伊藤ミカ

日本の舞踏家 (1936-1970)

  1936111 - 1970111
いとう みか
伊藤 ミカ
本名 伊藤君子(旧姓:川島)
生年月日 (1936-11-01) 1936年11月1日
没年月日 (1970-01-11) 1970年1月11日(33歳没)
出生地 埼玉県
国籍 日本の旗 日本
民族 日本人
職業 教師舞踊家
ジャンル バレエ
活動期間 1958年 - 1970年
配偶者 伊藤文學
主な作品
O嬢の物語」「愛奴」「雪女
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O

1958

来歴

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生い立ち

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19551957719571958

舞踏活動の開始

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1958 1965O

『O嬢の物語』と退職

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O PTA53







退退退

196710O12

1968311

『愛奴』以後の活動

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1968年12月、栗田勇の原作を舞踊化した「愛奴」を発表する。前年の「O嬢の物語」と合わせてミカの知名度は上昇し、各方面から出演依頼が入るようになり、1969年にはゴーゴークラブ「スペース・カプセル」のレギュラー出演者となり、複数の作品を上演。他にも映画の宣伝イベント、週刊誌の特集などにも登場した。5月には東京都美術館にて開催された第9回現代日本美術展に出品された、五月女幸雄の作品『商品1969・5』に参加。ガラスケースの中に衣装を着た生身の女性が横たわっているというものであり、ミカも自前の舞台衣装で出演していたが、最終日には下着と鎖だけをまとった半裸の姿で展示されて物議をかもした。 またこの1969年にはフジテレビの番組「3時のあなた」に出演依頼もあったが、最終的には局側の都合で中止となった。

死とその後

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雑誌の対談記事等でミカの知名度は高まっていたが、1970年1月11日、自宅の風呂場で入浴中に死亡しているミカの姿が発見された。死因は一酸化中毒によるもので、遺体は「愛奴」の舞台で使用された棺に納棺された。

死の翌年の1971年、ミカを題材にした丸川賀世子の小説「被虐の舞踏家」が小説現代に掲載された。

2003年に出版された『AQUIRAX UNO POSTERS 1959‐1975―宇野亜喜良60年代ポスター集』の表紙には、「O嬢の物語」が使用された。

2009年6月には、伊藤文學による伝記『裸の女房-60年代を疾風のごとく駆け抜けた前衛舞踊家・伊藤ミカ』が出版された。これは丸川賀世子が保管していた資料が転居の際に30年ぶりに発見され、伊藤文學の元に返却された結果である。本人の没後、実に39年の後であった。

年表

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  • 1936年 埼玉県に生まれる
  • 1955年 日本女子体育短期大学入学
  • 1957年 短大卒業後、世田谷区の中学校に保健体育の教師として赴任
  • 1958年 伊藤文學と結婚し、伊藤姓となる。邦千谷舞踊研究所に通い始める
  • 1964年 1児を出産
  • 1967年 「O嬢の物語」を発表
  • 1968年 中学校を退職、「愛奴」を発表
  • 1969年 ゴーゴークラブ、映画の宣伝イベント、現代美術展などに精力的に出演
  • 1970年 「雪女」を発表直後、一酸化炭素中毒により死亡。享年33。

主な出演作品

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  • 「O嬢の物語」(1967)
  • 「愛奴」(1968)
  • 「愛奴の幻想から」(1969)
  •  映画「マルキ・ド・サドのジュスティーヌ」の宣伝イベント(1969)
  • 「日本初のサイケ・ショウ、エレクトリック・サーカス」(1969)
  • 『商品1969・5』(1969) - 五月女幸雄作、第9回現代日本美術展出展作品
  • 「迷宮の歌」(1969)
  • 「ハイライトの空」(1969)
  • 静かの海の恐怖」(1969)
  • 「雪女」(1970)

参考文献

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  •  伊藤文學『裸の女房-60年代を疾風のごとく駆け抜けた前衛舞踊家・伊藤ミカ』(彩流社、2009年) ISBN 978-4-779-11434-2

関連文献

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  •  宇野亜喜良『AQUIRAX UNO POSTERS 1959‐1975―宇野亜喜良60年代ポスター集』(ブルースインターアクションズ、2003年)ISBN 978-4-860-20071-8

関連項目

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