糞置遺跡

福井県福井市にある遺跡

[1]調
糞置遺跡
福井市の文殊山頂から見た糞置遺跡
糞置遺跡の位置(福井県内)
糞置遺跡

位置図

所在地 福井県福井市半田町・二上町
座標 北緯36度0分20.0秒 東経136度13分25.0秒 / 北緯36.005556度 東経136.223611度 / 36.005556; 136.223611座標: 北緯36度0分20.0秒 東経136度13分25.0秒 / 北緯36.005556度 東経136.223611度 / 36.005556; 136.223611
歴史
時代 縄文弥生古墳平安室町時代

地理的・歴史的環境

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地理的環境

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福井平野における糞置遺跡
 
糞置遺跡の埋没する土地(文殊山を北側から望む。北陸新幹線のトンネルが見える)。

[2]西50西20[2][2]西[2][2]

[2]01181[3]西299[2]西5[2]西[2]

:01182:[3][4][1]

37592766[5][6]

歴史的環境

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1.5 km

9

8

7

6

5

4

3

2

1

  

糞置遺跡とその周辺の主要な遺跡[3]

1

糞置遺跡

2

鼓山古墳群

3

三十八社遺跡

4

太田山古墳群

5

上莇生田遺跡

6

安保山古墳群

7

今市岩畑遺跡

8

大土呂遺跡

9

東大寺領糞置荘跡

調[7]

[2]

[2]

調[2]

[2]

[2]

[2]

調[7]

鼓山古墳群

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196338調[7]2調145[7][7]仿[7]

三十八社遺跡

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1969年(昭和44年)に帝塚山大学考古学研究室が学術調査した。縄文時代前期から晩期の土器・石器等が出土した[8]

太田山古墳群

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1965年(昭和40年)、1975年(昭和50年)の調査で計68基と判明した。1974年(昭和49年)に、弥生時代中期から古墳時代の古墳が調査され、細身管玉501個が出土した[8]

発掘調査

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大阪市立大学等による発掘調査(1952年 - 1956年)

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北陸自動車道建設以前の文殊山(1971年)

1952年(昭和27年)11月15日から1週間、角田文衞大阪市立大学教授)らの指導のもと10数名によって調査が行われた。その後1954年(昭和29年)3月27日から4月4日、1956年(昭和31年)4月4日から18日にかけて角田文衞の指導のもと、古代学協会を調査主体、藤原光輝を主担当者として調査が実施され、古代荘園を対象にした最初の考古学的調査といわれる。

荘園の開拓状況の実態解明を目的とした1952年(昭和27年)の開田地区の調査を引き継ぎ、その後の調査が行われたが、発掘調査報告書は正確な調査記録や出土遺物がすでに残されていない後年の2015年(平成27年)にまとめられたものである。糞置庄比定地内(北東・南東不条地区)の調査であったが、荘園に関わる遺構や遺物は見られなかったのに対し、大量の弥生時代後期から終末期にかけての土器と木製品が出土した。その堆積状況から、のちの調査と同様に溝や流路と見られる[9]

北陸自動車道建設に伴う発掘調査(1973年・1974年)

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197348197449調6000調調[10]沿[11][12]

調[13]1975 - 88[14]

農道敷設に伴う発掘調査(1999年)

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1999年(平成11年)10月4日から同年11月19日に、新規の農道敷設が遺跡に影響を及ぼす恐れがあることから、糞置遺跡の北西側と農道部分周辺の400平方メートルに対して発掘調査が実施された。調査区を東西に横切る3本の自然河川が発見され、弥生時代中期の土器片と須恵器片が採集されている[15]

県営圃場整備事業に伴う発掘調査(2002年 - 2004年)

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2002年(平成14年)4月2日から2004年(平成16年)3月31日まで福井市半田町・二上町にて実施された糞置遺跡に関する調査。調査面積は7010平方メートル。県営圃場整備事業担い手育成型(区画整理)半田地区に伴う発掘調査である。事業予定地域の水田は、奈良時代東大寺領糞置荘が置かれた荘園遺跡の地域であり、1973年(昭和48年)・1974年(昭和49年)度に実施した北陸自動車道建設に伴う発掘調査によって、縄文時代から中世にわたる糞置遺跡が糞置荘の荘域と重なって存在することが判明していた。2002年(平成14年)度は、1区140平方メートル、2区480平方メートル、3区240平方メートル、4区480平方メートル、5区400平方メートルの計3000平方メートルが調査され、2003年(平成15年)度は、6区380平方メートル、7区約210平方メートルの計4010平方メートルが調査対象地となり、2年度にわたる調査面積は合計7010平方メートルである。弥生時代後期から古墳時代前期の形状や用途が推定できる50点の木器が出土したことが特徴的である[16]

県道清水美山線道路改良工事に伴う発掘調査(2009年)

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西2009211061225調2,300調

調[1]

北陸新幹線建設に伴う発掘調査(2016年 - 2018年)

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糞置遺跡平成28年(2016年)度発掘調査区全景

調調201628103 - 1228201729630 - 2018330調36°020136°13257,2443759西:01181:01182[3]

[17]

遺跡の概要

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北陸自動車道建設に伴う発掘調査(1973年・1974年)

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197348197449調[18][18]

縄文時代の遺構・遺物

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[18][18]

弥生時代の遺構・遺物

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[18][18]調調[18]調[18]

古墳時代以降の遺構・遺物

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S[18][18][18]

県営圃場整備事業に伴う発掘調査(2002年 - 2004年)

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縄文時代の遺構・遺物

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遺物は多くが川(埋没した旧河道)から発見されており、旧河道の覆土下層で、縄文時代から弥生時代中期にかけての遺物が検出されている[16]

弥生時代の遺構・遺物

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[16]100[16][16][16]

古墳時代の遺構・遺物

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玉作り関連遺物は、弥生中期の北陸地方の典型的な玉生産を示しており、建物等の遺構に伴うものはなかったため、管玉は古墳時代前期の墓に伴うものだったと考えられている[16]

7-9世紀の遺構・遺物

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[16]

[16]

北陸新幹線建設に伴う発掘調査(2016年 - 2018年)

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北陸新幹線建設事業に伴って、福井市二上町において、2016年(平成28年)・2017年(平成29年)度に糞置遺跡の発掘調査が行われ、各時代の遺構・遺物が確認された。

縄文時代の遺物

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[17]
 
 

調調[17]調[17]

弥生時代の遺構・遺物

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調1914[17][17]

[17]

古墳時代の遺構・遺物

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古墳時代前期の遺構については、一部に限られており、集落はこの時期までに収束したとみられる[17]

奈良・平安時代の遺構・遺物

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坏蓋(つきふた)の転用硯
 
土器に記された「佐々尾寺」の文字

[17]89[17][17][17][17]

遺跡の変遷

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縄文時代

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糞置遺跡から出土した縄文晩期の深鉢

[17]

調調[17]

調調

[]

弥生時代・古墳時代

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糞置遺跡における弥生時代のクルミ貯蔵穴検出状況

19141[19]

3 - 4[19][19][19]

[19][19]

31[19][19][20]2[20][20][20][20][20]3[20]
 

[20][20][20]

古代

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[21]西[21]75912766102[22][21][21]78[21][21]

8910[21]9 - 10[21]

中世以降

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6[21]

6[23]

[24]

脚注

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注釈

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  1. ^ 県の遺跡地図上では、糞置遺跡東大寺荘園糞置荘跡は別遺跡として登載されているが、両遺跡の包蔵地範囲は一部が重複している[3]

出典

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(一)^ ab 2014.

(二)^ abcdefghijklmno 2015, p. 3.

(三)^ abcde. . . 2022624

(四)^ 561200443-58doi:10.4200/jjhg1948.56.43 

(五)^ 1  4 . . . 2024624

(六)^  1978837 NCID BN14612270 

(七)^ abcdef 2014, p. 4.

(八)^ ab 2001, p. 5.

(九)^  2015, p. 787.

(十)^  &  1990, pp. 127147.

(11)^   2019851035R100000001-I18111103290436 

(12)^ 1973103113  22

(13)^  1978874-75 NCID BN14612270 

(14)^  119903:91023186 

(15)^  2001, p. 10.

(16)^ abcdefghi 2006.

(17)^ abcdefghijklmno 2024.

(18)^ abcdefghijk &  1990, pp. 130134.

(19)^ abcdefgh 2024, p. 314.

(20)^ abcdefghij 2024, p. 315.

(21)^ abcdefghi 2024, p. 9.

(22)^   1989310:89034528 

(23)^  2024, p. 10.

(24)^ 調21調調︿調 252010721https://sitereports.nabunken.go.jp/80828 

参考文献

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調 19761030 NCID BN13869282https://sitereports.nabunken.go.jp/93972 

調︿調71976330https://sitereports.nabunken.go.jp/139805 

調︿調562001330 NCID BA71297774https://sitereports.nabunken.go.jp/33025 

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58 131986331164-171:87003391 

 11990330127-147:91023186 

西調︿調902006330doi:10.24484/sitereports.139236https://sitereports.nabunken.go.jp/139236 

調︿調 1522014318doi:10.24484/sitereports.33114 NCID BB15183506https://sitereports.nabunken.go.jp/33114 

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 調調︿調 187202438doi:10.24484/sitereports.139200 NCID BD05918484https://sitereports.nabunken.go.jp/139200 

1994831-40 

36 13198633183-84:87003391 

関連項目

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外部リンク

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画像外部リンク
  福井県埋蔵文化財遺跡地図(福井の文化財)福井県教育庁生涯学習・文化財課