之が就任し、武田治郎GKコーチの後任にはシジマールが就任した。
大久保が川崎へ、野沢が鹿島へ、伊野波が磐田へ、近藤が水戸へ、高木が大分へそれぞれ移籍。フェルナンド、アンデルソン、ペ・チョンソクが退団し、朴と羽田が現役を引退した。また嘉味田と廣田が鳥取へ期限付き移籍した。
補強は、浦和から2011年まで在籍していたFWポポを、清水からGK山本海人を、蔚山現代FCからMFエステバンをそれぞれ完全移籍で獲得し、川崎から杉浦恭平を期限付きで獲得。期限付き移籍していた有田光希、河本裕之、大屋翼、紀氏隆秀がチームに復帰し、ユースから松村亮、前田凌佑、和田倫季が昇格した。2月にブラジル・パルメイラスからFWマジーニョが期限付きで加入した。
開幕から3連勝。第4節京都戦に敗れたが、第5節から9試合負けなし︵6勝3分︶の成績。しかし、第16節・鳥取戦に敗れ、同節終了時点で第2節以来キープしてきた首位をG大阪に明け渡した。その後は第34節まで2位を維持し、第35節から第38節までは再び首位に立った。また、第37節・松本戦ではリーグ戦クラブ記録となる1試合7得点を記録した。第39節、勝てば2位以内確定となる3位京都との直接対決に引き分け、自力でのJ1復帰決定を逃す[23] と同時に、再びG大阪に首位を明け渡したものの、第40節、先に試合を行った京都がG大阪に敗れた時点で神戸のシーズン2位以上が確定、1年でのJ1復帰を決めた[24]。なお、J2リーグ戦は2位の成績。天皇杯は3回戦でC大阪に敗れた。
2014年 - (J1)
- チームスローガン:一致団結~One Team, One Family, One Dream~
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ネルシーニョ体制1年目。
植草が長崎、茂木が福島、橋本がC大阪、杉浦が仙台へ、河本が大宮へ完全移籍し、京都へ期限付き移籍していた有田はそのまま完全移籍となった。そのほか、シンプリシオと田代が退団し、森岡が海外移籍でクラブを退団した。松村は栃木へ1年間の期限付き移籍となった。
補強は、FC東京からFW渡邉千真、大宮からDF高橋祥平、鳥栖からDF安田理大、ブラジルからMFフェフージンと清水からブエノが期限付きで加入した。前年福岡から期限付きで加入したFW石津大介は期限を延長した。京都へ期限付き移籍していたMF田中英雄と長崎へ期限付き移籍していたMF三原雅俊が復帰。東福岡高校からMF増山朝陽、早稲田大学からGK松澤香輝が新人として入団した。
年間を通して故障で主力を欠くことが多く、4月以降はホームゲームで勝ち星を稼げず、1stステージは13位と低迷。2ndステージ開幕前にフェフージンとの契約を解除し、入れ替わる形で柏FWレアンドロが2008年以来7年ぶりにチームに復帰。2ndステージ開幕戦では、そのレアンドロも得点をあげるなど5-0と圧勝するスタートしたが、4節から6節まで3連敗。この時期はホームとして使用するノエビアスタジアムのピッチコンディションが悪く、試合後の記者会見で、ネルシーニョが﹁リズムを作れなかったのはピッチコンディションが影響した﹂と苦言を呈するほどだった[26][27]。そのため、2ndステージ9節サガン鳥栖戦とナビスコカップ準々決勝柏レイソル戦は神戸ユニバー記念競技場に試合会場が変更された。9月から5連敗、2ndステージ14節時点で年間勝ち点15位と降格の可能性を残したが15・16節の残留を争うモンテディオ山形と松本山雅FCとの2連戦に連勝して残留を確定させた。ナビスコカップはベスト4、天皇杯はベスト8に入った。
- チームスローガン:一致団結~One Team, One Family, One Dream~
ネルシーニョ体制2年目。
奥井が大宮に、安田が名古屋、増川が札幌、ブエノが鹿島、森岡がポーランド・ヴロツワフ、チョン・ウヨンが中国・重慶力帆FCへそれぞれ完全移籍。マルキーニョスと和田が退団。
補強は、水戸からDF田中雄大を、鳥栖からMF藤田直之を、韓国・蔚山現代から韓国代表GKキム・スンギュを完全移籍で獲得。清水からDF村松大輔を期限付き移籍で獲得。栃木に期限付き移籍していたMF松村亮が復帰。ユースからDF藤谷壮、DF東隼也、MF中坂勇哉がトップチームへ昇格。関西学院大学から元ユース所属のMF小林成豪、阪南大学からMF松下佳貴が新卒入団した。また2月9日に磐田を退団したDF伊野波雅彦が4年ぶりに復帰することが発表された。2ndステージからSCインテルナシオナルからMFニウトンと浦和からDF橋本和が加入。
開幕戦は甲府に敗れたものの、2節の新潟戦で6-3の逆転勝利で初勝利。前年は怪我に泣かされたFWペドロ・ジュニオールが復調し、レアンドロとの2トップが固定されて以降は攻撃面は安定感を発揮したが、ボランチのコンビがなかなか定まらず、毎試合構成を変更を余儀なくされた。1stステージは12位と苦しんだが、2ndステージは前述したMFニウトンとDF橋本和を獲得。2ndステージ8節FC東京戦以降はリーグ戦8勝1分1敗と好成績を収めた。2ndステージ15節仙台戦で敗れたため、ステージ優勝の夢は途切れたものの、2ndステージを2位で終えた。年間成績は過去最高の7位。またFWレアンドロが19得点を挙げ、クラブ初のJリーグ得点王に輝いた。
- チームスローガン:一致団結~One Team, One Family, One Dream~
ネルシーニョ体制3年目。
相馬が引退、山本が千葉、高橋祥平が磐田、ペドロ・ジュニオールが鹿島、松澤が徳島、田中雄大が札幌へ完全移籍、松村が徳島、増山が横浜FCへ期限付き移籍、石津は期限付き移籍期間満了で福岡へ復帰、群馬へ期限付き移籍していた田代が退団した。
補強は、仙台からDF渡部博文、G大阪からMF大森晃太郎、FC東京からMF高橋秀人、湘南からFW大槻周平、ポルトガル1部リーグのスポルティングCPから昨年柏でプレーしたFW田中順也が完全移籍で加入。期限付き移籍だったDF橋本和が完全移籍で加入、吉丸、山口が期限付き移籍先から復帰した。また、元ドイツ代表FWルーカス・ポドルスキが加入して7月にチームへ合流。同じ7月にオランダ1部のADOデン・ハーグから、元日本代表FWハーフナー・マイクが加入した。
クラブ史上初の開幕4連勝を達成する好スタートを切ったものの、開幕戦で前年得点王のレアンドロが全治6か月の重傷を負うと︵9月の復帰目前で再び同じ箇所を負傷しシーズン絶望となった︶、4月中旬から下旬にかけて3連敗を喫するなど順位は低迷。ルーカス・ポドルスキが加入したものの、夏場に再び3連敗を喫し、8月16日にネルシーニョ監督との契約を解除し、吉田孝行ヘッドコーチが監督に就任した[28]。守備を安定させ、攻撃では孤立気味だったポドルスキを自由にプレーさせるなどしたものの、シーズンラスト3ゲームはいずれも黒星でシーズン3度目の3連敗となった。リーグでの順位は9位となり、2年連続での1桁順位となった。天皇杯は準決勝でC大阪に敗れた。
- チームスローガン:一致団結~To Become the No.1 CLUB in Asia~
吉田体制2年目。
岩波が浦和へ完全移籍したほか、ニウトンがブラジル・バイーアへ、高橋秀人が鳥栖へ、大森がFC東京へ、徳重が長崎へ、徳島へ期限付き移籍していた松村が長野へ、田中英雄が宮崎へ完全移籍。東が福島へ、山口が大分へ、小林がモンテディオ山形へ、ウエスクレイがブラジル・セアラーへ、向井がFC今治から復帰後MIOびわこ滋賀へそれぞれ期限付き移籍。
福岡でJ2リーグ19得点を挙げたFWウェリントンをはじめ、浦和で優勝経験もあるDF那須大亮、仙台で主力としてプレーしていたMF三田啓貴、11年ぶりの復帰となるGK荻晃太、2015年までプレーしていた韓国代表MFチョン・ウヨンを完全移籍で、タイ代表DFティーラトンを期限付き移籍で加入した。昨年2種登録されたユース出身FW佐々木大樹、びわこ成蹊スポーツ大学出身のDF宮大樹、青森山田高校出身のMF郷家友太から入団した。また、クラブのスポーツダイレクターに2007年まで在籍した三浦淳寛を迎えた。チームキャプテンにはルーカス・ポドルスキが就任。5月にはFCバルセロナから、スペイン代表MFアンドレス・イニエスタの完全移籍が発表された[29]。シーズン途中に徳島からDF大崎玲央とFC岐阜よりFW古橋亨梧を完全移籍で獲得。レアンドロが東京Vへ、チョン・ウヨンがアル・サッドへ完全移籍で退団。ハーフナー、小川がそれぞれ仙台、湘南へ期限付き移籍した。
新加入の三田、ウェリントンが早々にフィットしたことや、ルーキー佐々木・郷家といった若手選手の活躍、そしてワールドカップ後に加入したイニエスタの活躍もあり、一時は4位に浮上し、目標としたACL出場の可能性も現実味を帯びていたが、8月下旬から5連敗を喫し一気に順位を落とす。9月17日に吉田の監督契約を解除。アシスタントコーチの林健太郎を監督代行に据えて2試合を戦った後、後任としてフアン・マヌエル・リージョが就任した。残留の大一番となった31節名古屋戦を勝利するなど、シーズン終盤6試合で1敗で乗り切り、33節にJ1残留が確定した。
- チームスローガン:the No.1 Club in Asia ~ 一致団結 ~
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フィンク体制2年目。
ビジャ、那須、荻が現役を引退。橋本が岐阜へ、オマリがFC東京へ、宮が鳥栖へ、三原が柏へそれぞれ完全移籍。小林が横浜FCへ、増山が福岡へ期限付き移籍。その他、野田、ウェリントン、向井、ポドルスキ、ハーフナーが契約満了で退団した。
清水からドウグラス、筑波大学からDF山川哲史、山口からDF菊池流帆が加入。昨年期限付き移籍していたDF初瀬亮、MF中坂勇哉が復帰。
リーグ開幕に先駆けて開催されたFUJI XEROX SUPER CUP2020ではPK戦の末初優勝を飾った。コロナウイルスの中断期間やそれに伴うACLの日程変更などの影響で異例といえる過密な試合日程の中で勝ちきれない試合や試合終盤に競り負ける試合が多く、8月から9月にかけて7試合リーグ戦勝利なしとなった9月22日、家庭の事情でフィンクが退任。後任にはスポーツダイレクターの三浦淳寛が就任した[36]。三浦新体制ではビベスアシスタントコーチが指揮した試合も含めて4連勝スタートを切ったものの、その後が続かず、リーグ戦は29節から34節にかけて6連敗を喫してシーズンを終えた。年間14位勝ち点36は2014年昇格以来最低となった。
初挑戦となったACLでは、2月のジョホール・ダルル・タクジムFC戦︵後に大会を辞退したため無効試合︶、水原三星ブルーウィングスに1-0と勝利。その後11月に再開され、広州恒大にも勝利しグループリーグを突破。決勝トーナメントでは上海上港と水原三星を下したが、準決勝で蔚山現代FCに延長戦の末敗れ、ベスト4で敗退した。
三浦淳寛体制2年目。
西が浦和へ、小川が横浜FCへ、吉丸と藤谷が北九州へ完全移籍、渡部とダンクレーが契約満了で退団した。
東京Vから井上潮音、広島から廣永遼太郎、磐田から櫻内渚、前橋育英高校から櫻井辰徳、CRフラメンゴからリンコン、ケニア代表アユブ・マシカが加入。期限付き移籍していた小林友希と増山朝陽が復帰した。
シーズン途中に、古橋がスコットランドのセルティックへ、安井が町田へ、増山が大分へそれぞれ完全移籍し、藤本が清水へ期限付き移籍し、マシカが契約解除で退団した。8月に入り、ニューカッスル・ユナイテッドを退団した元日本代表FW武藤嘉紀、ヴェルダー・ブレーメンから日本代表FW大迫勇也、CFモントリオールを退団していた元バルセロナFWボージャン・クルキッチを獲得した。
前年の失点の多さや試合終盤での競り負けを改善し、逆に試合終盤で勝ち点を拾う・勝ち点3を奪い取る粘り強さを発揮。初瀬や中坂など出番の少なかった若手が出場機会を大きく伸ばした。ACL出場権を争う名古屋戦も、前半2点を先行されたがFW武藤・MFイニエスタの得点もあり勝ち点差を維持。下位チームとの試合での取りこぼしもなく、第37節横浜FM戦で試合には敗れたものの他会場の結果もあり、2度目のACL出場権を獲得した。21勝10分7敗勝ち点73でリーグ戦3位はクラブ史上最高成績を大幅に更新した。リーグ戦での連敗なしもクラブ史上初となった。
三浦淳寛体制3年目。
DFトーマス・フェルマーレンが退団︵後に現役引退︶、FWドウグラスが柏へ、FW田中順也が岐阜へ完全移籍し、GK伊藤が群馬へ、MF櫻井が徳島へそれぞれ期限付き移籍。
清水へ期限付き移籍していたFW藤本が復帰し、そのほか浦和からDF槙野智章、MF汰木康也、横浜FMからMF扇原貴宏を完全移籍で獲得。また新卒として中央大学からGK坪井湧也とユースからDF尾崎優成が加入した。開幕後の3月27日にFIFAの暫定措置でロシア・FCロストフとの契約が一時停止となっていたMF橋本拳人が6月30日までの期限付き移籍で、4月1日には相生学院高校からMF日髙光揮が加入した。
シーズン途中の7月に、鳥栖からMF飯野七聖、韓国・仁川からFWステファン・ムゴシャ、韓国・江原から元日本代表MF小林祐希、CRフラメンゴからDFマテウス・トゥーレルを期限付き移籍で獲得した。一方で、7月に契約を延長したMF橋本がスペイン・SDウエスカへ移籍し、FWリンコンがブラジル・クルゼイロECへ2023年末までの期限付き移籍でチームを離れた。
3月15日に行われたACLプレーオフ・メルボルン・ビクトリー戦を延長の末4-3で下し、4月からの本選出場を決めた。一方リーグでは開幕から勝ち星に恵まれず、FW武藤、MFサンペールらがそれぞれ故障で長期離脱する苦しい流れに逆らえずクラブワースト更新となる7試合未勝利となり、3月20日付で三浦が契約解除となった。4月2日、6日の2試合はリュイス・プラナグマが暫定監督として指揮を執り、4月8日にミゲル・アンヘル・ロティーナが新監督として就任した。4月中旬より行われたACLグループリーグ4試合は2勝2分の戦績でグループステージを突破した。5月14日に行われた第14節のサガン鳥栖戦で開幕から12試合目にしてようやく初勝利を挙げた。しかしながらその後も流れに乗れず、前半戦17試合でわずか2勝と浮上のきっかけを見いだせないまま、第18節浦和レッズ戦後の6月29日、9試合で2勝1分6敗の責任を取らせる形でロティーナとの契約解除を発表。シーズン4人目の新指揮官として同クラブOBで2度指揮を執った経験のある吉田孝行が就任すると発表した。吉田就任後はリーグ戦3連勝を飾るなど順調な滑り出しを見せた。8月に集中開催されたACL決勝トーナメントはラウンド16の横浜FM戦に3-2で勝利し、ベスト8に進出。ラウンド8の全北現代モータース戦は延長の末1-3で敗れた。9月7日天皇杯準々決勝鹿島アントラーズ戦で敗北しシーズンの無冠が確定したものの、直後のリーグ戦以降は怪我から完全復活した大迫や途中加入の小林祐希の活躍もあり、残留争いをしていたG大阪、福岡との直接対決に勝利するなど2008年以来となる5連勝を達成した。10月22日に行われた静岡ダービーが引き分けに終わり、残り2試合を残して16位との勝ち点差が7に広がった為、来季J1残留が確定した。リーグ戦15試合消化時点での勝ち点一桁代からのJ1残留は2008年の千葉、2018年名古屋に次ぐ3例目となった。残留が決まって臨んだ上位川崎・横浜FM戦は2連敗で終え、勝ち点40の13位とシーズン前に期待された結果とは遠く及ばない結果でシーズンを終えた。
DF槙野が現役引退を表明したほか、FWボージャンが契約満了に伴い退団。GK伊藤とDF櫻内がFC今治、GK飯倉が横浜FM、DF小林友がセルティック︵スコットランド︶、MF小林祐が札幌、MF郷家が仙台、MF井上が横浜FC、FW藤本が鹿児島、FW小田がハート・オブ・ミドロシアンFCへ完全移籍。前年徳島へ期限付き移籍していたMF櫻井は引き続き徳島へ期限付き期限を延長した。
戦力補強として、京都からDF本多勇喜、東京VからMF井出遥也、C大阪からFWジェアン・パトリッキが完全移籍で加入し、湘南から齊藤未月、ポルティモネンセSC︵ポルトガル︶からFW川﨑修平が期限付き移籍で加入した。東福岡高校からMF浦十蔵、びわこ成蹊スポーツ大学からMF泉柊椰が入団。ユースからDF寺坂尚悟、MF安達秀都、FW冨永虹七が昇格。シーズン開幕後、町田から高橋祥平が期限付き移籍で加入。9月3日、ガラタサライSK︵トルコ︶を退団した元スペイン代表のMFフアン・マタ、フェレンツヴァーロシュTCからハンガリー代表のMFバーリント・ヴェーチェイを完全移籍で獲得[37][38]。
前年終盤にフィットした大迫をターゲットとするサッカーに移行。現代サッカーらしい走れて強い選手を集めた。攻撃では大迫や武藤が個人レベルの高さを発揮し、怪我なく戦い続けたことで、チームは首位を走ったが、消化試合数が1試合少ない中、迎えたシーズン前半戦折り返しのセレッソ大阪戦で敗戦。首位から陥落したものの2位で折り返した。シーズン途中の7月に入団以来クラブの顔としてプレーしてきた主将MFイニエスタとサンペールが双方合意の元で退団し、ムゴシャが古巣仁川へ移籍した。
大迫、山口、武藤、酒井ら元日本代表の実力者がハードワークを厭わなかったことでチームは一丸となった。前線からの守備を志向する同じスタイルの相手との対戦では、元日本代表のメンタル、経験、技術の差で競り勝つことができた。MF齊藤未月が不運な大怪我を負った以外は怪我人が少なく、シーズン後半戦もチームは安定し、28節からの上位対決を全て制した[39][40][41]。
大迫は11月12日に埼玉スタジアム2002で行われた第32節の浦和戦で、後半アディショナルタイムにゴールキーパーの西川周作がセットプレーで上がっていた隙を突き、前川からのロングボールを受けてそのまま流し込み、1997年に永島昭浩が記録して以来26年ぶりとなるシーズン22ゴール目を決め、チームのJ1最多得点記録に並んだ[42]。その後、第33節の名古屋戦では井出遥也と武藤のゴールで2-1の勝利。創設29年目、Jリーグ参入27年目で悲願のJ1リーグ初優勝を決め、2019年度の天皇杯に続く2つ目のタイトルを獲得した[43][注釈1]。参入20年目だった2012年の広島を上回る最も遅い初優勝となった。また前年13位からの優勝は、昇格1年目で優勝した柏とG大阪の例を除いては、2019年の横浜FM︵前年12位︶を上回る最大の躍進となった[44]。シーズンオフに開催されたJリーグアウォーズでは、クラブ史上最多の4人︵酒井、山口、武藤、大迫︶がベストイレブンに選ばれ、大迫は神戸所属選手として初めての最優秀選手賞︵MVP︶受賞となり、個人3冠︵得点王・ベストイレブン・MVP︶を達成した。
成績
タイトル・表彰
クラブ(国内)
その他タイトル
個人別
- J1リーグ
- 得点王
- ベストイレブン
- フェアプレー個人賞
- 年間優秀監督賞
- 最優秀ゴール賞
- 月間MVP
- 2016年9月度 - レアンドロ
- 2021年6月度 - 古橋亨梧
- 2021年10月度 - アンドレス・イニエスタ
- 2023年11・12月度 - 大迫勇也
- 月間ベストゴール
- 月間優秀監督賞
- 2021年7月度 - 三浦淳寛
- 2021年10月度 - 三浦淳寛
- 2023年11・12月度 - 吉田孝行
- J2リーグ
スタジアム・練習場
チケットの価格設定
ヴィッセル神戸は2009年シーズンから2016年シーズンまでの間、リーグ戦において対戦相手によってチケット価格が異なる制度を導入していた(カップ戦は設定なし)。A価格はB価格に比べて大人で1,000円、小中生で500円高い。なお、各年度のカテゴリの対象クラブは下表の通りだった。2017年は設定がなくなり、その後はダイナミックプライシングが導入されている。
年度 |
所属 |
A価格 |
B価格
|
2009
|
J1
|
浦和、FC東京、横浜FM、G大阪 |
山形、鹿島、大宮、千葉、柏、川崎、新潟、清水、磐田、名古屋、京都、広島、大分
|
2010 |
鹿島、浦和、G大阪、広島 |
仙台、山形、大宮、FC東京、川崎、横浜FM、湘南、新潟、清水、磐田、名古屋、京都、C大阪
|
2011 |
浦和、G大阪、C大阪 |
仙台、山形、鹿島、大宮、柏、川崎、横浜FM、甲府、新潟、清水、磐田、名古屋、広島、福岡
|
2012 |
浦和、名古屋、G大阪、広島 |
札幌、仙台、鹿島、大宮、柏、FC東京、川崎、横浜FM、新潟、清水、磐田、C大阪、鳥栖
|
2013
|
J2
|
設定無し
|
2014
|
J1
|
浦和、G大阪、C大阪、広島 |
仙台、鹿島、大宮、柏、FC東京、川崎、横浜FM、甲府、新潟、清水、名古屋、徳島、鳥栖
|
2015
|
鹿島、浦和、柏、松本、名古屋、G大阪 |
仙台、山形、FC東京、川崎、横浜FM、湘南、甲府、新潟、清水、広島、鳥栖
|
2016
|
鹿島、浦和、G大阪、広島 |
仙台、大宮、柏、FC東京、川崎、横浜FM、湘南、甲府、新潟、磐田、名古屋、福岡、鳥栖
|
2017
|
設定無し
|
ユニフォーム
ユニフォームの色
カラー
|
シャツ
|
パンツ
|
ストッキング
|
FP(1st)
|
黒/臙脂
|
臙脂
|
臙脂
|
FP(2nd)
|
白
|
臙脂
|
白
|
GK(1st)
|
緑
|
緑
|
緑
|
GK(2nd)
|
水色
|
水色
|
水色
|
|
|
|
チームカラー
チームカラーの変遷
●創立 - 1995年5月‥白︵ ︶、黒︵ ︶、オレンジ︵ ︶
●前身の川崎製鉄サッカー部のチームカラーは赤︵ ︶。
●1995年6月 - 2004年12月‥白︵ ︶、黒︵ ︶、ヴィッセルブルー︵ ︶
●白‥フェアプレー、黒‥力強さと闘争心、ヴィッセルブルー‥神戸の海と希望
●白と黒の縦縞︵ヴィッセルストライプ︶は協調を表し、黒が全ての光︵市民の声、支援︶を吸収し、白がそれを発していくことを意味。
●2002年から2004年までアウェー用ユニフォームに採用されたシルバーは﹁パールのごときチームの珠玉の輝き﹂を表していた。
●2004年3月、ヴィッセルの経営権を2月に取得︵経緯は上述︶した株式会社クリムゾンフットボールクラブは、﹁停滞してきた経営イメージの払拭﹂や﹁力強いパッション︵情熱︶の表現﹂などを理由として、2005年からチームカラーを﹁クリムゾンレッド︵臙脂︶﹂を基調としたものに変更すると発表した[47]。2004年12月、新しいロゴ、エンブレムおよび2005年シーズンのユニフォームなどが発表された[48]。
ユニフォームのうつりかわり
●1997年から1998年の2シーズン、袖スポンサーの下部にJリーグから特例として認められたメッセージワッペン、﹁明日へ!!神戸﹂を付けていた。同じ神戸を本拠地とするプロ野球・オリックス・ブルーウェーブは﹁がんばろうKOBE﹂と付けていた。
●1995年第4回JFLリーグ戦前期(5月-7月末)は袖スポンサーがなかった。さらに、1999年から2003年3月まで胸スポンサーがなく、チームロゴを付けていた。
●2005年は阪神・淡路大震災から10年の節目を迎えるにあたり、神戸市主催の﹁震災10年 神戸からの発信﹂事業に協賛し、オリジナルロゴを右袖のJリーグマークの下部に付けていた。
●2005年から、背番号の下部に選手名が入るようになった。
●2008年から、右袖のJリーグマークの下部に地域名﹁KOBE﹂が入るようになった。
●2010年から、GKユニフォームのみ3rdユニフォーム︵シャツ‥緑、パンツ‥緑、ストッキング‥緑︶を使用。
●2007年から2009年まで番号の縁取り、2008年から2009年までユニフォームのパイピングに﹁ゴールド﹂が使用。
●2010年から2012年までユニフォームのパイピングに﹁ベージュ﹂が使用。
●2015年のGKユニフォームの2ndのカラーリングは、従来の緑色ではなく青色を採用。それに伴い1stのカラーリングが黄色から緑色に変更された[49]。なお、黄色は2015年のスペシャルユニフォームのGKのカラーリングとして採用された。[50]
●2016年は1stユニフォームとして黒を基調としたストライプ柄を12年ぶりに採用[51]。ユニフォームの袖部分にクラブ名の由来にもなっている船のシルエット、裾部分に錨マークがプリントされている。また、GKユニフォームの2ndのカラーリングが青から黄色へと戻っている。
●2015年から襟の内部にロゴがつけられるようになり、2015年は﹁VISSEL 20 YEARS﹂、2016年は﹁一致団結﹂のロゴがつけられている。
●2018年はクラブ初となるフィールドプレーヤーの3rdユニフォームを採用。3rdユニフォーム採用に伴い2ndユニフォームは白ではなく水色となっている。
●2022年のACLユニフォームはリーグ戦ユニフォームからサイドパネルのカラーを変更したものが使用されていたが、AFCよりユニフォームデザインの一部がACLのレギュレーションに反すると指摘が入ったため、菱形に六甲山と神戸ポートタワーのイラストが入った部分を削除し、﹁Rakuten﹂ロゴのみにしたものがノックアウトステージにて使用された[52]。
スペシャルユニフォーム
●2014年
●当時の運営会社であった株式会社クリムゾンフットボールクラブの10周年を記念して緑を基調としたユニフォームを採用。川崎重工業が協賛する試合[注釈2] で着用[53]。スペシャルユニフォームで唯一夏季以外のホームゲームで着用された︵第32節横浜FM戦︶。
●2015年
●クラブ創立から20年を記念して神戸の夜景をイメージした黒いユニフォームを採用[54]。2ndステージのホーム5試合で着用[注釈3]。ちなみに、GKユニフォームは神戸の朝焼けをイメージしている。
●2017年
●神戸港の開港150周年を記念し、神戸市民の花である紫陽花をモチーフとしたピンクと紫のツートンカラーのユニフォームを採用[55]。夏季のホーム4試合で着用[注釈4]。GKユニフォームは2ndユニフォームと同じ黒だがスペシャルユニフォームに合わせたデザインとなっている。
●2020年
●クラブ創立から25年を記念して創立~2004年まで使用していた黒と白のストライプユニフォームを採用[56]。夏季のホーム3試合で着用[注釈5]。黄と水色のGKユニフォームもスペシャルユニフォームに合わせたデザインとなっている。
ユニフォームスポンサー
掲出箇所 |
スポンサー名 |
表記 |
掲出年 |
備考
|
胸
|
楽天モバイル |
Rakuten Mobile |
2023年 - |
|
鎖骨
|
ビショップ |
DANTON |
2024年 - |
左側に表記
|
セイバン |
SEiBAN |
2024年 - |
右側に表記
|
背中上部
|
シュゼット |
アンリ・シャルパンティエ |
2019年 - |
2016年 - 2018年は背中下部 2019年のFP 1st・3rd / GK 1stは「HENRI CHARPENTIER」表記
|
背中下部
|
川崎重工業 |
Kawasaki |
2019年 - |
2003年は胸 2004年 - 2018年は背中上部 2014年は「Kawasaki Powering your potential」表記 2015年 - 2017年の2nd / GK 3rd及び 2014年 - 2015年の特別ユニフォームは「川崎重工」表記
|
袖
|
ノエビア |
NOEVIR |
2016年 - |
|
パンツ前面
|
デジアラホールディングス |
デジアラ HOLDINGS (1st / GK 1st) エクスショップ (2nd / GK 2nd) |
2023年 - |
2022年はパンツ背面 2022年は1stは「エクスショップ」、3rdは「デジアラ HOLDINGS」表記 2023年は2nd / GK 2ndは「ガーデンプラス」表記
|
パンツ背面
|
楽天toto |
Rakuten toto |
2024年 - |
2018年 - 2023年は鎖骨右側
|
ユニフォームサプライヤーの遍歴
- 1995年 - 1996年:アシックス
- 1995年のみサテライトリーグではミズノ製を着用。
- 1997年 - 1998年:アディダス
- 1999年 - 現在:アシックス
歴代ユニフォーム
歴代ユニフォームスポンサー表記
スポンサー
アカデミー
創設時に、神戸フットボールクラブからユース・ジュニアユースを移管して、アカデミーが発足した[58]。
2005年、育成支援個人協賛会﹁Vitamin Club︵ヴァイタミンクラブ︶﹂が発足した[59]。
2006年、伊丹ジュニアユースチームを設立[60]。
2009年3月、﹁いぶきの森球技場﹂に近い神戸市西区櫨谷町福谷に選手寮︵通称‥三木谷ハウス︶が完成した。総工費は約2億3,000万円で全額を三木谷が負担し、前札幌GMの村野晋が寮長に、また夫人である村野明子が寮母となった。また、育成部長の黒田和生がユース監督に就任した[61][62]。
2011年12月、地域のスポーツ活動の普及・育成に寄与することを目的に、一般社団法人ヴィッセル神戸スポーツクラブが創設された[63]。
出身選手
主なタイトル
ユース
- 優勝2回(1999, 2013)
- 優勝2回(2013, 2017)
- 優勝1回(2011)
- 優勝3回(2006, 2009, 2011)
ジュニアユース
- 優勝1回(2009年)
- 優勝1回(2009年)
メディア
決算
損益
年度 |
リーグ |
収入 |
広告料 |
入場料 |
配分 |
その他 |
費用 |
事業費 |
人件費 |
管理費 |
利益 |
純利益
|
2005 |
J1 |
1,876 |
692 |
439 |
250 |
495 |
3,105 |
2,621 |
1,500 |
484 |
-1,228 |
-1,054
|
2006 |
J2 |
1,362 |
528 |
215 |
134 |
482 |
2,031 |
1,600 |
1,024 |
430 |
-669 |
-488
|
2007 |
J1 |
1,865 |
660 |
329 |
243 |
633 |
2,422 |
1,926 |
1,317 |
496 |
-557 |
-75
|
2008 |
J1 |
2,026 |
725 |
392 |
227 |
682 |
2,505 |
2,019 |
1,369 |
486 |
-479 |
-354
|
2009 |
J1 |
2,446 |
715 |
421 |
228 |
1,082 |
2,722 |
2,273 |
1,545 |
449 |
-276 |
-538
|
2010 |
J1 |
2,035 |
710 |
401 |
210 |
714 |
2,275 |
1,810 |
1,167 |
465 |
-240 |
-53
|
年度 |
リーグ |
収益 |
広告料 |
入場料 |
配分 |
育成 |
その他 |
費用 |
人件費 |
試合 |
トップ |
育成 |
女子 |
販売 |
利益 |
純利益
|
2011 |
J1 |
2,059 |
708 |
392 |
206 |
219 |
534 |
2,149 |
1,010 |
186 |
243 |
100 |
0 |
610 |
-90 |
-133
|
2012 |
J1 |
2,250 |
742 |
454 |
202 |
225 |
627 |
2,364 |
1,157 |
176 |
264 |
107 |
0 |
660 |
-114 |
-296
|
2013 |
J2 |
1,960 |
682 |
339 |
104 |
231 |
604 |
2,401 |
1,160 |
187 |
304 |
115 |
0 |
635 |
-441 |
-370
|
2014 |
J1 |
2,471 |
945 |
486 |
211 |
247 |
582 |
2,954 |
1,348 |
215 |
439 |
124 |
0 |
828 |
-483 |
1,746
|
2015 |
J1 |
3,663 |
2,198 |
425 |
188 |
240 |
612 |
3,561 |
1,767 |
271 |
496 |
111 |
0 |
916 |
102 |
11
|
年度 |
リーグ |
収益 |
広告料 |
入場料 |
配分 |
育成 |
物販 |
その他 |
費用 |
人件費 |
試合 |
トップ |
育成 |
女子 |
物販 |
販売 |
利益 |
純利益
|
2016 |
J1 |
3,865 |
2,221 |
427 |
190 |
219 |
130 |
678 |
3,823 |
2,068 |
337 |
171 |
70 |
0 |
143 |
1,034 |
42 |
29
|
出典: 各年度のJクラブ決算一覧。
2016
現在、技術上の問題で一時的にグラフが表示されなくなっています。 |
資産
年度 |
総資産 |
総負債 |
純資産 |
資本金
|
2005 |
3,382 |
5,593 |
2,210 |
98
|
2006 |
2,809 |
2,638 |
170 |
98
|
2007 |
1,012 |
917 |
95 |
98
|
2008 |
829 |
1,089 |
-259 |
98
|
2009 |
1,441 |
2,247 |
-806 |
98
|
2010 |
913 |
1,774 |
-861 |
98
|
2011 |
909 |
1,865 |
-956 |
98
|
2012 |
788 |
2,040 |
-1,252 |
98
|
2013 |
610 |
2,231 |
-1,622 |
98
|
2014 |
679 |
556 |
122 |
98
|
2015 |
1,220 |
1,087 |
133 |
98
|
2016 |
1,371 |
1,208 |
163 |
98
|
現在、技術上の問題で一時的にグラフが表示されなくなっています。 |
脚注
注釈
(一)^ 神戸が11クラブ目のJ1リーグ優勝を果たしたことにより、Jリーグの優勝クラブ数が1993年のJリーグ開幕時のチーム数︵オリジナル10︶を上回った。
(二)^ 第15節鳥栖戦と第32節横浜FM戦。
(三)^ 第4節G大阪戦、第5節広島戦、第7節川崎F戦、第9節鳥栖戦、第11節新潟戦
(四)^ 第18節仙台戦、第19節大宮戦、第21節鹿島戦、第23節横浜FM戦
(五)^ 第13節横浜FM戦、第16節FC東京戦、第25節C大阪戦
出典
関連項目
ウィキメディア・コモンズには、
ヴィッセル神戸に関連するカテゴリがあります。
外部リンク