674182389 - 27189414[1]

西 / 

略歴

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家督相続まで

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6182374[2] 3184641,200

藩内改革派として

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維岳は、嘉永6年(1853年)のペリー来航を機に、浅野遠江・黒田図書らとともに広島藩内の改革派として台頭し、藩財政の再建・武備の拡張・士気の高揚などを藩に献言、失政を重ねてきた今中相親(大学)ら保守派執政から奪権を企てたが成功せず、安政2年(1855年)にも改革を企てたが失敗した。しかし安政5年(1858年)藩主・浅野慶熾死去により浅野長訓が分家(広島新田藩主家)から藩主を襲封すると、維岳ら改革派が実権を掌握するようになり、文久2年(1862年)10月、騎馬弓筒頭から抜擢され野村帯刀らとともに年寄(執政)に任命され国事掛を兼任した。これ以後、郡政機構の刷新・殖産興業政策・軍備近代化・財政改善などの藩政改革を推進するとともに、国事周旋に積極的に関与し藩外にもその名を知られるようになった。

征長役での周旋

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王政復古と大政奉還の間で

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維新後

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西



2[5]

栄典

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子孫

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現在、辻家は維丈(まさたけ)が家督を相続し、長男の維周(まさちか)、次男の維陽(まさはる)がいる。

脚注

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  1. ^ デジタル版 日本人名大辞典+Plusでは1月3日。
  2. ^ 霞会館諸家資料調査委員会『昭和新修華族家系大成』(下)霞会館、1982年、p.97「辻維丈」。
  3. ^ a b 『国立公文書館所蔵 勅奏任官履歴原書 下巻』304頁。
  4. ^ 『官報』第2195号、明治23年10月22日。
  5. ^ 勝部真長・編『氷川清話』角川文庫、1984年、79p頁。 
  6. ^ 『官報』第2094号「叙任及辞令」1890年6月24日。

参考文献

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単行書
事典項目
  • 『日本人名大辞典』 平凡社、1979年(『新撰大人名辞典』、1937年の復刻)
  • 『明治維新人物辞典』 吉川弘文館、1981年。
  • 吉田常吉(執筆)『国史大辞典』第9巻 吉川弘文館、1988年。
  • 井野美津子(執筆)『三百藩家臣人名事典』第6巻 新人物往来社、1989年。
  • 安原清至(執筆)『幕末維新人名事典』 新人物往来社、1994年。
  • 井上勲(執筆)『朝日日本歴史人物事典』 朝日新聞社、1994年。
  • 我部政男・広瀬順晧編『国立公文書館所蔵 勅奏任官履歴原書 下巻』柏書房、1995年。
  • 秦郁彦『日本近現代人物履歴事典』東京大学出版会、2002年。

関連項目

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日本の爵位
先代
叙爵
男爵
辻(維岳)家初代
1890年 - 1894年
次代
辻健介