真山美保
日本の劇作家 (1922-2006)
略歴
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1943年日本女子大学国文科卒[5]。父とは1943年に離反し、女優として前進座に加わる[1]。1947年新協劇団に入団[1]、1950年、槙村浩吉らと劇団新制作座を設立[1]。東京中心主義の新劇が見落していた地方に目を向け、地方の小都市や農村漁村を巡回[2]。プロレタリア演劇風の作品のほか、青果作品も上演した。
1952年、初の戯曲となる﹁泥かぶら﹂で脚本・演出・主演を兼ね、文部大臣奨励賞を受けた[1]。同作は海外での公演含め1万回以上公演を誇る[5]。1954年﹁市川馬五郎一座顛末記﹂を執筆︵﹃浮草日記﹄として映画化︶[2]。1959年に第7回菊池寛賞︵新劇の大衆化、特に文化に恵まれぬ地方公演の成果︶を受賞[1]。1963年、八王子市に新制作座文化センターを建設[2]。新制作座フェスティバル︵歌と踊りとマイムを演劇的に構成・演出した[6]︶を持ってアジアや南米各地でも巡演した[2]。他の作品に﹁鳶の巣村快挙録﹂﹁野盗風の中を走る﹂など[2]。1988年2月に第4回東京都文化賞を受賞︵全国各地の公演と国際文化交流への貢献[6]︶した[1]。1992年、中国公演総演出作品﹁京劇坂本龍馬﹂に関わる[6]。
2006年、老衰のために死去[1]。享年83歳[1]。
著書に﹃日本中が私の劇場﹄︵平凡社 1957年︶などがあり、1973年以降は﹁元禄忠臣蔵﹂﹁江戸城総攻﹂など、父青果の作品を積極的に演出した[1]。
映画化された作品
編集- 1954 陽のあたる家 松竹大船
- 1955 浮草日記 山本プロ=俳優座
- 1957 倖せは俺等のねがい 日活
- 1961 野盗風の中を走る 東宝