西武モハ200形電車
西武モハ200形電車(せいぶモハ200がたでんしゃ)は現在の西武鉄道(2代)の前身の一つで現在の西武新宿線・西武国分寺線・西武園線に相当する路線を運営していた西武鉄道(初代)が1941年に増備した通勤形電車である。
概要
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1941年に西武鉄道が13年ぶりに増備した電車で、201 - 210の10両が製造された。
梅鉢鉄工所製の半鋼製17 m車。緩い曲面を持つ前面非貫通3枚窓の両運転台車で、側面片開き3扉。窓配置はd1D4D4D1d[注1]の典型的な﹁関東形﹂と呼ばれるもの。側窓は一段上昇窓でノーヘッダである点が特徴。台車は、私鉄電車台車がイコライザー式全盛だった当時、国鉄TR23形台車酷似の軸ばね式台車を採用、珍しい事例となった︵この台車は後年200形に別のイコライザー台車を充当することで捻出され、西武鉄道社内で他の電動車に転用された︶。
1927年 - 1928年に製造されたモハ550形・クハ600形以降、西武鉄道では不況による経営難から1930年代の間、新造車両は全く登場しなかった[注2]。その厳しい状況はモハ200形新造時点でも脱しておらず、モハ200も車体・台車は新造だったが、電装品は在来木造車であるモハ500形からの流用品で賄われ、制御車となった同形︵クハ1200形。後のクハ1251形︶と編成を組んで使用された。
1945年の武蔵野鉄道との合併による西武農業鉄道︵→西武鉄道︶発足を経て、1948年6月の一斉改番でモハ251形︵初代︶251 - 260となった。
1950年代に片運転台化と側窓の2段上昇窓化、電装品の国鉄払い下げ品への振り替え等が行われ、また1954年8月にはモハ221形︵2代︶221 - 230へ改番された。
更に1958年10月に、221 - 224・230が電装解除され、形式・車番は原番号に1000を足したクハ1221形1221 - 1224・1230となった。
しかしその時から371系や501系の増備により廃車が始まり、1963年の227-1222を最後に全車地方私鉄へ譲渡され、形式消滅した。
譲渡
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まず半数の電装解除が済んだのと同じ1958年10月に225が、続いて1960年6月に1224が所沢車両工場で前面の2枚窓化・再両運転台化、1224については再電装化の改造を受け山形交通に譲渡され、モハ100形111・112となって同社三山線に配置された。
1974年11月の同線廃線後は高松琴平電気鉄道に譲渡され、同社780形780・790、後に電装解除の上860形860・870となって1998年に廃車された。
一畑電気鉄道
1960年 - 1961年の間に228 - 1230・229 - 1221・226 - 1223の2両編成3本が所沢車両工場で側面2扉化・車内のセミクロスシート化改造を受け同社60系︵初代︶のデハ60形︵初代︶61 - 63・クハ160形161 - 163となり同社で特急・急行に使用された。
80系︵元451系︶の導入により61︵初代︶-161・62︵初代︶-162が1982年9月、63-163が1985年3月に廃車された。
詳細は「一畑電気鉄道70系電車」を参照
性能諸元
編集- モハ251形
- 全長 - 17,000 mm
- 全高 - 4,162 mm
- 全幅 - 2,600 mm
- 自重 - 38.0 t
- 定員 - 106人(座席40人)
- 制御装置 - 電磁空気カム軸式
- 主電動機
- 定格出力 - 86 kW × 4
- 歯数比 - 19:65 = 1:3.42
- 制動方式 - 制御管式自動空気ブレーキ及び手ブレーキ
- 台車 -軸ばね式