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凡例

赤松 小三郎
赤松小三郎
時代 幕末
生誕 天保2年4月4日(1831年5月15日)
死没 慶応3年9月3日(1867年9月30日)
改名 清次郎
諡号 友裕
戒名 良鑑院松屋赤心居士
墓所 月窓寺長野県上田市
金戒光明寺京都府左京区黒谷町
官位 贈従五位
主君 松平忠固忠礼
上田藩
父母 父:芦田勘兵衛
養父:赤松弘
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生涯

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誕生

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遊学

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1848

51852西

1854

21855

51858 

618594

上田時代

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18603

2186110

21862調調

31863

活躍

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18649
11

18654

218663
8

9

10

11調

12

31867
5[2][3]

93[4]

死後

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死後、京都の金戒光明寺に葬られ、のちに遺髪が上田に送られて月窓寺にも墓が建てられた[5]

大正13年(1924年)、従五位を追贈[6]

洋式兵学者としての業績

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2185545使 [7]53[8]

6[9]

1864[10] 1862Field Exercises & Evolutions of Infantry[11]

21866

210800

33西[12]

186435


普通選挙による議会政治の提言

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31867517[2][3][13]5

3013030130󠄀

6

280003000西

暗殺

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3838西[14]

31867937


暗殺にまつわる謎

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471972

819194[15]鹿4

[16]4

人物・逸話

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31863

8191981732輿 25[17] 

3919065131924171942581933[18]

41858

作品

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  • 短編映画「なまくらNAMAKURA京在日記秘録」(2015年)

有馬藤太『維新史の片鱗』(日本警察新聞社)と薩摩藩士中村半次郎「京在日記」をベースに、赤松小三郎暗殺に関わる剣士たちの闘いを描いた創作時代劇。本作品の劇中には赤松小三郎は直接登場せず、赤松私塾の門下生である大垣藩士可兒幾太郎が、赤松小三郎について語っている。原作「なまくらNAMAKURA京在日記秘録」(2014年坂口平著)では赤松小三郎も登場している。

初公開は2015年1月10日、上田映劇で自主上映会として開催された。「TEAMへ」代表坂口平初監督作品となる48分間の自主制作映画。劇中の映像はすべて長野県上田地域で撮影されている。TEAMへは、2014年「なまくらNAMAKURA京在日記秘録」制作の為に集まった有志で結成されている。

脚注

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(一)^  52009 13

(二)^ ab. . 2013992017115

(三)^ ab 1922pp.245-252

(四)^  71940p.233

(五)^ . . 202062

(六)^ 343913213p.171

(七)^ 3892428-42

(八)^  20162324

(九)^ 2426

(十)^ 3234

(11)^  51201810103109

(12)^ 1923

(13)^ 

(14)^ 200040-41

(15)^ 1921301-302 

(16)^ 512

(17)^ 573

(18)^ 655

参考文献

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  • 藤澤直枝 『赤松小三郎先生』 信濃教育会小県上田部会、1930年
  • 千野紫々男「幕末の先覚者 赤松小三郎」『伝記』南光社、1935年5月号、6月号
  • 上田市立博物館編『松平忠固・赤松小三郎』上田市立博物館、1994年
  • 上田市立博物館編『赤松小三郎・松平忠厚』上田市立博物館、2000年
  • 赤松小三郎顕彰会 創立10周年記念誌「赤松小三郎実録」2013年 
  • 柴崎新一「赤松小三郎先生」信濃教育会 昭和14年 1939年
  • 柴崎新一「赤松小三郎先生」復刻版 赤松小三郎顕彰会 2015年
  • 柴崎新一「赤松小三郎先生」復刻版・現代語訳版 2016年
  • 関良基『赤松小三郎ともう一つの明治維新 ―テロに葬られた立憲主義の夢』作品社、2016年

外部リンク

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