C51形蒸気機関車(C51がたじょうききかんしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)の前身である鉄道院(1920年鉄道省に改組)が1919年(大正8年)に開発した、幹線旅客列車用の大型(のちには中型)テンダー式蒸気機関車である。

C51形蒸気機関車
C51 5(2006年5月14日、青梅鉄道公園 ※現在は埼玉県の鉄道博物館にて展示)
C51 5(2006年5月14日、青梅鉄道公園 ※現在は埼玉県の鉄道博物館にて展示)
基本情報
運用者 鉄道省日本国有鉄道
製造所 鉄道院浜松工場汽車製造
三菱重工業
製造年 1919年 - 1928年
製造数 289両
引退 1966年
愛称 シゴイチ
主要諸元
軸配置 2C1
軌間 1,067 mm
全長 19,994mm
全高 3,800mm
機関車重量 67.75t
炭水車重量 43.87t
総重量 111.62
動輪径 1,750mm
軸重 14.61t
シリンダ数 単式2気筒
シリンダ
(直径×行程)
530mm×660mm
弁装置 ワルシャート式
ボイラー圧力 13.0 kg/cm2 (1.275 MPa; 184.9 psi)
大煙管
(直径×長さ×数)
140mm×5500mm×18
小煙管
(直径×長さ×数)
57mm×5500mm×18
火格子面積 2.53 m2
全伝熱面積 167.8 m2
過熱伝熱面積 41.4 m2
全蒸発伝熱面積 126.4 m2
煙管蒸発伝熱面積 115.0 m2
燃料 石炭
制動装置 空気ブレーキ
最高運転速度 95km/h
定格出力 1040 PS
シリンダ引張力 11,700kg
粘着引張力 10,860kg
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当初18900形と称したが、1928年6月にC51形と改称された。愛称はシゴイチ

誕生の経緯と性能・構造

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9600

2C123189001890018900

100km/h[1]1,750mmC62

890088502,438mm8850960088502,400mm[2]

389005,500mm8900500mm

25mm[3]

1,750mm289621728963C51 16418

[4]89008800[5]2

17m318940C51 418t17t8-17C5312t12-171930C51 171208247 - 249 - C5220m330tC51 247 - 24920[2][3]

28901 (C51 102) 22
 
 C51 2011940
[6]
[7] 86208700880088508900489008900885088008900[]

製造

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19191928289

18[8]249192622

運用

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日本国内での運用

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19201930

19301934 - 1931C51 2832120km/h37kg[4]C51 239C51 23619281119535104[9]

C53C591930退

1965退19662C51 251

[10]

中国大陸への供出

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供出先の華中鉄道で運用中のC51 116。(蘇州駅、1939年1月30日)

193816C51 8283033 - 35889596116130 - 132173175178[5][11]C51[5] - 

19519SL91990[6][5]

試験改造機

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C51 6119296





C51 1333500mmC51 133155159189800mm

2

C51 507814324621



C51 78121182192270C51 782



C51 61[1]



C51 135C51 130C51 176C51 278



C51 184

製造年・メーカー一覧

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C51 (18900) 形製造年別両数一覧
製造年両数累計
191933
19201215
19213752
19222779
192370149
192426175
192510185
192642227
192754281
19288289
C51 (18900) 形製造所別番号一覧
※最終8両のみ最初からC51として落成、他は18900形で落成してから改番
製造所両数機関車番号
浜松工場1818900 - 18917
汽車会社24918918 - 18999、28900 - 38910、
38917 - 38939、38944 - 38964、
38969 - 38980
三菱造船所2238911 - 38916、38940 - 38943、
38965 - 38968、C51 282 - 289 (38981 - 38988)
合 計289 () 内は18900形として落成していた場合の予定番号

保存機

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C51 5,44,85,239の4両が現存する。C51 5は国鉄が当初より保存したもの、C51 44,85は教習用に切開したもの(カットモデル)、C51 239は教習用に切開したのち外観を復元したものである。国鉄制式機としては比較的早く1966年に全廃されたため、自治体運営の公園や公共施設等に保存されたものはない。カットモデル化されず完全な状態で保存されたC51 5も保存中に土砂災害により被災し復旧されたため、仮に動態復元しようとしても、それに耐える状態で保存されているものはない。

C51形保存機一覧
画像 番号 所在地 備考
C51 44 秋田県秋田市土崎港東3丁目
秋田総合車両センター
1955年に廃車となったあと教習用として切開(カットモデル)され当時の土崎工場に設置され、以後保存されている。
  C51 5 埼玉県さいたま市大宮区大成町3丁目47
鉄道博物館
1962年青梅鉄道公園の開園により同園に保存された。1982年9月12日、台風に伴う大雨で保存場所の地盤が崩落したため転覆し損傷したが修復された。2007年に鉄道博物館の開館に伴い同館に移設された。
  C51 239 京都府京都市下京区観喜寺町
京都鉄道博物館
1962年10月に廃車となったが、その歴史的経緯から解体されることなく新潟鉄道学園に保存され、教習用にボイラーを切開して展示されていた。2年後に起きた新潟地震では被災したものの復旧されている。1972年に長野工場で整備され、梅小路蒸気機関車館に保存された。この整備によりボイラー周囲が新製され外観は復元されたが、静態保存が前提であったため内部までは完全に修復されておらず、車籍も復帰していない。お召仕様としての数々あった特殊装備(給水ポンプを取り付けず単式空気圧縮機を二機搭載)は新鶴見区からの転出時に一般化改装され、炭水車は水槽容量の大きい20m3形のままであったが、晩年さまざまな改造を施された僚機の多い中にあって、概ねエアブレーキ搭載後の盛時に近い形態を保っている。2006年、「梅小路の蒸気機関車群と関連施設」として、準鉄道記念物に指定された。
C51 62 福岡県北九州市門司区
門司機関区
※解体済み
門司機関区でカットモデルとして使われていた。
C51 85 鹿児島県鹿児島市上荒田町39-12
鹿児島車両センター
1956年に廃車となったあと教習用として切開され当時の鹿児島工場に設置され、以後保存されている。

18900形の付番法

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18900118900218901318902100189991011289002009912001002002899920138900



-1×100++1

1928C5118900C51 118901C51 2  38980C51 281

脚注

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注釈

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(一)^ 300336330300

(二)^ 1,562mm

(三)^ 96009600便[1]

(四)^ 2,438mm

(五)^ 3,100mm

(六)^ 1,067mm

(七)^ 2C23

(八)^ 191912

(九)^ EF58 61

(十)^ 使ATSC51 2591941C57

(11)^ 

出典

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  1. ^ 国鉄蒸気機関車史 ネコ・パブリッシング刊、髙木宏之著、p.43
  2. ^ プレス・アイゼンバーン『C52・C53』1973年、p.346 『C52の形態雑考』
  3. ^ プレス・アイゼンバーン『レイル』No.24 1989年4月、 p.117 『沼津機関区の「燕」牽引仕業について』
  4. ^ 蒸気機関車EX(エクスプローラ) Vol.41 イカロス出版(出版)P35
  5. ^ a b c 田邉幸夫「続 大陸の鉄輪 22-I 2C1テンダ KC100・パシシ・C51たちと華中鉄道」『鉄道ファン』1984年8月号、pp.114-118.
  6. ^ 中国蒸汽機車世紀集影 中国鉄道出版社 ISBN 7-113-04148-5 2001年7月発行

関連項目

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