大淸
遜清皇室小朝廷
北京政府
1917年
7月1日 - 7月12日
遜清皇室小朝廷
北京政府
清の国旗
(国旗)
国歌: 鞏金甌
公用語 満洲語
モンゴル語
漢語
首都 京都市
皇帝
1917年7月1日 - 1917年7月12日 宣統帝
内閣総理大臣
1917年7月1日 - 1917年7月12日張勲
変遷
溥儀の擁立 1917年7月1日
溥儀は張勲の辞職と自身の退位を宣言1917年7月12日
通貨銀両
銀元

張勲復辟(ちょうくんふくへき)は、1917年7月1日から7月12日までの12日間、清朝の旧臣張勲が、清朝の廃帝である愛新覚羅溥儀を復位させた事件。

経緯

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1917年7月12日北京の東安門に駐留する北洋政府の「討逆軍」兵士

19175調6300014[1]630便

7130069

使7477[1]712退使使[1]

[2]

影響

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張勲が黎元洪に迫って国会を解散させたため、孫文広州で国会議員に南下するように呼び掛け、さらに各省の中華革命党員に討伐を命令した。これが護法運動につながっていく。

主要関連人物

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張勲内閣

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脚注

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注釈

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  1. ^ 段祺瑞らの反撃で復辟運動は失敗に帰したが、張勲軍は清朝の公式なヘスタイルである辮髪をトレードマークとしてこれを誇りとしたため「辮子軍」と称された[1]

出典

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参考文献

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  • 川島真 (2010). 『近代国家への模索1894‐1925 ―シリーズ中国近現代史〈2〉』. 岩波新書. ISBN 9784004312505 

関連項目

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