日本テレビ放送網麹町分室
日本テレビ放送網麹町分室 | |
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情報 | |
用途 | テレビスタジオ、オフィス、診療所 |
設計者 | 三菱地所株式会社 |
施工 |
株式会社大林組[1] 清水建設株式会社 (共同企業体) |
建築主 | 日本テレビ放送網株式会社 |
管理運営 | 日本テレビ放送網株式会社 |
開館開所 | 1953年 |
改築 | 2018年(「日本テレビ 番町スタジオ」として) |
所在地 |
〒102-0084![]() 14番地 |
座標 | 北緯35度41分13秒 東経139度44分12.9秒 / 北緯35.68694度 東経139.736917度座標: 北緯35度41分13秒 東経139度44分12.9秒 / 北緯35.68694度 東経139.736917度 |
本項では、麹町分室周辺の日本テレビ関連再開発事業、及びそれに伴い麹町分室内のスタジオの後継施設として建設された日本テレビ 番町スタジオ(にほんテレビ ばんちょうスタジオ・北緯35度41分15.8秒 東経139度44分15.7秒)についても取り上げる。
解説
編集概要
編集終焉・解体
編集2010年代後半になると建物全体の老朽化が進んでいたため、4K放送などの新しい機能を備えた収録・生放送の双方に対応するスタジオとして、旧日本庭園跡地を含む用地に地上11階、地下5階、高さ59.9m(鉄塔含む高さ99.9m)、延べ面積33,600㎡の『日本テレビ 番町スタジオ』が2018年(平成30年)8月に竣工した。2019年1月29日に稼働開始(『嵐にしやがれ』の収録がこけら落としとなった)。それと同時期に1953年8月28日の開局から増改築しながらも約66年間使用された、麹町分室のスタジオが運用を終了しビルも閉鎖された。2020年12月21日に全体の竣工に向けて、番町スタジオの運用開始と同時期に南本館から麹町分室の解体が開始。麹町分室のビル群は1年6カ月かけて順次取り壊され、北本館を最後に2020年6月、全て解体された。麹町駅6番出入口の階段は残されたが、地下の南本館入口は建物解体と共に改修され壁面となった。
その後、同年12月に北側(旧北本館通用口・Gスタジオ入口付近)に広場と歩道が整備され、広場は2021年9月より緑化公園「番町の森」としてリニューアルオープンした。残りの敷地はコインパーキングとなる。なお、広場・コインパーキングとも、後述する「新スタジオ棟・商業ビル」部分の建設予定の土地を暫定利用しているため、閉鎖時期未定での期間限定オープンとなる。
スタジオ
編集基本的に、スタジオ業務棟として設計・建設された北本館(1982年竣工)が番組収録の拠点となっていた。北本館が建設される以前、同地には開局当時の社屋・鉄塔と1956年に増築された棟からなる「本館」が存在し、増築棟には初代Gスタジオが存在していた。『24時間テレビ』の第1回放送(1978年)では、初代Gスタジオも番組のメーンスタジオとして使用されていた[13]。開局当時の本館の玄関は西向きであり、本館の車寄せや車庫の部分には、後に西本館(事務所として使用)が建設された。本館は1980年代初頭に運用を終了し取り壊され、北本館へと改築された。
Kスタジオ (167坪)
編集Gスタジオ (250坪)
編集V(バーチャル)スタジオ (70坪)
編集北本館5階にあったバーチャル専用スタジオで、Kスタジオ美術倉庫の一部を改装して作られた。主に『あさ天5』『独占!!スポーツ情報』『所さんの目がテン!』『爆音!てっぺんリーグ』などで使用されていた。その後機能は現在の汐留本社へ移されたが、スタジオの運用状況によってはインタビューなどの収録や『歌え!昭和のベストテン』『恋するクラシック』などのBS日テレの番組、『日テレポシュレ』などで使われていた。
Eスタジオ(報道スタジオ)→STUDIO NiTRo CUBE (65坪)
編集以前稼動していたスタジオ
編集名称 | 運用開始 | 面積 | 場所 | 備考 |
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第1スタジオ | 1953.8 (開局時) |
60坪 | 本館 | 1970年8月からEスタジオに改称ののち1971年10月、カラーニュース専用スタジオに改修。南本館Eスタジオ運用開始時に廃止 |
第2スタジオ | 1953.8 | 30坪 | 本館 | 1970年8月からFスタジオに改称ののち1971年10月、カラーニュース専用スタジオに改修。1983年ごろ廃止 |
第3スタジオ | 1953.8 | 10坪 | 本館 | |
第4スタジオ | 1956.7 | 120坪 | 本館裏に増築 | 1970年8月からGスタジオに改称ののち、北本館Gスタジオ建設に伴い1983年ごろ廃止 |
第5スタジオ | 1957.2 | 130坪 | 日本橋浜町 (浜町スタジオ) |
1964年8月に廃止 |
第6スタジオ | 1957.2 | 160坪 | 日本橋浜町 (浜町スタジオ1階) |
1964年8月に廃止 |
第9スタジオ | 1959.6 | 130坪 | カラーセンター1階 | 1970年8月から他のスタジオ同様、Hスタジオに改称。汐留移転時に廃止 |
第10スタジオ | 1959.7 | 130坪 | カラーセンター3階 | 1970年8月からJスタジオに改称。Hスタジオ同様汐留移転時に廃止 |
旧カラーセンター棟
編集1階がHスタジオ(開設時第9スタジオ)、3階がJスタジオ(同第10スタジオ)と、縦に並んでいた。日本テレビがカラー放送を開始する際に新たに設置されたスタジオ棟で、光の三原色である青・赤・緑の色彩を模した外観が特徴的であった。南本館の増築時に建物は内包される形で合体化されたためこの外壁は外から見られなくなったが、2019年の解体時に半世紀ぶりに露わになった。完成当時としては最新鋭のカラー放送収録に対応した機材群が揃えられており、同所の名前の由来でもある。完成当時の外壁には「カラーテレビセンター」と書かれた看板を掲げた写真があったことから、カラーセンターは通称と思われる。同社において現存する一番古いスタジオであったが故に老朽化が激しく、汐留移転・稼動を契機として閉鎖され、その後は日テレアーカイブスのビデオテープなどが保存されている麹町アーカイブス館として利用されていた。
第9スタジオ→Hスタジオ
編集スタジオが使われていた当時は『ルックルックこんにちは』(Kスタジオから移動、のちにJスタジオへ移動)や『午後は○○おもいッきりテレビ』(Jスタジオから移動)『オシャレ30・30』『11PM』『EXテレビ』(この2番組は日本テレビ制作担当分)『ズームイン!!SUPER』(午前6時30分までの第1部パートのみ)などで使用されていた。HスタジオとJスタジオは放送回によってどちらかのサブが、『ザ・トップテン』および『歌のトップテン』(渋谷公会堂からの放送の場合)の受けサブとして使われた。『ザ・トップテン』時代はスタジオフロアで徳光和夫アナがエレクトリックおじさんとして、その後小倉淳アナがエレクトリックお兄さん(ご主人)として、「もうすぐトップテン」などのコーナーを担当していた。末期は北本館のKスタジオが使われるようになり、歌のトップテンでは渋谷公会堂からの放送が無くなる以前から回によってGスタジオを受けサブとして使うこともあった。スタジオ入口のドアの色は緑。また、スタジオ内にて心霊現象が起こると話題になり、一時、番組で取り上げられていた。
第10スタジオ→Jスタジオ
編集南本館
編集1977年(昭和52年)運用開始。建設以前は日本テレビの所有地ではなく、日本アイ・ビー・エムの建物があった。
マイスタジオ
編集Fスタジオ
編集日本テレビ番町スタジオ
編集スタジオ
編集商業ビル
編集反対運動
編集ギャラリー
編集-
番町スタジオ稼働開始に伴い閉鎖され解体工事が始まった直後の旧麹町分室南本館。(2019年5月4日撮影)
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南本館解体時に露出した日本テレビ旧シンボルマークの巨大レリーフ。(2019年5月4日撮影)
脚注
編集関連項目
編集- 日本テレビタワー - 現在の日テレ本社。汐留。
- 生田スタジオ - 神奈川県川崎市多摩区にあるスタジオ
- 讀賣テレビ放送(ytv)
- バップ
- アール・エフ・ラジオ日本
- 日本テレビゴルフガーデン