吉祥寺オデヲン
東京都武蔵野市吉祥寺南町にある映画館
(吉祥寺東亜会館から転送)
吉祥寺オデヲン︵きちじょうじオデオン︶は、日本の映画館である[1][2][3]。東亜興行が1954年︵昭和29年︶9月、東京都武蔵野市の吉祥寺地区に吉祥寺オデヲン座︵きちじょうじオデオンざ︶として開館[1][4][5][6][7][8][9]、1978年︵昭和53年︶10月には、同地を吉祥寺東亜会館︵きちじょうじとうあかいかん︶に建替えて、同館のほか吉祥寺スカラ座︵きちじょうじスカラざ︶、吉祥寺セントラル︵きちじょうじセントラル︶、吉祥寺東宝︵きちじょうじとうほう︶の各映画館を開館、パチンコ店吉祥寺ゲームセンターを同会館内に開業・経営した[1][10][11][12]。2012年︵平成24年︶1月21日、同会館内の映画館をすべて現館名に統一[2][3]、9月1日からは3スクリーンとした[13]。東亜興行の現在経営する唯一の映画館事業場である[1][2]。
吉祥寺オデヲン Kichijoji Odeon | |
---|---|
吉祥寺オデヲンビル | |
店舗概要 | |
所在地 |
〒180-0003 東京都武蔵野市吉祥寺南町2丁目3番16号 |
開業日 | 1978年10月 |
建物名称 | 吉祥寺東亜会館 |
施設所有者 | 東亜興行株式会社 |
中核店舗 | 映画館(吉祥寺オデヲン)、パチンコ店(オリエンタルパサージュ吉祥寺) |
営業時間 | 各階によって異なる |
前身 | 吉祥寺オデヲン座 |
最寄駅 | 吉祥寺駅 |
外部リンク | http://cinemaodeon.jp/ |
吉祥寺オデヲン Kichijoji Odeon | |
---|---|
情報 | |
正式名称 | 吉祥寺オデヲン |
旧名称 |
吉祥寺オデヲン座 吉祥寺スカラ座 吉祥寺東宝 吉祥寺セントラル |
完成 | 1978年 |
開館 | 1978年10月 |
収容人員 | (3スクリーン)719人 |
設備 | 5.1chデジタルサウンド |
用途 | 映画上映 |
運営 | 東亜興行株式会社 |
所在地 |
〒180-0003 東京都武蔵野市吉祥寺南町2丁目3番16号 吉祥寺東亜会館内 |
アクセス |
JR吉祥寺駅中央口よりすぐ (アトレ吉祥寺向かい) |
沿革
編集- 1954年9月 - 吉祥寺オデヲン座を新築・開館[1]
- 1978年10月 - 上記跡地に吉祥寺東亜会館を新築・開業、会館内に吉祥寺松竹オデヲン(地下1階)、吉祥寺スカラ座(3階)、吉祥寺セントラル(5階)、吉祥寺アカデミー(2階)の4館を開館、吉祥寺ゲームセンターを開業[1]
- 1981年前後 - 吉祥寺松竹オデヲンを吉祥寺松竹、吉祥寺アカデミーを吉祥寺アカデミー東宝と改称[10]
- 1990年前後 - 吉祥寺松竹を吉祥寺オデヲン座と改称[11]
- 2012年1月21日 - 同会館内の全4つの映画館を吉祥寺オデヲンと統一して改称[3]
- 2012年8月31日 - 同会館内の地下の映画館を廃止、全3スクリーンとなる[3][13]
データ
編集概要
編集オデヲン・チェーンの時代
編集
1954年︵昭和29年︶9月、東亜興行が、国鉄︵現在のJR東日本︶中央線の吉祥寺駅東口︵線路南側︶至近に、木造の映画館吉祥寺オデヲン座を新築・開館する[1]。1949年︵昭和24年︶8月に開館した阿佐ヶ谷オデヲン座、中野オデヲン座︵1949年開館︶、新宿オデヲン座︵1951年開館︶、荏原オデヲン座︵1952年開館︶、下北沢オデヲン座︵1952年開館︶、そして同館と同月に開館した高円寺平和劇場に次ぐ開館であり、同社が形成する外国映画︵洋画︶の三番館、つまりロードショーを終えた作品をその2週後に上映するチェーンである﹁オデヲン・チェーン﹂の一角に位置づけられる。同館では、たとえば1956年︵昭和31年︶3月26日からの週には、前年1955年︵昭和30年︶12月23日に日本で公開された﹃ミスタア・ロバーツ﹄︵監督ジョン・フォード︶[14]、同じく前年11月1日に日本で公開された﹃七年目の浮気﹄︵監督ビリー・ワイルダー︶[15] を二本立てで上映している[注釈1]。
同館が開館する前の吉祥寺地区、とくに第二次世界大戦前の同地区に存在した映画館は、1926年︵大正15年︶前後に、井の頭公園通り︵現在の吉祥寺通り︶に吉祥寺館として開館した井の頭会館︵東京府北多摩郡武蔵野村大字吉祥寺2047番地、現在の東京都武蔵野市吉祥寺本町1丁目8番︶のみであった[16][17][18][19][20][21][22]。戦後は、戦前からの井の頭会館、そして吉祥寺オデヲン座のほか、1957年︵昭和32年︶までに武蔵野映画劇場︵1951年開館、のちの吉祥寺ムサシノ→吉祥寺バウスシアター︵2014年閉館︶、吉祥寺本町1丁目11番23号[23]︶、吉祥寺映画劇場︵1953年開館︶、吉祥寺東映︵1956年開館、現在の吉祥寺プラザ、吉祥寺本町1丁目11番19号[24]︶、吉祥寺大映︵現在の吉祥寺本町1丁目5番︶、吉祥寺スバル座︵現在の吉祥寺南町1丁目6番︶の合計7館が存在した[25]。1959年︵昭和34年︶までには、吉祥寺東宝︵のちの吉祥寺ロマン劇場、現在の吉祥寺本町1丁目23番︶、吉祥寺日活︵現在の吉祥寺本町1丁目5番︶、武蔵野シネマ、吉祥寺名画座︵のちのテアトル吉祥寺、吉祥寺ピカデリー、現在の吉祥寺本町1丁目22番︶が加わり、増減あって合計では10館になった[6]。
複数スクリーンの時代
編集
1978年︵昭和53年︶、同館を休館、建て壊して改築し、同年10月、同館の跡地に吉祥寺東亜会館を新築・開業、同会館内に吉祥寺松竹オデヲン︵地下1階、のちの吉祥寺松竹、吉祥寺オデヲン座︶、吉祥寺スカラ座︵3階︶、吉祥寺セントラル︵5階︶、吉祥寺アカデミー︵2階、のちの吉祥寺東宝︶の4館を新たに開館、1階には吉祥寺ゲームセンターを開業、東亜興行が直営した[1][10]。このころには吉祥寺地区にはほかに、吉祥寺名画座、吉祥寺ムサシノ、吉祥寺東映、吉祥寺東宝の4館があり、合計して8館になった[9]。1981年︵昭和56年︶前後には、吉祥寺松竹オデヲンを吉祥寺松竹、吉祥寺アカデミーを吉祥寺アカデミー東宝と改称、それぞれ松竹系・東宝系の新作を公開するロードショー館として機能した[10]。このころには吉祥寺名画座がテアトル吉祥寺︵のちの吉祥寺ピカデリー︶、吉祥寺東宝が吉祥寺ロマン劇場にそれぞれ改称していた[10]。のちに吉祥寺アカデミー東宝は吉祥寺東宝と改称しており、1990年︵平成2年︶前後には、吉祥寺松竹を吉祥寺オデヲン座と改称、統一前の最終的な同会館内の映画館の名称が出揃った[11]。このころには、同会館のほかの映画館は、吉祥寺ロマン劇場はすでになく︵1989年3月31日閉館︶、吉祥寺ムサシノは改装して吉祥寺バウスシアターとジャヴ50に分割、テアトル吉祥寺、吉祥寺東映劇場があった[11]。
2012年︵平成24年︶1月21日、同会館内の全4つの映画館を吉祥寺オデヲンと改称[3]。8月31日には地下1階にあった映画館︵旧吉祥寺オデヲン座、観客人員220名︶を廃止し全3スクリーンとなり、現在に至る[3][13]。地下1階の映画館跡には1階同様、パチンコ店﹁オリエンタルパサージュ吉祥寺﹂が入居している[26]。同年の時点で同地区では、同館のほかに吉祥寺バウスシアター︵3スクリーン︶[23]、吉祥寺プラザ︵1スクリーン︶[24] の合計3サイト・7スクリーンが存在していたが、バウスシアターが2014年︵平成26年︶6月10日に完全閉鎖されたため、同地区内の映画館は2サイト・4スクリーンに減少している。
吉祥寺東亜会館
編集
吉祥寺東亜会館︵きちじょうじとうあかいかん︶は、日本の総合レジャービルである[1][2]。1978年︵昭和53年︶10月、東亜興行が新築・開業した[1]。同館には、現在、同社が経営する映画館﹁吉祥寺オデヲン﹂3スクリーン等が入居する[1][2][3]。
下記の表は、フロアのおもな変遷である。
フロア | 2013年 | 2011年 | 1989年 | 1981年 | 1978年 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|
5階 | 吉祥寺オデヲン[3] | 吉祥寺セントラル | 吉祥寺セントラル | 吉祥寺セントラル | 吉祥寺セントラル | |
4階 | - | - | - | - | - | |
3階 | 吉祥寺オデヲン[3] | 吉祥寺スカラ座 | 吉祥寺スカラ座 | 吉祥寺スカラ座 | 吉祥寺スカラ座 | |
2階 | 吉祥寺オデヲン[3] | 吉祥寺東宝 | 吉祥寺東宝 | 吉祥寺アカデミー東宝 | 吉祥寺アカデミー | |
1階 | オリエンタルパサージュ吉祥寺[26] | オリエンタルパサージュ吉祥寺 | - | - | 吉祥寺ゲームセンター | 開館当初は直営 |
地下1階 | オリエンタルパサージュ吉祥寺 | 吉祥寺オデヲン座 | 吉祥寺松竹 | 吉祥寺松竹 | 吉祥寺松竹オデヲン |
脚注
編集注釈
編集- ^ File:Kichijoji_Odeon_Mar_1956-2.jpg、吉祥寺オデヲン座
出典
編集
(一)^ abcdefghijklm“会社概要”. 東亜興行. 2013年8月7日閲覧。
(二)^ abcdefgh“事業内容”. 東亜興行. 2013年8月7日閲覧。
(三)^ abcdefghijklmno“劇場案内”. 吉祥寺オデヲン. 2013年8月7日閲覧。
(四)^ 総覧[1955], p.17.
(五)^ 便覧[1956], p.15.
(六)^ ab便覧[1959], p.27.
(七)^ 便覧[1965], p.23.
(八)^ 名簿[1977], p.48-49.
(九)^ ab名簿[1978], p.37-38.
(十)^ abcde名簿[1983], p.119-120.
(11)^ abcd名簿[1991], p.72, 107.
(12)^ 年鑑[1995], p.26.
(13)^ abc“中映株式会社浅草地区5館、銀座シネP3館の閉館他=都興組、平成24年度第4回理事会で諸事項確認”. 連合通信ドットコム. (2012年9月21日) 2013年9月2日閲覧。
(14)^ ミスタア・ロバーツ - allcinema, 2013年8月8日閲覧。
(15)^ 七年目の浮気 - allcinema, 2013年8月8日閲覧。
(16)^ 年鑑[1925], p.464-465.
(17)^ 総覧[1927], p.653.
(18)^ 総覧[1929], p.250.
(19)^ 総覧[1930], p.555.
(20)^ 年鑑[1942], p.10-39.
(21)^ 年鑑[1943], p.454.
(22)^ “昭和7年の映画館 東京府下 146館”. 中原行夫の部屋︵原典﹃キネマ旬報﹄︶. 2013年12月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年8月7日閲覧。
(23)^ ab“劇場案内”. 吉祥寺バウスシアター. 2013年8月7日閲覧。
(24)^ ab“劇場案内”. 吉祥寺プラザ. 2013年8月7日閲覧。
(25)^ “昭和32年の映画館 東京都 573館”. 中原行夫の部屋︵原典﹃キネマ旬報﹄︶. 2013年7月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年8月7日閲覧。
(26)^ ab“遊技事業”. ヤナガワ. 2013年8月7日閲覧。
参考文献
編集- 『日本映画年鑑 大正十三・四年』、アサヒグラフ編輯局、東京朝日新聞発行所、1925年発行
- 『日本映画事業総覧 昭和二年版』、国際映画通信社、1927年発行
- 『日本映画事業総覧 昭和三・四年版』、国際映画通信社、1929年発行
- 『日本映画事業総覧 昭和五年版』、国際映画通信社、1930年発行
- 『映画年鑑 昭和十七年版』、日本映画協会、1942年発行
- 『映画年鑑 昭和十八年版』、日本映画協会、1943年発行
- 『全国映画館総覧 1955』、時事映画通信社、1955年
- 『映画便覧 1956』、時事映画通信社、1956年
- 『映画便覧 1959』、時事映画通信社、1959年
- 『映画便覧 1965』、時事映画通信社、1965年
- 『映画年鑑 1977 別冊 映画館名簿』、時事映画通信社、1977年
- 『映画年鑑 1978 別冊 映画館名簿』、時事映画通信社、1978年
- 『映画年鑑 1983 別冊 映画館名簿』、時事映画通信社、1983年
- 『映画年鑑 1991 別冊 映画館名簿』、時事映画通信社、1991年
- 『映画年鑑 1995』、時事映画通信社、1995年