セレウコス朝
- セレウコス朝
- Αυτοκρατορία των Σελευκιδών
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←前312年 - 前63年 →
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→(ヴェルギナの太陽) (馬、象、および錨がシンボルとされた)
セレウコス朝の最大領土-
公用語 ギリシャ語 首都 アンティオキア 通貨 ドラクマ
歴史[編集]
ディアドコイ戦争[編集]
継承[編集]
同年、セレウコス1世はさらにマケドニア本国を目指して進軍したが、自らの下に亡命していたプトレマイオス・ケラウノス︵エジプト王プトレマイオス1世の息子︶によって暗殺された[21]。プトレマイオス・ケラウノスはその後リュシマコスの仇を討ったとして、リュシマコスの遺産獲得に進むこととなる[22]。 セレウコス1世が死亡する前、息子のアンティオコス1世︵ソテル︶は王の称号とともにセレウコス朝の東方領土︵上部サトラペイア︶の支配を委ねられていた[23]。父セレウコス1世と息子アンティオコス1世による分担統治の実態はよくわかっておらず、文献史料においてοι άνω τόποιと呼ばれる、また現存する唯一の碑文史料においてοι άνω σατραπείαιと呼ばれる上部サトラペイア地域の正確な範囲はわかっていない[24]。古代の歴史学者の記録はユーフラテス川の東の全てがアンティオコス1世の所管で、帝国の中枢部であったバビロニアをも含んでいたとするアッピアノスや、ティグリス川以東、主としてイラン高原地域をその領域として列挙するシケリアのディオドロスなどがある[24]。いずれにせよ、セレウコス1世の存命中、アンティオコス1世はメディアやバクトリアで多くの時を費やしていた[25]。 281年のセレウコス1世の死を受けて帝国を継承したアンティオコス1世は、ただちに父の本拠地であったシリアでの反乱に直面した[26]。加えて、アナトリアへのガリア人︵ケルト人︶の侵攻︵前278年-前275年︶、さらには南部シリア︵コイレ・シリアをめぐるプトレマイオス朝との戦争︵第1次シリア戦争‥前274年-前271年頃︶の勃発が重なり、アンティオコス1世の治世初期はこれら西方での諸紛争に忙殺されることとなった[23][26]。それでも、アンティオコス1世は父親と同じように自分の息子セレウコスを上部サトラペイアの支配者として共同統治者に任命し、少なくとも治世前半には東方領土はまだセレウコス朝の王権に十分服しており、第1次シリア戦争においては銀や象などがバビロン、さらにはバクトリアからシリアへと送付されている[26]。しかし、このセレウコスは前267年に反逆の嫌疑により処刑され、代わって別の息子アンティオコス︵2世︶が上部サトラペイアの支配者に任命された[26]。その後、アンティオコス1世はアナトリア方面におけるペルガモンへの遠征で敗死し、アンティオコス2世が跡を継いだ。東部領土の喪失[編集]
セレウコス朝の国力と関心が西方に集中している間、そのための負担のみを求められた東部領土の有力者たちは離反の動きを強めた。紀元前250年頃、ディオドトス1世は支配地域のバクトリアを独立させてグレコ・バクトリア王国を建て、さらにアンドラゴラスが支配地域のパルティアナを独立させてパルティアを建てた。中央アジア方面におけるセレウコス朝の領土は大幅に縮小した。 さらに紀元前246年に即位したセレウコス2世カリニコスは、プトレマイオス朝との戦争に加え、兄弟であるアンティオコス・ヒエラクスの反乱に直面し、セレウコス朝の領土縮小に拍車をかけた。アンティオコス3世の遠征とローマ[編集]
紀元前223年、アンティオコス3世が即位すると、セレウコス朝は再び拡大期に入った。アンティオコス3世は即位するとすぐ国内の反乱勢力の多くを鎮圧した。プトレマイオス朝と戦った第4次シリア戦争では紀元前217年のラフィアの戦いでは一敗地にまみれたものの、紀元前212年に開始した東方遠征では著しい成功を収めた。まずパルティアへ向かったアンティオコス3世は、アンドラゴラスの領土を征服して同地に王朝を築いていたアルサケス朝のアルサケス2世を破った。続いてバクトリアへ向かい、アリエ川の戦いでバクトリア王エウテュデモス1世の軍勢を破り、さらにバクトラを2年間にわたって包囲して有利な講和を結び、セレウコス朝の東方における影響力は飛躍的に増大した。東方遠征から戻ったアンティオコス3世は再びプトレマイオス朝と戦って勝利した︵第5次シリア戦争︶。 これらの業績によって彼は大王と呼ばれる。しかし、間もなく共和政ローマと対立しローマ・シリア戦争が勃発するが、マグネシアの戦いで決戦に及んだが大敗に終わり、アパメイアの和約で領土割譲と膨大な賠償金を課せられるに到り、セレウコス朝の拡大は再び終了した。アンティオコス3世の息子セレウコス4世フィロパトル、アンティオコス4世エピファネスの治世を通じて、ローマのセレウコス朝に対する影響力は増大を続け、反比例してセレウコス朝の権威は失墜した。衰退[編集]
滅亡[編集]
紀元前1世紀にはいると、セレウコス朝が政治的に積極的な役割を果たすことは無くなった。紀元前83年、セレウコス朝はアルメニア王ティグラネス2世の支配下に入った。しかし、ティグラネスがローマの仇敵であったポントス王ミトリダテス6世と同盟関係にあったため、ローマはアルメニアを攻撃してティグラネスを降伏させた。その後シリアに進駐したローマの司令官グナエウス・ポンペイウスはシリアをシリア属州とし、セレウコス朝の歴史はここに終了した。統治[編集]
初代セレウコス1世は、息子のアンティオコス1世にユーフラテス川より東の広大な地域︵当時は上部サトラペイアと呼ばれた︶の統治を任せた。アンティオコス1世はティグリス河畔のセレウキアを拠点にこの領土を治めた。この事実はセレウコス1世による支配の力点が圧倒的に西方、シリアに置かれていたことを示す。アンティオコス1世による東方領土統治の詳細はよくわかっていない。セレウコス1世の政敵であったアンティゴノス1世は、かつてメディアの総督︵サトラップ︶であったニカノルに上部サトラペイアの統治を任せたといわれており、アンティオコス1世の地位はこれを継承したものであると推定されている。この王族による東西領土の分割統治は、その後も断続的に続いた。都市建設[編集]
マケドニア・ギリシア人と現地人[編集]
マケドニア人とギリシア人︵以下一括してギリシア人と呼ぶ︶の移住はアケメネス朝時代から散発的に始まっていたが、アレクサンドロスの征服とセレウコス朝の時代にはいよいよ本格的になった。ギリシア人殖民団とそれ以前から各地に住んでいた人々は、かなり明確に区別されていた。ティグリス河畔のセレウキアではギリシア人とバビロニア人は別個の都市を形成しており、互いに対立していたと記録されている。他の多くの地域でも、ギリシア人の政治共同体とは別に現地人の政治共同体が形成されている例が多かった。 近現代の研究者たちによって、セレウコス朝は基本的にはマケドニア人の王朝であると見なされていたし、事実セレウコス朝の主導権を握ったのはマケドニア人︵ギリシア人︶であった。政治的理由から対等の立場を認められた現地人の共同体もあった︵例えばストラニキアにおけるカリア人など︶ものの、いくつかの都市においては明らかに現地人が隷属民として扱われていたし、バビロニア人など比較的強力な集団もギリシア人に対して劣勢であったとされている。ただし、セレウコス朝領内のギリシア人人口は全体から見れば少数であり、上述した都市建設政策によってギリシア人が詰める城砦網を造ることで、数の不足を補い支配の安定を図る伝統的政策を採ったと思われる︵ただし当時の都市についての研究は万全から程遠く、推論の域を出るものではない︶。 現実問題としてはマケドニアによる外来王朝が、圧倒的多数の現地住民の意向を完全に無視して行動するのは不可能であったし、セレウコス朝国家自体も現地人の関与を受けないわけにはいかなかった。軍の中級以下の指揮官に各地の現地出身の将軍が用いられた例は少なくないし、一般兵員においてはギリシア人だけでは到底数が足りなかった。アンティオコス3世が編成したファランクスの構成員の過半数がオリエント各地の傭兵によって占められていたという研究もある。しかし、高級官吏や軍指揮官の地位に非マケドニア人︵ギリシア人︶が任用されることはやはり稀なことであった。年表[編集]
●紀元前305年、セレウコス1世ニカトル、王を名乗る。 ●紀元前304年、インド領を放棄 ●紀元前301年、シリアを獲得 ●紀元前281年、小アジアの大半を獲得し、ディアドコイ戦争は最終的に終結。 ●紀元前278年、マケドニアと和解 ●紀元前274年、ガリア人の侵入を撃退 ●紀元前271年、プトレマイオス朝との第一次シリア戦争 ●紀元前262年、アッタロス朝が独立 ●紀元前260年、第二次シリア戦争 ●紀元前255年頃、バクトリアが独立。 ●紀元前247年頃、パルティアが独立。 ●紀元前246年、第三次シリア戦争 ●紀元前219年、第四次シリア戦争 ●紀元前212年、アンティオコス3世東方へ大遠征。 ●紀元前205年、パルティア、インドなどに対し宗主権を確立 ●紀元前205年、第五次シリア戦争 ●紀元前190年、ローマ・シリア戦争にて共和政ローマに敗北し、アルメニアが独立 ●紀元前140年、マカバイ戦争に敗北しユダヤ人の独立を承認 ●紀元前130年、パルティアとの戦争に敗北し、東方の領土を完全に喪失 ●紀元前64年、ポンペイウスに敗北し滅亡。ローマに併合へ歴代君主[編集]
(一)セレウコス1世ニカトル︵前312年 - 前281年︶ (二)アンティオコス1世ソテル︵前281年 - 前261年︶ (三)アンティオコス2世テオス︵前261年 - 前246年︶ (四)セレウコス2世カリニコス︵前246年 - 前226年︶ ●アンティオコス・ヒエラクス︵前240年 - 前228年) - アナトリアで自立 (五)セレウコス3世ケラウノス︵前226年 - 前223年︶ (六)アンティオコス3世︵前223年 - 前187年︶ ●アカエオス︵前220年 - 前213年︶ (七)セレウコス4世フィロパトル︵前187年 - 前175年︶ (八)アンティオコス4世エピファネス︵前175年 - 前164年︶ (九)アンティオコス5世エウパトル︵前164年 - 前162年︶ (十)デメトリオス1世ソテル︵前162年 - 前150年︶ (11)アレクサンドロス1世バラス︵前150年 - 前145年︶ (12)デメトリオス2世ニカトル︵前145年 - 前138年︶ - 一時パルティアの捕虜 ●アンティオコス6世ディオニュソス︵前145年 - 前140年?︶ ●ディオドトス・トリュフォン︵前140年? - 前138年︶ - 簒奪者 (13)アンティオコス7世シデテス︵前138年 - 前129年︶ (14)デメトリオス2世ニカトル︵前129年 - 前126年︶、復位 ●アレクサンドロス2世ザビナス︵前128年 - 前122年︶ - 簒奪者 (15)クレオパトラ・テア︵前125年 - 前121年︶ - アレクサンドロス1世、デメトリオス2世、アンティオコス7世の妃 ●セレウコス5世フィロメトル︵前126年 - 前125年︶ (16)アンティオコス8世グリュポス︵前125年 - 前96年︶ ●アンティオコス9世キュジケノス︵前113年 - 前95年︶ (17)セレウコス6世エピファネス・ニカトル︵前96年 - 前95年︶ (18)アンティオコス10世エウセベス︵前95年 - 前92年または前83年︶ ●デメトリオス3世エウカエラス︵前95年 - 前88年︶ ●フィリッポス1世フィラデルフォス︵前95年 - 前83年︶ ●アンティオコス11世エピファネス・フィラデルフォス︵前95年 - 前92年︶ ●アンティオコス12世ディオニュソス︵前87年 - 前84年︶ (19)ティグラネス1世︵前83年 - 前69年︶、アルメニア王 ●セレウコス7世キビオサクテス︵前83年 - 前69年︶ (20)アンティオコス13世アジアティクス︵前69年 - 前63年︶ ●フィリッポス2世フィロロマイオス︵前69年 - 前63年︶系図[編集]
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| アパメー1世 |
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| フィラ |
| アンティゴノス2世 マケドニア王 |
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デメトリオス2世 マケドニア王 |
| ストラトニケ |
| ベレニケ (エジプト王プトレマイオス2世娘) |
| アンティオコス2世 |
| ラオディケ1世 |
| アンドロマコス |
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| アンティオコス・ヒエラクス |
| ストラトニケ |
| アリアラテス3世 カッパドキア王 |
| ラオディケ |
| ミトリダテス2世 ポントス王 |
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| セレウコス2世 |
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| ラオディケ2世 |
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| アカイオス |
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| ラオディケ3世 |
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| ラオディケ4世 |
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| クレオパトラ1世 |
| プトレマイオス5世 エジプト王 |
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| アンティオコス4世 |
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| アンティオコス |
| ペルセウス マケドニア王 |
| ラオディケ5世 |
| デメトリオス1世 |
| アンティオコス5世 |
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| プトレマイオス6世 エジプト王 |
| プトレマイオス8世 エジプト王 |
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| ラオディケ6世 |
| ミトリダテス5世 ポントス王 |
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| デメトリオス2世 |
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| クレオパトラ・テア |
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| アレクサンドロス1世 |
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| ミトリダテス6世 ポントス王 |
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| アンティオコス7世 |
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| アンティオコス6世 |
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| セレウコス5世 |
| クレオパトラ・トリュファイナ |
| アンティオコス8世 |
| クレオパトラ・セレネ1世 |
| アンティオコス9世 |
| クレオパトラ4世 |
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セレウコス6世 |
| アンティオコス11世 |
| フィリッポス1世 |
| デメトリオス3世 |
| アンティオコス12世 |
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| アンティオコス10世 |
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| フィリッポス2世 |
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| アンティオコス13世 |
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参考文献[編集]
関連項目[編集]
●シリア戦争 (プトレマイオス朝) ●第三次ミトリダテス戦争脚注[編集]
注釈[編集]
出典[編集]
- ^ a b 西洋古典学事典, pp. 703-705 「セレウコス」の項目より
- ^ 小川 1997, pp. 182-190
- ^ a b c d シャムー 2011, pp. 59-60
- ^ a b ウォールバンク 1988, p. 62
- ^ ウォールバンク 1988, p. 138
- ^ a b c シャムー 2011, p. 64
- ^ a b c ウォールバンク 1988, p. 66
- ^ シャムー 2011, p. 65
- ^ Grainger 2015, p. 25
- ^ 小川 1997, p. 191
- ^ a b マッキーン 1976, p. 294
- ^ シャムー 2011, p. 71
- ^ ウォールバンク 1988, p. 68
- ^ a b c シャムー 2011, p. 73
- ^ a b シャムー 2011, p. 74
- ^ ウォールバンク 1988, p. 74
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- ^ ウォールバンク 1988, p. 75
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