英勝院

英勝院(えいしょういん、天正6年11月9日1578年12月7日) - 寛永19年8月23日1642年9月17日))は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての女性。徳川家康の側室。

出自

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生涯

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65殿

逸話

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梶の聡明さを知らしめる逸話は数多く残る。後に創作され尾ひれがついたもの、あるいは他の側室の話と混同されているものなどあるが、いずれも家康がいかに寵愛していたかを証明するものとされる。

うまいものも塩、まずいものも塩

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家康が家臣たちと談笑をした時に「およそ食べ物のうちで、うまいものとはどんなものか」と尋ねた際に、他の者たちがそれぞれが答えをならべたが一致はせず、家康がそばで控えていた梶にも尋ねると、「それは塩です」と答えた。「塩ほど調法で、うまいものはありますまい」という意外な理由に一同が感心した。「では一番不味いものは何か」と梶に尋ねると、彼女は迷わずに「それも塩です。どれほど美味しきものでも、塩味が過ぎれば食べられません」と答えたという。皆は彼女の聡明さに感心し「これ男子ならば一方の大将に承りて、大軍をも駆使すべきに、惜しいことだ」とささやきあった(『故老諸談』)[6]

戦への同行

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倹約家

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梶が家康に寵愛された理由の一つに、その倹約家ぶりがあげられる。小袖をこまめに洗濯させて、新しいものを着ようとはしなかった。倹約して富を蓄えることこそ大切であり、それは天下の人に施すため、また子々孫々まで国の富が不足しないようにするためであると日頃から説諭していた[7]。その徹底した倹約ぶりは家康から絶大な信頼を受け、駿府城の奥向きを一手に任されたという。

春日局との関係

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駿

太田氏中興の祖

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調1535

英勝寺

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殿殿

登場作品

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テレビドラマ
コンピューターゲーム

脚注

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  1. ^ 桑田 1981, p. 187.
  2. ^ 桑田 1981, p. 188.
  3. ^ 鈴木 2006, pp. 2–3.
  4. ^ a b 鈴木 2006, p. 31.
  5. ^ 桑田 1981, p. 189.
  6. ^ 桑田 1981, pp. 189–191.
  7. ^ 桑田 1981, p. 191.

参考文献

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  • 桑田忠親『戦国おんな史談』潮出版社、1981年。 
  • 鈴木暎一『徳川光圀』吉川弘文館、2006年。 

関連人物

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