出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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* 紀元前300年から紀元前250年のものとされる Kineas というギリシア人のものと判明している墓の墓標には、次のようなデルポイの格言が刻まれていた。Kineas はギリシア人入植地の ''[[:en:oikistes|oikistes]]''(創設者)だという記述もある。
* 紀元前300年から紀元前250年のものとされる Kineas というギリシア人のものと判明している墓の墓標には、次のようなデルポイの格言が刻まれていた。Kineas はギリシア人入植地の ''[[:en:oikistes|oikistes]]''(創設者)だという記述もある。
:''"Païs ôn kosmios ginou (子供のころは、よく学び)
:''"Païs ôn kosmios ginou (子供のころは、よく学び)
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北方の遊牧民([[スキタイ]]と[[月氏]])がオクサス(アムダリヤ川)を渡ってバクトリアに侵入したのは紀元前135年ごろである。[[月氏]]の侵略に続く紀元前130年から120年にアイ・ハヌムは放棄されたとみられる。主要な建物には大規模な火災の痕跡がある。最後のグレコ・バクトリア王[[ヘリオクレス]]は紀元前125年ごろ、都を[[バルフ]]からカーブルの谷に移した。アイ・ハヌムではヘリオクレスの硬貨が見つかっておらず、この都市がエウクラティデスの治世の最後に破壊されたことを示唆している。[[インド・グリーク朝]]の下で紀元10年ごろまでギリシア人がインド北部の各地を支配し続けたが、インド=スキタイ族に征服された。そのわずか数十年後、[[月氏]]による[[クシャーナ朝]]が起こり、[[北インド]]に領土を拡大していった。
北方の遊牧民([[スキタイ]]と[[月氏]])がオクサス(アムダリヤ川)を渡ってバクトリアに侵入したのは紀元前135年ごろである。[[月氏]]の侵略に続く紀元前130年から120年にアイ・ハヌムは放棄されたとみられる。主要な建物には大規模な火災の痕跡がある。最後のグレコ・バクトリア王[[ヘリオクレス]]は紀元前125年ごろ、都を[[バルフ]]からカーブルの谷に移した。アイ・ハヌムではヘリオクレスの硬貨が見つかっておらず、この都市がエウクラティデスの治世の最後に破壊されたことを示唆している。[[インド・グリーク朝]]の下で紀元10年ごろまでギリシア人がインド北部の各地を支配し続けたが、インド=スキタイ族に征服された。そのわずか数十年後、[[月氏]]による[[クシャーナ朝]]が起こり、[[北インド]]に領土を拡大していった。
[[べグラム]]や[[ハッダ]]の遺跡と同様、アイ・ハヌムの遺跡も長引く[[アフガニスタン紛争]]によって略奪と破壊が横行している。
[[ベ グラム]]や[[ハッダ]]の遺跡と同様、アイ・ハヌムの遺跡も長引く[[アフガニスタン紛争]]によって略奪と破壊が横行している。
== 重要性 ==
== 重要性 ==
2016年3月28日 (月) 09:21時点における版
● 長 さ 2 マ イ ル の 城 壁 が 都 市 の 周 囲 を 囲 ん で い た 。
● 塔 ︵ 底 辺 が 2 0 m × 1 1 m 、 高 さ が 1 0 m ︶ と 城 壁 か ら な る 要 塞 が 中 央 の 6 0 m ほ ど の 高 さ の 丘 に 建 っ て い た 。
● 直 径 8 4 m の 円 形 劇 場 が あ っ た 。 座 席 は 35 列 あ り 、 4 千 人 か ら 6 千 人 を 収 容 可 能 。 支 配 者 の た め の 3 つ の 特 別 席 が あ っ た 。 同 時 代 の 他 の 円 形 劇 場 と 比 べ る と 、 バ ビ ロ ン の も の よ り 大 き く 、 エ ピ ダ ウ ロ ス の も の よ り 若 干 小 さ い 。
● グ レ コ ・ バ ク ト リ ア 王 国 の 巨 大 な 宮 殿 は 、 ペ ル シ ア の 宮 殿 の 様 式 を や や 思 わ せ る 様 式 で あ る 。
● 遺 跡 内 で 最 大 の 建 物 は 1 0 0 m × 1 0 0 m の ギ ュ ム ナ シ オ ン で あ る 。 ヘ ル メ ー ス と ヘ ー ラ ク レ ー ス へ の ギ リ シ ア 語 の 献 辞 が 柱 の 一 つ に 彫 っ て あ っ た 。 献 呈 者 の 名 と し て ギ リ シ ア 風 の 名 前 が 2 つ あ る ︵ T r i b a l l o s と S t r a t o ︶ 。
● 都 市 の 内 外 に 様 々 な 神 殿 が あ る 。 城 壁 内 の 最 大 の 神 殿 に は ゼ ウ ス の 座 像 が あ る が 、 そ の 様 式 は ゾ ロ ア ス タ ー 教 風 に な っ て い る 。 ギ リ シ ア 建 築 の よ う に 円 柱 を 多 用 し た 開 放 的 な 建 築 で は な く 、 壁 で 覆 わ れ て い る 。
● マ ケ ド ニ ア の 太 陽 、 ア カ ン サ ス 模 様 、 動 物 ︵ カ ニ 、 イ ル カ な ど ︶ を 描 い た モ ザ イ ク が 見 つ か っ て い る 。
● コ リ ン ト 式 の 円 柱 が 多 数 見 つ か っ て い る 。
ライオンの足の彫刻の間の日時計
彫刻
アイ・ハヌムで出土した紀元前2世紀ごろの化粧しっくい 製の顔面
様 々 な 彫 刻 の 断 片 も 出 土 し て お り 、 同 時 期 の 地 中 海 で の 発 展 し た 様 式 よ り も 若 干 古 い 伝 統 的 様 式 の 彫 刻 が 多 い 。
特 に 、 素 晴 ら し い ギ リ シ ア 様 式 の 巨 大 な 足 の 部 分 が 見 つ か っ て お り 、 全 高 5 m か ら 6 m の 彫 像 の 一 部 と 推 定 さ れ て い る ︵ 神 殿 を 支 え て い た 円 柱 の 高 さ に 合 わ せ て 座 っ た 形 の 像 だ っ た と 思 わ れ る ︶ 。 そ の 足 が 履 い て い る サ ン ダ ル が ゼ ウ ス の 雷 の シ ン ボ ル を 備 え て い る こ と か ら 、 そ の 像 は オ リ ン ピ ア の ゼ ウ ス 像 を 小 さ く し た も の と 考 え ら れ る 。
他 に も 次 の よ う な 彫 像 の 部 分 が 見 つ か っ て い る 。
● や や 古 風 な キ ト ー ン を 着 た 女 性 の 彫 像
● 化 粧 し っ く い で 形 成 さ れ た 男 性 の 顔
● リ ー ス を 持 つ 若 者 の 未 完 成 の 彫 像
● ギ リ シ ア の 料 理 人 奴 隷 を 表 し た ガ ー ゴ イ ル の 頭 部
● ヘ ル メ ー ス と 思 わ れ る ク ラ ミ ス を 着 用 し た 裸 の 男 性 の フ リ ー ズ
● ギ ュ ム ナ シ オ ン で 出 土 し た 、 そ の ギ ュ ム ナ シ オ ン の 責 任 者 と 思 わ れ る 男 性 の ヘ ル マ 風 の 像 。 左 手 に 長 い 棒 を 持 っ て い た と 思 わ れ 、 そ れ が 役 職 を 表 し て い た と 考 え ら れ る 。
ア イ ・ ハ ヌ ム 周 辺 に は 彫 刻 に 適 し た 石 が 少 な か っ た た め 、 木 の 骨 組 み に 粘 土 や 化 粧 し っ く い を 盛 っ て い く 塑 像 が 多 く 、 そ の 技 法 が 中 央 ア ジ ア か ら さ ら に 東 へ と 広 ま っ て い き 、 特 に 仏 教 美 術 で よ く 見 ら れ る よ う に な っ た 。 場 合 に よ っ て は 手 足 だ け を 大 理 石 で 作 っ て い る 。
老人の像(紀元前2世紀)
左の像の上半身アップ
同じ彫刻を斜めから見た写真
金石文
ア イ ・ ハ ヌ ム で は 、 現 地 語 化 し て い な い 古 代 ギ リ シ ア 語 の 金 石 文 も 多 数 見 つ か っ て い る 。
● 紀 元 前 3 0 0 年 か ら 紀 元 前 2 5 0 年 の も の と さ れ る K i n e a s と い う ギ リ シ ア 人 の も の と 判 明 し て い る 墓 の 墓 標 に は 、 次 の よ う な デ ル ポ イ の 格 言 が 刻 ま れ て い た 。 K i n e a s は ギ リ シ ア 人 入 植 地 の o i k i s t e s ︵ 創 設 者 ︶ だ と い う 記 述 も あ る 。
" P a ï s ô n k o s m i o s g i n o u ︵ 子 供 の こ ろ は 、 よ く 学 び ︶
h è b ô n e n k r a t è s , ︵ 若 い こ ろ は 、 感 情 の 制 御 を 学 び ︶
m e s o s d i k a i o s ︵ 中 年 の こ ろ は 、 正 し く あ り ︶
p r e s b u t è s e u b o u l o s ︵ 老 い て は 、 よ き 助 言 を 与 え ︶
t e l e u t ô n a l u p o s . ︵ 死 に 際 し て 、 後 悔 は な い ︶ "
︵ ア イ ・ ハ ヌ ム の 碑 文 ︶
こ の 格 言 は C l e a r c h o s と い う ギ リ シ ア 人 が デ ル ポ イ か ら 複 写 し て そ こ に 記 し た と 碑 文 に あ り 、 こ の C l e a r c h o s は ア リ ス ト テ レ ス の 弟 子 C l e a r c h u s o f S o l i の 可 能 性 も あ る 。
上 の 碑 文 が 刻 ま れ て い る K i n e a s の 墓 石 ︵ 紀 元 前 2 世 紀 ︶
● パ ピ ル ス が 薄 い レ ン ガ の 壁 に 押 し 付 け ら れ 、 書 か れ た 内 容 が そ こ に 転 写 さ れ た も の が 出 土 し て い る 。 内 容 は 、 イ デ ア 論 に つ い て の 未 知 の 哲 学 的 な 問 答 で あ り 、 ク セ ノ ク ラ テ ス と 別 の 哲 学 者 の 問 答 を 記 し た も の で は な い か と 考 え ら れ て い る [ 3 ] 。
● 宮 殿 の 宝 物 庫 か ら も 様 々 な ギ リ シ ア 語 の 金 石 文 が 見 つ か っ て い る 。 そ れ ら は 様 々 な 壷 の 中 身 や そ れ を 担 当 し て い る 管 理 者 の 名 前 を 記 し た も の で あ る 。 そ こ に 表 れ て い る 管 理 者 の 階 層 は 地 中 海 の ギ リ シ ア 地 域 と 同 じ で あ る 。 書 か れ て い る 名 前 か ら 、 宝 物 庫 の 管 理 者 は ギ リ シ ア 人 だ っ た が 、 下 級 の 管 理 者 に は バ ク ト リ ア 人 も い た こ と が わ か る [ 4 ] 。 承 認 者 の 名 は ギ リ シ ア 人 ︵ K o s m o s , I s i d o r a , N i k e r a t o s な ど ︶ だ が 、 マ ケ ド ニ ア 人 ま た は ト ラ キ ア 人 と 思 わ れ る 名 が 1 つ ( L y s a n i a s ) 、 バ ク ト リ ア 人 の 名 が 2 つ ( O x u b o a k e s , O x u b a z e s ) あ る 。
次 の 文 章 は 、 そ の 宝 物 庫 に あ っ た オ リ ー ブ オ イ ル の 壷 の 預 り 証 ︵ ギ リ シ ア 語 ︶ を 英 語 に 翻 訳 し た も の で あ る 。
" I n t h e y e a r 2 4 , o n . . . . ;
a n o l i v e o i l ( c o n t e n t ) ;
t h e p a r t i a l l y e m p t y ( v a s e ) A ( c o n t a i n s ) o i l t r a n s f e r r e d f r o m
t w o j a r s b y H i p p i a s
t h e h e m i o l i o s ; a n d d i d s e a l :
M o l o s s o s ( ? ) f o r j a r A , a n d S t r a t o ( ? ) f o r j a r B ( ? ) " [ 5 ]
こ れ ら の 壷 は 計 算 に よ る と 紀 元 前 1 4 7 年 ま で あ っ た 。 こ の こ と か ら ア イ ・ ハ ヌ ム は そ の 直 後 に 破 壊 さ れ た こ と が 示 唆 さ れ る 。
そ の 他 の 遺 物
獅 子 に 牽 か れ た キ ュ ベ レ ー 、 奉 納 さ れ た 生 贄 、 太 陽 神 を 描 い た プ レ ー ト ︵ 紀 元 前 2 世 紀 ︶
エ ウ ク ラ テ ィ デ ス 1 世 の 時 代 ま で の グ レ コ ・ バ ク ト リ ア 王 国 の 硬 貨 が 多 数 出 土 し て い る が 、 そ れ 以 降 の 貨 幣 は 見 つ か っ て い な い 。 A g a t h o c l e s と ヒ ン ズ ー の 神 々 を 描 い た 珍 し い 硬 貨 も 出 土 し て い る 。 ヴ ェ ー ダ の 神 々 を 描 い た 最 古 の 硬 貨 と さ れ て お り 、 ヴ ィ シ ュ ヌ の 初 期 の ア ヴ ァ タ ー ラ 、 バ ラ ラ ー マ - シ ェ ー シ ャ 、 ヴ ァ ス デ ー ヴ ァ - ク リ シ ュ ナ な ど が 描 か れ て い る 。 こ れ ら は グ レ コ ・ バ ク ト リ ア 王 国 が 北 イ ン ド を 侵 略 し て い た 証 拠 と 考 え ら れ る 。
他 に も 以 下 の よ う な 遺 物 が 出 土 し て い る 。
● 戦 車 に 載 っ た キ ュ ベ レ ー と 炎 の 祭 壇 が 描 か れ 、 上 に ヘ ー リ オ ス が 描 か れ た 、 丸 い 浮 き 彫 り の プ レ ー ト
● ほ ぼ 完 全 な 形 の ヘ ー ラ ク レ ー ス の ブ ロ ン ズ 像
● 宝 石 や 金 を 使 っ た ア ク セ サ リ
● 宝 物 庫 か ら 見 つ か っ た イ ン ド の 工 芸 品 。 エ ウ ク ラ テ ィ デ ス が 遠 征 の 際 に 持 ち 帰 っ た も の と 推 測 さ れ る 。
● ア フ ロ デ ィ ー テ の 座 像 の 形 を し た 洗 面 所 用 ト レ イ
● 髭 を た く わ え 王 冠 を か ぶ っ た 中 年 男 性 の 浮 き 彫 り
日 時 計 、 イ ン ク 壷 、 食 器 な ど の 各 種 出 土 品 か ら 、 日 常 生 活 は ギ リ シ ア 風 だ っ た こ と が わ か る 。
ヘーラクレースのブロンズ像(紀元前2世紀)
2人の女性の胸像のついた腕輪(紀元前2世紀)
石製容器(紀元前3世紀から紀元前2世紀)
地中海との交易
ア イ ・ ハ ヌ ム か ら オ リ ー ブ ・ オ イ ル の つ ぼ が 見 つ か っ て お り 、 地 中 海 か ら オ リ ー ブ ・ オ イ ル を 輸 入 し て い た こ と が わ か る 。 当 時 、 オ リ ー ブ を 栽 培 し て い た の は エ ー ゲ 海 沿 岸 や シ リ ア だ け だ っ た 。 し た が っ て 、 地 中 海 方 面 と の 陸 路 の 交 易 路 が 存 在 し て い た こ と が 示 唆 さ れ る [ 6 ] 。
イ ン ド と の 関 係
ア イ ・ ハ ヌ ム で 見 つ か っ た イ ン ド 様 式 の 皿 。 K u n t a l a の 神 話 を 描 い た も の と 言 わ れ て い る 。
ヒ ン ド ゥ ー ク シ ュ 山 脈 ま で の ア フ ガ ニ ス タ ン 南 部 は 、 紀 元 前 3 0 5 年 ご ろ か ら マ ウ リ ヤ 朝 の 領 土 で あ り 、 デ メ ト リ オ ス 1 世 が 紀 元 前 1 8 0 年 に 再 征 服 す る ま で そ の 状 態 が 続 い た 。 ア イ ・ ハ ヌ ム は イ ン ド 側 領 土 か ら ほ ん の 数 キ ロ の 地 点 に あ り 、 1 世 紀 以 上 の 間 イ ン ド の 玄 関 口 と な っ て い た 。
ア イ ・ ハ ヌ ム か ら は 、 イ ン ド で 作 っ た と 思 わ れ る 遺 物 も い く つ か 出 土 し て お り 、 特 に K u n t a l a の イ ン ド 神 話 を 描 い た と さ れ る 貝 殻 で 作 ら れ 様 々 な 素 材 と 色 を 象 嵌 さ れ た プ レ ー ト が 有 名 で あ る [ 7 ] 。
ア イ ・ ハ ヌ ム で 出 土 し た ウ ッ ジ ャ イ ン の 緯 度 に 合 わ せ て 調 整 さ れ た 赤 道 式 日 時 計 ︵ 紀 元 前 3 世 紀 か ら 紀 元 前 2 世 紀 ︶
リ グ ・ ヴ ェ ー ダ の 神 々 の 像 を 描 い た ギ リ シ ア 風 貨 幣 も 出 土 し て い る 。
ま た 、 ウ ッ ジ ャ イ ン の 緯 度 に あ わ せ た 赤 道 式 日 時 計 な ど の 各 種 日 時 計 も 出 土 し て お り 、 マ ウ リ ヤ 朝 と の 交 流 、 さ ら に は イ ン ド ・ グ リ ー ク 朝 の 拡 大 の 中 で イ ン ド の 天 文 学 も 伝 わ っ て い た こ と も 示 唆 さ れ て い る [ 8 ] 。
貨 幣
ア イ ・ ハ ヌ ム で 出 土 し た レ ン ガ に あ っ た シ ン ボ ル
ア イ ・ ハ ヌ ム に は 独 自 の シ ン ボ ル が あ っ た ︵ 基 本 的 に は 三 角 形 の 中 に 丸 が あ り 、 若 干 の バ リ エ ー シ ョ ン が あ る ︶ 。 最 古 の 建 物 の レ ン ガ に そ の シ ン ボ ル が 刻 ま れ て い る 。
同 じ シ ン ボ ル は セ レ ウ コ ス 朝 の 硬 貨 に も 使 わ れ て お り 、 そ れ ら は ア イ ・ ハ ヌ ム で 鋳 造 さ れ て い た 可 能 性 が あ る 。 セ レ ウ コ ス 朝 の 硬 貨 は こ れ ま で ほ と ん ど が バ ク ト ラ で 鋳 造 さ れ た と 考 え ら れ て い た が 、 最 近 で は ア イ ・ ハ ヌ ム で 鋳 造 さ れ た 貨 幣 の 方 が 多 い と も 言 わ れ て い る [ 9 ] 。
ア イ ・ ハ ヌ ム で 出 土 し た 貨 幣 は セ レ ウ コ ス 朝 時 代 の も の に 始 ま り 、 エ ウ ク ラ テ ィ デ ス の 時 代 で 突 然 終 わ っ て い る 。 つ ま り 、 彼 の 治 世 の 終 わ り と 共 に こ の 都 市 が 征 服 さ れ た こ と を 示 し て い る 。
遊 牧 民 の 侵 略
北 方 の 遊 牧 民 ︵ ス キ タ イ と 月 氏 ︶ が オ ク サ ス ︵ ア ム ダ リ ヤ 川 ︶ を 渡 っ て バ ク ト リ ア に 侵 入 し た の は 紀 元 前 1 3 5 年 ご ろ で あ る 。 月 氏 の 侵 略 に 続 く 紀 元 前 1 3 0 年 か ら 1 2 0 年 に ア イ ・ ハ ヌ ム は 放 棄 さ れ た と み ら れ る 。 主 要 な 建 物 に は 大 規 模 な 火 災 の 痕 跡 が あ る 。 最 後 の グ レ コ ・ バ ク ト リ ア 王 ヘ リ オ ク レ ス は 紀 元 前 1 2 5 年 ご ろ 、 都 を バ ル フ か ら カ ー ブ ル の 谷 に 移 し た 。 ア イ ・ ハ ヌ ム で は ヘ リ オ ク レ ス の 硬 貨 が 見 つ か っ て お ら ず 、 こ の 都 市 が エ ウ ク ラ テ ィ デ ス の 治 世 の 最 後 に 破 壊 さ れ た こ と を 示 唆 し て い る 。 イ ン ド ・ グ リ ー ク 朝 の 下 で 紀 元 10 年 ご ろ ま で ギ リ シ ア 人 が イ ン ド 北 部 の 各 地 を 支 配 し 続 け た が 、 イ ン ド = ス キ タ イ 族 に 征 服 さ れ た 。 そ の わ ず か 数 十 年 後 、 月 氏 に よ る ク シ ャ ー ナ 朝 が 起 こ り 、 北 イ ン ド に 領 土 を 拡 大 し て い っ た 。
ベ グ ラ ム や ハ ッ ダ の 遺 跡 と 同 様 、 ア イ ・ ハ ヌ ム の 遺 跡 も 長 引 く ア フ ガ ニ ス タ ン 紛 争 に よ っ て 略 奪 と 破 壊 が 横 行 し て い る 。
重 要 性
ア イ ・ ハ ヌ ム は イ ン ド の 玄 関 口 に あ た る 。
ア イ ・ ハ ヌ ム の 出 土 品 は グ レ コ ・ バ ク ト リ ア 王 国 と イ ン ド ・ グ リ ー ク 朝 の 文 明 を 示 す 遺 物 と し て 重 要 で あ り 、 そ れ ま で は 硬 貨 以 外 に そ れ ら 文 明 の 痕 跡 は 見 つ か っ て い な か っ た 。 そ の た め ﹁ バ ク ト リ ア の 幻 影 ﹂ と ま で 言 わ れ て い た 。
こ の 発 見 に よ っ て ギ リ シ ア が 東 洋 に 与 え た 影 響 に 新 た な 視 点 が 与 え ら れ 、 仏 教 美 術 へ の ギ リ シ ア の 影 響 が 再 確 認 さ れ た 。
ア イ ・ ハ ヌ ム か ら 出 土 し た と さ れ る ほ ぼ 実 物 大 の 深 緑 色 の ガ ラ ス 製 フ ァ ル ス な ど 、 数 々 の 出 土 品 は ス イ ス ・ ア フ ガ ニ ス タ ン 研 究 所 の 所 長 P a u l B u c h e r e r - D i e t s c h i が ス イ ス で 数 年 間 保 管 し て い た が 、 現 在 は カ ー ブ ル 博 物 館 に 返 還 さ れ て い る [ 1 0 ] 。
脚注・出典
(一) ^ B e l l , G e o r g e . " J o u r n a l o f t h e R o y a l S o c i e t y o f A r t s " . R o y a l S o c i e t y o f A r t s , 1 9 7 0 . p . 4 4 5
(二) ^ B e r n a r d , P . ( 1 9 9 4 ) : " T h e G r e e k K i n g d o m s o f C e n t r a l A s i a . " I n : H i s t o r y o f c i v i l i z a t i o n s o f C e n t r a l A s i a , V o l u m e I I . T h e d e v e l o p m e n t o f s e d e n t a r y a n d n o m a d i c c i v i l i z a t i o n s : 7 0 0 B . C . t o A . D . 2 5 0 . H a r m a t t a , J á n o s , e d . , 1 9 9 4 . P a r i s : U N E S C O P u b l i s h i n g . I S B N 9 2 - 3 - 1 0 2 8 4 6 - 4 , p . 1 0 3 .
(三) ^ C l a u d e R a p i n , " D e l ' I n d u s à l ' O x u s " , p 3 7 5 . A l s o f u l l d e s c r i p t i o n o f t h e p a p y r i i ( F r e n c h )
(四) ^ C l a u d e R a p i n , " D e l ' I n d u s à l ' O x u s " , p 3 7 5
(五) ^ o r i g i n a l t e x t a n d F r e n c h t r a n s l a t i o n
(六) ^ F r o h l i c h , p . 1 0
(七) ^ " A f g h a n i s t a n , t r e s o r s r e t r o u v e s " , p 1 5 0
(八) ^ " L e s i n f l u e n c e s d e l ' a s t r o n o m i e g r e c q u e s s u r l ' a s t r o n o m i e i n d i e n n e a u r a i e n t p u c o m m e n c e r d e s e m a n i f e s t e r p l u s t ô t q u ' o n n e l e p e n s a i t , d è s l ' é p o q u e H e l l é n i s t i q u e e n f a i t , p a r l ' i n t e r m é d i a i r e d e s c o l o n i e s g r e c q u e s d e s G r é c o - B a c t r i e n s e t I n d o - G r e c s " ( F r e n c h ) A f g h a n i s t a n , l e s t r é s o r s r e t r o u v é s " , p 2 6 9 . 翻 訳 : ﹁ ギ リ シ ア の 天 文 学 は こ れ ま で 考 え ら れ て い た よ り も 早 く か ら イ ン ド の 天 文 学 に 影 響 を 与 え て い た と 思 わ れ 、 グ レ コ ・ バ ク ト リ ア の ギ リ シ ア 人 入 植 地 の 代 表 者 や イ ン ド ・ グ リ ー ク 朝 を 通 し て ヘ レ ニ ズ ム 時 代 に 影 響 を 及 ぼ し た と 考 え ら れ る ﹂
(九) ^ " S e l e u c i d c o i n s o f B a c t r i a " , B r i a n K r i t t
(十) ^ 出 典 、 B B C N e w s 、 別 の 記 事 。 ド イ ツ 語 の 写 真 を 交 え た 詳 細 な 解 説 は こ ち ら 。
関連項目
参考文献
Tarn, W. W. (1984). The Greeks in Bactria and India . Chicago: Ares. ISBN 0-89005-524-6
Bopearachchi, Osmund (2003) (French). De l'Indus à l'Oxus, Archéologie de l'Asie Centrale . Lattes: Association imago-musée de Lattes. ISBN 2-9516679-2-2
Frohlich, Pierre (2004) (French). Les Grecs en Orient. L'heritage d'Alexandre. La Documentation photographique, n.8040 . Paris: La Documentation Francaise
Afghanistan: Hidden Treasures from the National Museum, Kabul (2008). Eds., Friedrik Hiebert and Pierre Cambon. National Geographic, Washington, D.C. ISBN 978-1-4262-0374-9 .
外部リンク