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「エンタシス」の版間の差分

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== 概要 ==

== 概要 ==

[[古代ギリシャ]]発祥建築方法である。エンタシスを施した柱を下から見上げると、真っ直ぐに安定して見える[[錯覚]]を生むため、巨大建築物の柱に用いることが多い。


[[]]εντείνω (enteino) [[]]



[[]][[]]1/3

[[]]殿[[]][[]]1/3


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== 胴張り・粽 ==

== 胴張り ==

[[法隆寺]]などにみられる柱のふくらみを、「胴張り」または「徳利柱」と呼ぶ。柱の下から1/3の所が最も太くなるタイプのエンタシスである。

[[法隆寺]]など東アジアの歴史的建築にみられる柱のふくらみを、「胴張り」または「徳利柱」と呼ぶ。柱の下から1/3の所が最も太くなるタイプのエンタシスである。




[[]][[]][[]]<ref> p.31</ref>

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韓国では胴張りの柱を用いた仏堂が現代に至るまで建築されている。歴史的建造物としては、[[高麗時代]]の[[浮石寺]]無量寿殿(国宝第18号)や[[江陵客舎門]](韓国国宝第51号)などがある。

韓国では胴張りの柱を用いた仏堂が現代に至るまで建築されている。歴史的建造物としては、[[高麗時代]]の[[浮石寺]]無量寿殿(国宝第18号)や[[江陵客舎門]](韓国国宝第51号)などがある。



[[鎌倉時代]]には中国から[[大仏様]]と[[禅宗様]]が日本に伝えられ、柱の上方を細くするタイプのエンタシスが流行した。これは「胴張り」とは呼ばず「粽(ちまき)」と言う。

[[鎌倉時代]]には中国から[[大仏様]]と[[禅宗様]]が日本に伝えられ、柱の上方を細くするエンタシス風の曲線を持つ柱が流行した。これは「エンタシス」や「胴張り」とは呼ばず「粽(ちまき)」と言う。



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== 「エンタシス」と「胴張り」の関係 ==

== 「法隆寺の胴張りの起源は古代ギリシャのエンタシス」 ==

1893年(日本の明治時代)、帝国大学(現在の東大)院生の[[伊東忠太]]が、法隆寺の胴張りの起源が古代ギリシャにあるとする論文(学位論文)「法隆寺建築論」を発表した。この説は[[和辻哲郎]]が昭和時代に発表したエッセイ『[[古寺巡礼]]』によって特に有名となった。

1893年(日本の明治時代)、帝国大学(現在の東大)院生の[[伊東忠太]]が、法隆寺の胴張りの起源が古代ギリシャにあるとする論文(学位論文)「法隆寺建築論」を発表した。この説は[[和辻哲郎]]が昭和時代に発表したエッセイ『[[古寺巡礼]]』によって特に有名となった。




2019年1月21日 (月) 21:48時点における版

エンタシスの柱(パルテノン神殿

(entasis)


εντείνω (enteino) 

殿1/3

胴張り


1/3

[1]

寿殿1851


「法隆寺の胴張りの起源は古代ギリシャのエンタシス」説


1893

[2]西

3

参照

  1. ^ 『古建築の細部意匠』近藤豊 p.31
  2. ^ 『藤森照信×山口晃 日本建築集中講義』 淡交社 p.13