鍋島焼

佐賀藩(鍋島藩)で製造された高級磁器

17191871421
色絵芙蓉菊文皿
鍋島焼 窯元全景
大川内山 鍋島焼 窯元
色絵宝尽文皿 ロサンジェルス・カウンティ美術館
染付壺文皿 ロサンジェルス・カウンティ美術館
色絵葵文皿 東京国立博物館
色絵紫陽花文皿 松岡美術館
色絵岩牡丹文皿 松岡美術館
色絵花筏図皿 東京国立博物館

歴史

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前史

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171616調西1610

藩窯の創始

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16285166116753調調192116285

2010 16401660[1]

195227調使168016901750175018713

鍋島光茂の指示書

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169362調












藩窯の組織

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大河内藩窯の御細工場(磁器工房)は、細工方11名、画工9名、捻細工4名、下働き7名の31名から構成されていた。他に「御手伝窯焼」として本手伝10名、助手伝6名がおり、その他御用赤絵屋、御用鍛冶屋、御用土伐、御用石工、薪方頭取などの諸職が存在した。これらの職人によって磁土の精製、成形、下絵付け(染付)、本焼き、上絵付け(色絵)、上絵の焼き付けなどの工程が分業で行われ、さらに原料の磁土を採掘する者、窯を焚くための薪を供給する者など、多くの人材が関わっていた。色絵(赤絵)の場合、下絵付け(呉須というコバルト質の絵具を用いる。焼きあがると青色に発色する)と上絵付け(下絵の上に赤、黄、緑の色絵を施し、再度焼く)は完全な分業であった。すなわち、本焼きまでの工程は大川内の藩窯で行われ、上絵付けは有田の赤絵町で行われた。御細工場の職人たちは身分が保証される代わりに、製品の質の確保と、技術漏洩防止のため、藩からの厳しい統制下に置かれていた。藩窯が有田や伊万里の中心部から遠く離れた山間の大川内に置かれたのも、情報漏洩を防ぐためであったと言われている[要出典]

近代以降の鍋島

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187149218736101847 - 19272610111873 - 1948121897 - 1975121219751976131926 - 200113[2]13200213141962 - 1420141314

1841 - 19121901 - 02Japan and China: Its History, Arts and Literature1878 - 195219165駿

製品の特色

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色絵三瓢文皿 シカゴ美術館
 
染付三壺文三壺形皿 トロント、ガーディナー陶磁器美術館

器種

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1753130cm5101

作風・技法

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 - 1

 - 

 - 

 - 

 - 使

3使使使

1510[3]

31[4]

代表作

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1



MOA

MOA









1931

















12[5]

鍋島焼窯元町並み

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脚注

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  1. ^ 特別展図録『誇り高きデザイン 鍋島』pp.8 - 9, p.198
  2. ^ 13代今泉今右衛門 - NHK人物録
  3. ^ 特別展図録『誇り高きデザイン 鍋島』pp.193, p.201
  4. ^ 特別展図録『誇り高きデザイン 鍋島』pp.190 - 194
  5. ^ 「特集展示 坂本五郎コレクション受贈記念 北斎と鍋島、そして」(九州国立博物館サイト)

参考文献

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  • 今泉元佑『鍋島』(陶磁大系第21巻)平凡社、1972
  • 特別展図録『色鍋島』永竹威監修、朝日新聞西部本社編集・発行、1975
  • 特別展図録『鍋島 藩窯から現代まで』神奈川県立博物館編、神奈川県文化財協会発行、1987(解説執筆は矢部良明、大橋康二、長谷部満彦)
  • 特別展図録『鍋島展 色と雅の極み』有田ヴイ・オー・シー発行、1995(解説執筆は矢部良明、関和男)
  • 特別展図録『誇り高きデザイン 鍋島』サントリー美術館、2010(解説執筆は大橋康二、安河内幸絵、鈴田由紀夫)

関連項目

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外部リンク

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