幕末の通貨問題

日米和親条約締結後に決められた日本貨幣と海外貨幣の交換比率に関する問題

幕末の通貨問題(ばくまつのつうかもんだい)とは、日米和親条約締結後に決められた日本貨幣と海外貨幣の交換比率に関する問題。日本と諸外国の金銀交換比率が異なったため、日本から大量の金が流出した。

元禄丁銀

江戸中期まで

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1:101:12171:13

一分銀の発行

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天保一分銀

1:10183789.215.61859614.65115.3

貿貿貿

開国に伴う通貨交渉

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洋銀の代表格。スペイン系8レアル銀貨
1768年銘 ポトシ鋳造

1854612517西

11

8.8201191167.218.36

16223.2[1]1611/411

4

[2][3]

18561073992.38.62126.7310031111/331

13

金の流出

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1[4]

13414130.7532018596256525516989[5]56[3][6]
両替による利益獲得
メキシコドル4枚 一分銀12枚 小判3枚 メキシコドル12枚
 
 
 
 
  
  
  
 
 
    
売却
  
  
  

安政二朱銀の発行

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安政二朱銀

1貿118596306611貿4/5117.2:1
幕府の構想
メキシコドル4枚 二朱銀8枚 一分銀4枚
 
 
 
 
  
  
 
 
 
 

7162111/372162213224

16000

米国での交渉

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日米修好通商条約の批准のため、幕府は米国に使節を派遣するが、そこでも非公式ながら通貨の交渉は行われた。

使節の目付であった小栗忠順は、一分銀およびそれと同じ額面を持つ一分金フィラデルフィアの造幣局で分析させ、一分銀の35.6セントに対し、一分金は89セントに相当することを確認させた。この結果を基に、「洋銀と一分銀の交換は禁止し、90セント=1分として一分金との交換を行う」ことを主張した。米国側は小栗の主張の正当性は理解したものの、合意には至らなかった。

万延小判の発行

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万延小判

退貿[5]

1221238.1[2]

15.8:1186021112022221[7][8][9]
 

11.4[2][7][8]

4

流出の具体的な量と影響

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20091050[10]1861[10]

2016[11]

脚注

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(一)^ 102638.5

(二)^ abc  1996

(三)^ ab  1963

(四)^   20101972p280-282

(五)^ ab   2000

(六)^ Rutherford Alcock, The capital of the Tycoon.  

(七)^ ab  1996

(八)^ ab  1958

(九)^  4 1973

(十)^ ab24-272009https://www.boj.or.jp/announcements/koho_nichigin/backnumber/data/nichigin18-7.pdf 

(11)^ J1504︿WINPEC Working Paper20161-14https://www.boj.or.jp/announcements/koho_nichigin/backnumber/data/nichigin18-7.pdf 

関連項目

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