高取城

奈良県高取町にあった城


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高取城
奈良県
天守台
天守台
別名 芙蓉城、鷹取城、高取山城
城郭構造 連郭式山城
天守構造 連立式3重3階地下1階(非現存)
築城主 越智邦澄
築城年 元弘2年(1332年
主な改修者 筒井順慶本多利久
主な城主 越智氏筒井氏本多氏
小出氏植村氏
廃城年 明治6年(1873年
遺構 石垣、堀、井戸など多数
指定文化財 史跡(国指定)
再建造物 なし
位置 北緯34度25分45.99秒 東経135度49分36.57秒 / 北緯34.4294417度 東経135.8268250度 / 34.4294417; 135.8268250
地図
高取城の位置(奈良県内)
高取城

高取城

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高取城古絵図/浅野文庫所蔵

概要

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458335029姿

10,000360,000301615殿

歴史・沿革

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室町時代・安土桃山時代

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2133215326

81580 1115838

121584

131585171589317

19159141595171551600西退125

江戸時代

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141637

17164025,00014殿

近現代

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旧二の門(子嶋寺山門)

21869661873201887618737356100201887241891[1]

殿189225194419[1]200416



281953331182006100

城郭

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連立式天守の構造
 
天守台下の打込みハギと算木積み

322533290036009591581215931716402003

本丸

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本丸部分の大きさは東西に75メートル×南北に60メートル、高さは約8メートルの石垣に囲まれている。南西には3重3階の「小天守」があり、大きさは東西12メートル×南北13メートルある。また東側には2重3階の「硝煙御櫓」があり、虎口付近、「具足櫓」対岸には平櫓の「鉛御櫓」がある。このように本丸は、1基の天守と1基の小天守、3基のが多門櫓で連結された連立式天守の縄張りであった。

この5基の櫓で囲まれた本丸部分には、「本丸大広間」という場所に礎石が数カ所あり1棟の御殿があったと考えられている。また、この御殿跡周辺には東西約5メートル×南北約3メートルの「楠井戸」がある。高取城の井戸は多数見受けられるがその大半は、雨水や湧水を集水したもので、地下の水脈まで到達した井戸はほとんどない。

 
本丸からの眺望

天守

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天守台

西3西1614123312

太鼓御櫓・新御櫓・国見櫓

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202

22222

49姿


 
二の丸跡
 
二の丸東下の石垣
 
国見櫓跡から奈良盆地を望む

二の丸

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西65×60西西西殿2沿殿殿2殿19

 
御城門より二の丸方向を撮影

御城門

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殿8

下屋敷

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植村家長屋
 
下屋敷跡

高取城跡より、1200メートル下ると植村家長屋がある。また、その南側の丘陵にあるが「下屋敷」もしくは「ゴテンアト」と呼ばれていた藩邸が置かれていた。大きさは、東西約80メートル×南北約90メートルで、北側半分は公的な場として活用され、南側半分を私的の場としていた。弁天池や四阿紫府亭も設けていた。また、門の東側には水堀があったと伝承されているが、その遺構は確認できていない。

高取城の特徴

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4



殿便3



3







67

交通・登城

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 - 50

 - IC16524169119




 - 90

 - 

行事

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その他

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平成24年、地元自治会市民団体が3万5679個のアルミ缶を使用して高取城天守をモデルにした作品(高さ4.1m)を作り[2]、「缶の使用数が最も多い像」としてギネス世界記録に認定された[3]

脚注

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  1. ^ a b 平井聖監修『城 〔5〕近畿』毎日新聞社、1996年
  2. ^ アルミ缶「城」、ギネス認定…製作は還暦以上(『読売新聞』2012年10月11日)
  3. ^ 従来の記録はローマのビール会社が作ったラグビーボールの作品で使用した2万76個。

参考文献

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, 200145-70,147-178 NCID BA55919341:20328334 

2000311ISBN 4391124645:20132215 

関連文献

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関連項目

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外部リンク

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