擦文時代

北海道で7世紀頃から13世紀にかけて続いた時代
擦文文化から転送)

713退#
45沿1012退

9沿13

時代と分布

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使67

調使6-77 - 89

1113

101140[1]

生活

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北海道釧路市北斗遺跡に復元された、擦文時代の竪穴建物。
 
史跡北斗遺跡展示館の復元建物の内部。方形の竪穴住居の一隅に、煙道付きのカマドが設けられている



[2]



使

89西

1012[1]

文献史料

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北海道の擦文時代は、道外の飛鳥時代から鎌倉時代後期にかけての時期に相当する。『日本書紀』にある7世紀後半(飛鳥時代)の阿倍比羅夫航海をはじめとして、六国史には渡島(わたりしま)の蝦夷(えみし)との交渉記事が多数ある。渡島の所在をめぐってはこれまで諸説あったが、近年では北海道とみなしてよいとする意見が多い。もしその通りだとすると、渡島蝦夷は擦文文化の人々ということになる。

見学可能な遺跡等

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  • 常呂遺跡 - 国の史跡。北海道最大規模の遺跡で、擦文文化のものに混じってオホーツク文化の住居跡も検出されており、特異な存在。周辺は「ところ遺跡の森」として整備されており、附近には旧石器時代からアイヌ文化のものまで数多くの遺跡が散在している。ワッカネイチャーセンターへも近い。(北見市による紹介
  • 北斗遺跡 - 国の史跡。釧路湿原西側(釧路市湿原展望台の南側)にあり、釧路湿原を望む高台に縄文・続縄文時代のものとともに擦文時代の住居跡が検出されており、そのうち6棟が復元されている。また、釧路湿原展望台へ至る道道53号から少々入ったところに史跡北斗遺跡展示館があり、住居の模型とともに続縄文・擦文時代の解説や出土品の展示があるほか、ここから木道伝いに復元住居(「擦文の村」)へ行くことができる。復元住居は湿原遊歩道(鶴井軌道跡)からも近く、また釧路市湿原展望台とも木道で結ばれている。(釧路観光協会による紹介
  • 標津遺跡群 - 国の史跡(伊茶仁カリカリウス遺跡)。縄文期から擦文期の遺跡で、天然記念物に指定されている標津湿原と合わせて「ポー川史跡自然公園」として整備されている。歴史民俗資料館及び「開拓の村」を併設。(標津町による紹介
  • オムサロ遺跡公園 - 北海道指定史跡。縄文期からアイヌ期にかけての遺跡で、擦文時代の村が再現されている。

脚注

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  1. ^ a b 入間田ほか 1999
  2. ^ 鈴木信(2003)「続縄文〜擦文文化期の渡海交易の品目について」(北海道考古学第39号 所収) [要ページ番号]

参考文献

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関連項目

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外部リンク

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