名胡桃城

群馬県みなかみ町にあった城

194924[1]
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名胡桃城
群馬県
名胡桃城の石碑
名胡桃城の石碑
城郭構造 山城
天守構造 なし
築城主 沼田氏
築城年 明応2年(1492年)
主な城主 真田氏鈴木重将
遺構 曲輪、土塁、土橋ほか
指定文化財 県指定史跡
位置 北緯36度40分12.2秒 東経138度59分32.4秒 / 北緯36.670056度 東経138.992333度 / 36.670056; 138.992333 (名胡桃城)座標: 北緯36度40分12.2秒 東経138度59分32.4秒 / 北緯36.670056度 東経138.992333度 / 36.670056; 138.992333 (名胡桃城)
地図
名胡桃城の位置(群馬県内)
名胡桃城

名胡桃城

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歴史的には、真田昌幸沼田城の支城として、また1590年小田原征伐の誘因となったことで著名である。

2017年(平成29年)4月6日、続日本100名城(115番)に選定された。

歴史・沿革

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149271579調

1582退

名胡桃城事件

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15177[2]

113

1121[3]24127

3使10

考古資料

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遺構

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遺構は馬出しから三郭・二郭・本郭・ささ郭と主要な郭が直に並ぶ連郭式の山城で、両側が切り立った天然の要害である。近年の月夜野町教育委員会による発掘調査で、土塁址・三日月堀・虎口・通路・門礎石址・掘立柱建物址などの重要な遺構が多数確認されている。廃城となった後、ほとんど改変を受けていないため、築城当時の遺構が比較的良好に残されている。

現地情報

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脚注

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  1. ^ 群馬の文化財(県公式サイト)
  2. ^ 名胡桃が真田氏の発祥の地であるとの昌幸の主張については、真田幸貫の命によって河原綱徳が編纂した真田家御事蹟稿などで否定されている。
  3. ^ 『真田文書』

関連項目

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外部リンク

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