原田 大六(はらだ だいろく、1917年1月1日 - 1985年5月27日)は、日本の考古学者。伊都歴史資料館(伊都国歴史博物館の前身)名誉館長。

原田大六
生誕 1917年(大正6年)1月1日
福岡県糸島郡前原町
死没 (1985-05-27) 1985年5月27日(68歳没)
福岡県糸島郡前原町
国籍 日本の旗 日本
研究分野 考古学歴史学(日本古代)
研究機関 無し
出身校 福岡県立糸島中学校
(現・福岡県立糸島高等学校
主な業績 平原遺跡の発掘調査
弥生時代古墳時代における国家研究
糸島郡朝倉郡の文化財保護 他
主な受賞歴 西日本文化賞(1984年)
プロジェクト:人物伝
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来歴

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人物

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  • その強烈な個性と攻撃的な論調から、ケンカ大六の異名を持っていた。特にアカデミズムに対する批判精神は凄まじく、著書では各地の大学教授を名指しで批判することをためらわず、著書『万葉革命』の序文では「真理を愛する若い全国の学生諸君に訴える。骸骨がネクタイを締め、背広を着て、教壇に立ち、骸骨万葉学の講義を行い、学生諸君を骸骨化しようとしている。」と述べている。
  • 自宅の表札の下には「面会謝絶」と書いた札を掲げ、電話は「うるさくて集中できない」という理由で家に置くことを許さなかった。テレビにいたっては、毎年年末になると電気屋がアンテナの修理に来て、正月にドラマをいくつか見た後は再びアンテナを破壊する徹底振りであった。

著作

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著書

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論文

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  • 「福岡県石ヶ崎の支石墓を含む原始墓地」 『考古学雑誌』第38巻第4号 日本考古学会 1952年
  • 神籠石の諸問題」 『考古学研究』第6巻第3号(23号) 考古学研究会 1959年
  • 「鋳鏡における湯冷えの現象について一伝世による手磨れの可否を論ず」 『考古学研究』第6巻第4号(24号) 考古学研究会 1959年
  • 「平形銅剣の形成と編年」『考古学雑誌』第47巻第2号 日本考古学会 1961年
  • 「雷山神籠石の列石考」 『古代学研究』第28号 古代学協会 1961年
  • 「抉入片刃石器乃再検討」 『古代学研究』第34 - 35号 古代学協会 1963年
  • 「考古学における事象と物象 -考古学から歴史学への方法論的基礎づけ-」 『考古学研究』第9巻第4号(36号) 考古学研究会 1963年
  • 「福岡県「平原弥生古墳」の問題点」 『古代学研究』第42・43号 古代学協会 1966年

参考文献

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外部リンク

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