貫名菘翁

1778-1863, 江戸時代後期の儒学者、書家、文人画家
貫名海屋から転送)

  731778 - 3561863621[1]
 
 

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生涯

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86

学問

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老松図 1841年 紙本墨画淡彩 滋賀県立琵琶湖文化館

455    

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西58





西30[3]

85

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使 

56

碑文作品

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京都石峰寺伊藤若冲碑書は、菘翁の傑作として評価が高い。天保4年銘のある「若冲居士之碑」は、画家・伊藤若冲の墓の傍らに建てられた筆の形をした石柱で、そこに刻まれた墓誌を菘翁が手がけている。これは、文政13年7月2日の京都の地震により破損したものを、天保4年にその孫が修理して復旧し、菘翁がその由来を墓表に記したものである。また、天保10年8月には、絵師・紀広成の墓誌を撰文し、書している。

旅を好み、長崎には三度赴いた。また飛騨高山川上淇堂を訪ね、61歳の時から3年間も滞在した。

門人

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菘翁筆 山水詩画双幅 天保12年(64歳)

作品

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脚注

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  1. ^ a b 貫名海屋』 - コトバンク
  2. ^ 高野山にいた期間に疑問があり、浪華に入った時期はもっと後年である可能性がある。その場合、浪華滞在期間が短すぎることから懐徳堂に入っていないことも考えられる(書論17号 菘翁年譜)。
  3. ^ 林淳『近世・近代の著名書家による石碑集成-日下部鳴鶴・巌谷一六・金井金洞ら28名1500基-』収録「貫名菘翁石碑一覧表」(勝山城博物館 2017年)
  4. ^ 狩野典信に師事

参考文献

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  • 中田勇次郎編著 「貫名菘翁」『日本書人伝』、中央公論社、1974年、267-292、360-364頁。
  • 「生誕230年記念 貫名菘翁展-阿波に伝わる菘翁の書画-」、徳島県立文学書道館 2008年
  • 「近世日本の書聖 -館蔵コレクション- 菘翁」、堺市博物館 1992年
  • 「日本の文人画 Ⅰ」、静嘉堂文庫美術館 1995年
  • 「文人画の近代 鉄斎とその師友たち」<Tessai and His Teachers and Friends> 京都国立近代美術館 1997年
  • 書論 17号 特集「貫名菘翁と内藤湖南」 1980年11月発刊
  • 中村真一郎「頼山陽とその時代」、中公文庫 1976年
  • 林淳 『近世・近代の著名書家による石碑集成-日下部鳴鶴・巌谷一六・金井金洞ら28名1500基-』勝山城博物館 2017年
  • 許永晝・森田聖子・小林詔子・市川尚編『笑社論集』(文人画研究会 2021年)
    • 小野泉蔵・頼山陽・梅辻春樵・畑橘洲・篠崎小竹・貫名海屋「論詩声律集」(解説・現代語訳)
    • 浦上春琴『論画詩』貫名海屋評(現代語訳)
    • 浦上春琴『続論画詩』貫名海屋評(現代語訳)

関連項目

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