オードリーのオールナイトニッポン
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オードリーのオールナイトニッポン | |
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ジャンル | バラエティ番組 |
放送方式 | 生放送 |
放送期間 | 2009年10月10日〜 |
放送時間 | 毎週土曜日25:00 - 27:00(120分) |
放送局 | ニッポン放送 |
ネットワーク | NRN |
パーソナリティ |
オードリー (春日俊彰・若林正恭) |
ディレクター | 宗岡芳樹 |
提供 | ジーニアス英和辞典他 |
公式サイト | 公式サイト |
﹃オードリーのオールナイトニッポン﹄は、ニッポン放送など全国36局で放送の深夜放送のラジオ番組である。パーソナリティはお笑いコンビオードリーの春日俊彰・若林正恭。2009年2月28日、及び同年5月6日に単発で放送された後、2009年10月10日よりレギュラー放送を開始。メインスポンサーが大修館書店のため、提供読みの際は﹁ジーニアス英和辞典プレゼンツ﹂がタイトルの前に読まれる。
概要
●前述の通り、オールナイトニッポンRスペシャルナイト、オールナイトニッポンにおける単発の放送や、ニッポン放送の携帯電話用ウェブサイト︵ニッポン放送モバイル1242︶の他レコチョクでも配信された﹃オードリーのオールナイトニッポンモバイル﹄が好評であったため、レギュラー番組として放送されることになった。 ●レギュラー放送初回となる10月10日の放送の様子をカメラで撮影し、DVDとして発売されることが10月9日に発表された。このような映像作品の発売はオールナイトニッポン42年の歴史の中で初。 ●番組最初の提供読みは若林、番組最後の提供読みは春日がそれぞれ担当しており、その際に春日が﹁ニッポン放送を“keystation”に、36局“net”でお送りしました﹂と部分的にネイティブスピーカーっぽく発音するのが恒例。ただし“net”は、発音次第によってはスラングになってしまうので、気を付けるよう二人で話し合っている。 ●春日は当番組のみで自らのことを﹁カスミン﹂と称している[1]。これはかつて土曜日の同時間帯に放送されていた﹃松任谷由実のオールナイトニッポン﹄のパーソナリティ松任谷由実の愛称﹁ユーミン﹂から来たもの。初回放送時に勝手に名乗り始めたものだが、後に春日が松任谷由実本人に会い﹁ミン﹂使用許可を得た。また、番組中にも、新曲の告知も兼ねて、﹁ユーミンからカスミンへ﹂というメッセージも寄せられた。 ●いわゆる﹁中学生男子が、学校に行っている間に母親に部屋を掃除され、隠していた○○本がバレる﹂という趣旨のあるあるトークの際、ごく自然にオナニーという言葉を口にしたことに対して、女性リスナーから指摘を受けたため、以降配慮し、﹁自分磨き﹂という隠語で呼ぶことになった。 ●オープニングではテーマ曲のイントロの後、若林が﹁こんばんはオードリーの若林です﹂春日が﹁土曜の夜、カスミン﹂若林が﹁よろしくお願いします﹂春日が﹁ひとつよしなに﹂と言って始まることが定着、2010年5月29日から番組の台本にセリフとして書かれるようになった。 ●エンディングは春日が﹁このあとまた、夢でお逢いしましょう。アディオス﹂と言って締めくくられる。 ●オードリーと親交の深いどきどきキャンプの佐藤が、第2回目からメール処理などの雑用を毎回無償でお手伝いをしていることが第9回目の放送で明らかになった。第10回目の放送では番組で発売されるDVDの宣伝大使として任命され、番組にメッセージを寄せた。途中からは佐藤の話題を出す時は﹁この番組の作家﹂とわざわざ付け加えている。 ●春日は毎回、水色のタンクトップを着て本番に臨む︵第一回・入院中以外︶。水色を選んだのは﹁マイクの色とお揃いにした﹂というのが理由だが、前述のDVDのジャケットでのマイクの色は黄色で、リスナー以外には意図が全く伝わらなかった。なお、このタンクトップは最初に着用してから一度も洗濯していない。放送時間
●毎週土曜日 25:00 - 27:00︵日本標準時日曜日未明1:00 - 3:00、2009年10月10日 - ︶レギュラー化前
●2009年2月28日 27:00 - 29:00︵番組タイトルは﹃オードリーのオールナイトニッポンR﹄、ニッポン放送は28:30まで︶ ●2009年5月6日 25:00 - 27:00コーナー
未来辞典 第24回(2010年3月20日)よりスタート。未来の明鏡国語辞典に載るであろう言葉と意味を募集するコーナー。読み上げるのは若林。転じる辞典同様、採用者全員に1000円分の図書カードと﹁受験をトオースお守り﹂が贈呈され、採用者の中から毎週1名選出される﹁ベスト未来辞典賞﹂には明鏡国語辞典とジーニアス英和辞典の2冊が贈られる。タイトルコールでは若林が﹁未来。それは、遠い先のことではない。いま私たちが暮らしている日常が未来の常識をつくるのだ。﹂と言ったあとに﹁未来辞典をつくろう!﹂とがなるが、2010年6月頃から雑なタイトルコールをするようになり、春日から﹁集中集中!﹂と喝を入れられることがある。基本的にこのコーナーは毎週行っているが、時間の都合上2通しか読まないときもあれば5通以上読むときもある。 死んでもやめんじゃねーぞ 第24回(2010年3月20日)よりスタート。通称﹁死んやめ﹂。番組の打上げの時に春日が提案したコーナー。その際スタッフには無視されたが、そのエピソードを番組で話したところ、リスナーからの投稿が多かったため実現した。ショーパブに出演していた若林が、芸人をやめようと思っていたとき、ビトタケシがビートたけしのモノマネをしながら、﹁あんちゃん、死んでもやめんじゃねーぞ﹂と励ましたというエピソードが由来。春日がビトのモノマネをしながら、リスナーから送られてきた、﹁おい〇〇!、□□するの死んでもやめんじゃねーぞ!﹂という投稿を読んでいく。BGMはビトタケシが歌う﹁浅草キッド﹂(このコーナーの直前には同曲が使われているジングルが流れるのが恒例)。春日が﹃アウトレイジ﹄を見て触発され、映画内の台詞をモノマネしたところ若林が相当気に入ってしまい、2010年6月12日の放送で春日に何度も言わせていた。そこで、アウトレイジ公開に合わせて翌週から﹁死んでもやめんじゃねーぞ!﹂の後に﹁ぶち殺すぞコラ!﹂という言葉が追加されるようになった。第47回(2010年8月28日)のスペシャルウィークではゲストのビトタケシとコラボレーションし、春日の﹁死んでもやめんじゃねーぞ!﹂のあとにビトが﹁ぶち殺すぞコラ!﹂と言った。なお、﹁ぶち殺すぞコラ!﹂はこの週で終え、翌週からは通常通りのコーナーに戻った。 どんだけ~の小部屋 第28回(2010年4月17日)よりスタート。若林がIKKOになりきり、リスナーから送られた﹁どんだけー﹂な投稿を読みあげる。IKKOと共演した際の﹁LUSHのバスボムですぅ~どんだけぇ~﹂という発言が脳裏に焼きついた若林がモノマネを習得したというエピソードがきっかけで始まった。BGMはIKKOの﹃どんだけ〜!の法則﹄。 言えないよ~の小部屋 第49回(2010年9月11日)よりスタート。2010年8月14日の﹁全国調査﹂のコーナー内で春日が次週のテーマを発表した瞬間に郷ひろみの﹁言えないよ﹂が流れ、それに合わせて春日が歌詞を知らないのに歌ったことがきっかけ。翌週の全国調査テーマ発表の際にも同曲が流され、春日が同じように歌った。さらに9月4日の放送でも流され、春日がその度に適当な歌を披露するのでエンディングでリスナーから歌詞の募集を呼びかけ、翌週から正式にコーナー化した。﹁言えないよ﹂のワンフレーズだけが流され、そのあと春日が送られてきた歌詞通りに歌う。 クロ林とシロ春日 第50回(2010年9月18日)よりスタート。﹁全国調査﹂が2010年9月11日の放送で終了したため翌週から始まった。テレビなどでは決して見せない淀んだ性格をラジオで呈していることから、若林の裏の黒い一面﹁クロ林﹂。一方、白ワインを嗜好したりキャバクラ通いにハマっていたりと、かつての節約キャラが崩壊していることから、真実の春日の姿﹁シロ春日﹂の目撃情報をリスナーから募集するコーナー。クロ林情報は春日が、シロ春日情報は若林が交互に読み上げる。タイトルコール後に流れる曲は﹁鬼警部アイアンサイド﹂のテーマ曲﹁Ironside﹂。過去のコーナー
三つの器 第26回(2010年4月3日)よりスタート。あるシチュエーションに対する3つの器を募集する。﹁小さい器﹂・﹁大きい器﹂・﹁○○な器﹂の人の行動を紹介していき、三つ目の﹁◯◯な器﹂でボケることになっている。2010年5月18日の放送からは番組ホームページで募集をかけているものの、コーナー自体は行われなくなり、9月11日分の更新からは遂にホームページでの募集が消えた。結果的にコーナーは自然消滅し、3回しか行われなかったことになる。 100のギネスを持つ男 第12回(2009年12月26日)よりスタート。﹁100のギネスを持つ男﹂こと春日が、リスナーの﹁春日さんは〇〇ということをやったというのは本当ですか?﹂などのメールにアドリブで答える無茶振りコーナー。中には﹁それはやってない﹂﹁それはちょっと事実とは異なるね。実際は~﹂という返しもある。勿論このコーナーの内容は全てフィクションである。 春日のケチエコ検定 単発特別番組初回に実施。 転じる辞典 日常の出来事から新たなことわざや格言を作る。採用者全員に図書カード1000円分と後期からは番組オリジナルノベルティ﹁受験をトオースお守り﹂がプレゼントされ、毎週1名に﹁ベスト転じる賞﹂として明鏡国語辞典とジーニアス英和辞典の2冊がプレゼントされる。 定番は前田健をいじった﹁マエケンの下ネタ﹂。リスナーからの投稿が盛り上がりすぎた結果、本コーナーでは、2人は前健についての投稿を禁止にし、その後、本コーナーは無くなった。 10年目のプロポーズ オードリーは、若林が春日の両親に挨拶をしないまま、結成10年が経ってしまった、言うなれば﹁駆け落ちコンビ﹂である。本来なら大学生の頃からマスコミセミナーに通い、テレビ局に就職して、伝説的なお笑い番組を作りたい、と夢見ていた春日を、﹁ナイスミドル﹂→﹁オードリー﹂に引き摺り込んでしまった。その為、若林は念頭では常に、春日の両親に申し訳なさを感じていたため︵ましてや売れるのが遅かったため︶、けじめとして、普段のスタジオも特別に﹁鶴の間﹂とし、春日の両親を招いて、﹁息子さんを僕に下さい!﹂と、挨拶がしたい。10年越しのプロポーズを成功させようという企画。2010年6月26日放送。 当日限定で、TEAM付け焼刃がTEAM仲人として動き、河口正史をゲストに招いた回レベルの豪華さで、本人たちも改めて聴くと笑ってしまうほどの仰々しい﹃オードリーヒストリー﹄をナレーションとして入れ、また、これまでお世話になったバーモント秀樹やビトタケシ、ショーパブ・キサラ店長のコメントなどもオンエアされた。 そして日付も変わって、2010年6月27日、友引でお日柄も良い中、スタジオの名前を特別に﹁鶴の間﹂と変え、若林が春日の母に生電話をした。 ﹁息子さんはケチで汚くてウソつきですが純粋で人に騙されやすい。だけど腹黒い僕ならば、逆に守ることが出来る。これからも年を取っても一緒にやっていきたい最高の相方なので、息子さんを僕に下さい!﹂︵趣旨︶と挨拶をし、OKをいただいた。 また、電話での挨拶終了後、リスナーからも、﹁これからお二人でネタという子供をたくさん作って下さい﹂等の暖かいメールも寄せられた。 受験生企画﹁新・受験生ブルース﹂ 1968年にヒットした﹁受験生ブルース﹂に対し、現在の受験生のための﹁新・受験生ブルース﹂を作るため、その歌詞と曲をリスナーに募る。 リスナーから送られた歌詞をまとめた仮詞を公開し、それをもとにリスナーに曲をつくってもらった。その後投票によって2種類が選ばれ、﹁激励編﹂と﹁癒し編﹂と名付けられた。久保こーじがアレンジ、春日が﹁激励編﹂、若林が﹁癒し編﹂の曲中のナレーションを担当し、2010年1月9日からニッポン放送の携帯サイトで販売された。 アメフトの小部屋 オードリーが学生時代にアメリカンフットボールをやっており、2人がアメリカンフットボールについて語りゆくゆくはアメフト大使を目指そうというコーナー。しかし、2人のトークがマニアックすぎた場合はディレクターの判断でジングルが流れ、CMに入ってしまう。今後の発展次第では、﹁アメフトの大部屋﹂へと昇格するらしい。2009年10月17日の第2回放送にて、若林からWikipediaにコーナー名が﹃男はアメフトだ!﹄であるという誤った情報が書いてあると指摘を受けた。 キャスティング王 様々なシチュエーションにおいて、リスナーが理想の女優やアイドルを勝手にキャスティングする。第2回放送からは春日と若林に分かれて対決という形で行われ、﹃ウッチャンナンチャンのオールナイトニッポン﹄の﹁タコイカじゃんけん﹂や、﹃くりぃむしちゅーのオールナイトニッポン﹄の﹁ツッコミ道場!たとえてガッテン!﹂のような、スタッフから判定をもらい何連勝かするとご褒美、何連敗かすると罰ゲームというルールになっていた。2009年11月28日放送の第8回で若林が5連敗し罰ゲームを受けた。また、2010年2月27日放送の第21回で春日が5連敗し罰ゲームを受けた。 電話で全国行脚 どのような状況でオンエアを聞いているのかリスナーに電話をかけるコーナー。春日曰く女性限定だが、最後までオードリーの2人を騙し続けることができれば男性でも可。36局ネットの内ランダムに放送局を選び、毎回その地域のリスナー限定でメールを集る。条件は女性限定であることの他に電話は携帯電話は禁止で固定電話などで生電話をしても大丈夫な人、選ばれた地方局の人気番組もしくはパーソナリティーがいえること、得意のモノマネを披露できることがある。第2回以降、毎回、下着の色をたずねることが決定した。若林曰く、﹁春日のソフトテレクラコーナー﹂であるが、第6回は﹁春日の恋愛相談コーナー﹂、第8回と第9回は春日が設定したシチュエーションに基づき方言で春日を罵倒するコーナーとなった。 コーナー終了後に2人が次回の地域を話し合って決め、そのネット局名を発表する。その時に発表されるネット局名が正式名称であり、一般に使われている愛称や呼称でないのでリスナーにとってわかり辛いことがある︵第3回のラジオ大阪は正式名称の﹁大阪放送﹂と発表された。また第5回はSTVラジオの﹁V﹂の読み方を間違えていたが、次の週に訂正された︶。 ネット局一覧 長崎放送︵第1回︶、山形放送︵第2回︶、ラジオ大阪︵第3回︶、南海放送︵第4回︶、STVラジオ︵第5回︶、信越放送︵第6回︶、山陰放送︵第8回︶、ラジオ福島︵第9回︶、熊本放送︵第11回︶、KBS京都︵第15回︶、宮崎放送︵第17回︶、ラジオ沖縄︵第21回︶、福井放送︵第31回︶ 電話で全国調査 ﹁電話で全国行脚﹂コーナーの放送スパンが長く開くことがたびたびあったため、このままでは47都道府県を網羅するのは途方もない時間がかかる、という理由でリニューアルしたコーナー。毎回テーマを出し、そのテーマに沿った実際に身近で使われてる言葉をメールで募集し、その中から一名のリスナーの元へ電話をかける。基本的には学生向けのコーナーだが、社会人でも﹁自分が学生のころはこういう言葉が使われていた﹂という内容ならばOK。また、﹁全国行脚﹂との違いは携帯電話での通話が可能になったこと。基本的には女性リスナーのみだが、一度だけ男性リスナー限定で実施されたことがある。ゲスト
日時 (回数) | ゲスト | 備考 |
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2009年12月19日 (第11回) | 河口正史 | |
2010年1月23日 (第16回) | RN.テラリン じゅんご はなわ |
[2] |
2010年2月20日 (第20回) | ビトタケシ バーモント秀樹 |
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2010年3月6日 (第22回) | RN.テラリン RN.みなみ 佐藤満春 |
[3] |
2010年4月24日(第30回) | いとうあさこ | |
2010年8月28日 (第47回) | ビトタケシ バーモント秀樹 くじら |
歴史
2009年
●2月28日:単発1回目を﹁オールナイトニッポンR﹂で放送。 ●5月6日:単発2回目を水曜1部︵普段は﹁小栗旬のオールナイトニッポン﹂を放送している時間帯︶で放送。 ●10月10日︵第1回︶:レギュラー放送開始。この様子を収録したDVDが、翌年1月8日に発売された。 ●12月5日:キャスティング王の5連敗の罰ゲームとして、若林の趣味である写真を展示する、﹁若林正恭のぶってる写真展﹂を開催した︵﹁ぶってる﹂は﹁アーティストぶってる﹂の意︶。開催場所はニッポン放送社屋内のイマジンスタジオ。当日の天候は雨だったが、約1000人が訪れた。罰ゲームのため、若林は全く乗り気ではなく、当日深夜の放送では春日やリスナーからの写真批判にキレていた。写真展を訪れたリスナーに最もひどい写真を5つ選んでもらった結果、壁のコンセントを撮影した﹁ナンパ待ち﹂という写真がワースト1位で選ばれ、その写真は、番組HPで公開された。2010年
●1月2日︵第13回︶:﹁オードリーの小声でオールナイトニッポン﹂と題し、春日が居を構える﹁むつみ荘﹂をキーステーションとして放送された。この放送は生放送ではなく前年12月27日の収録放送。そのため、オードリーが出演した﹁第60回NHK紅白歌合戦﹂などの話題は翌週に話された。[4] ●1月23日︵第16回︶:春日がテレビ番組収録中の事故による骨折の影響で入院していたため、終始病室から電話で出演した。[4] ●2月6日︵第18回︶: オードリーが2月7日︵現地時間︶に行われるスーパーボウル中継のゲストとしてマイアミに行くため録音放送となった。冒頭で若林が﹁フロリダからお送りしているか、録音か﹂と発言していたが、﹁雪が積もっている﹂と発言したことで録音および日にちまで特定できてしまった。 ●3月6日︵第22回︶: 番組初の公開録音。当日16時に収録したものを、ほぼ編集無しで放送した。 ●5月1日︵第30回︶: 当日行われた日比谷公園でのイベント﹁ラジオパーク﹂の公開録音の模様と併せて放送した。また、キャスティング王の5連敗の罰ゲームとして、日本通運の協力で日比谷公園の小音楽堂に﹃むつみ荘春日邸in日比谷﹄として、同日と翌日5月2日、春日邸が一時移設され完全再現された。この日初めての番組グッズ“春日体操ビブス”︵背中に春日が書いた﹁負けられない戦がある﹂の文字︶と“若林正恭ぶってるキーホルダー”︵﹁ナンパ待ち﹂の写真が印刷されたもの︶が2000円でセット販売された。 ●5月15日︵第32回︶: 春日が母の日のプレゼントとして、インターネットで注文したカーネーションの鉢植えが、母に届いたかどうかを確認するために、母に電話した。電話した時は届いていなかったが、6月19日︵第37回︶の放送で、後日になって届いたと報告した。宛て先
●メールアドレス kw@allnightnippon.com kwは春日、若林の頭文字である。 単発放送時はkasuga@allnightnippon.comだった。 ●ハガキの宛先:〒100-8439 ニッポン放送﹁オードリーのオールナイトニッポン﹂各コーナースタッフ
以下のスタッフは︵主に︶若林から、﹃TEAM付け焼刃﹄と呼ばれている。若林は2010年4月3日放送分︵第27回︶で﹁﹃TEAM付け焼刃﹄に︵ラジオパーク用に︶放送作家が5名いるので、メールの奪い合い﹂と指摘していた。 ●ディレクター‥宗岡芳樹︵むねおか よしき︶ 他には木曜日の﹃ナインティナインのオールナイトニッポン﹄のディレクターも担当。 ●構成作家‥藤井青銅︵ふじい せいどう︶ かつて﹃ウッチャンナンチャンのオールナイトニッポン﹄などを担当していた。若林は自身初の冠番組で藤井と仕事をしたことがある。 ●構成作家‥佐藤満春 お笑いコンビ﹃どきどきキャンプ﹄のツッコミであり、放送2回目からノーギャラで手伝いをしている。なお、佐藤は公開収録の度にミニコーナー﹃どきどきキャンプ佐藤のミニミニオールナイトニッポン﹄を担当している。 ●ミキサー‥大沢和隆︵サウンドマン︶ 2010年7月3日の放送で、担当を外れたことが若林から報告された。 ●構成作家‥前原卓磨 ●構成作家‥栗坂祐輝︵他、﹃お笑いさぁ~ん﹄にも作家として参加している︶ 前原と栗坂ははたびたび春日と行動し、その一部始終を春日がトークのネタにしているため、若林に﹁ズッコケ三人組﹂と呼ばれている。 ●構成作家:鈴木賢一 通称﹃ビーチ﹄。﹃くりぃむしちゅーのオールナイトニッポン﹄も担当していた。他の番組ではディレクターやADも担当している。関連番組
●﹃ナインティナインのオールナイトニッポン﹄︵2人が尊敬する芸人の番組で木曜日のオールナイトニッポン︶ ●﹃半田健人のオールナイトニッポン﹄︵前番組︶ ●﹃オードリーのシャンプーおじさん﹄︵他局のラジオ番組︶ ●﹃お笑いネクストブレーカー﹄︵ナイスミドル時代に出演︶ ●﹃オールナイトニッポンモバイル﹄︵一部回を配信︶脚注
(一)^ フジテレビジョン系列の昼の長寿番組森田一義アワー 笑っていいとも!でCM中に﹁カスミン﹂と言った観客がいたらしく﹁やめてくださいな、説明面倒なんで・・・﹂と言っていた (二)^ RN.テラリンは、﹁中くらいの夢 feat.オードリーのオールナイトニッポン 激励編﹂を歌う素人の歌手︵リスナー︶でオープニングのみ。病床にいた春日を激励した。じゅんごとはなわは番組後半から出演。 (三)^ RN.みなみは、﹁中くらいの夢 feat.オードリーのオールナイトニッポン 癒し編﹂を歌う素人の歌手︵リスナー︶。RN.テラリンとともに、生歌を披露した。 (四)^ abオールナイトニッポンモバイルで配信外部リンク
●オードリーのオールナイトニッポン ●オードリー土曜深夜オールナイトニッポン(ニッカンスポーツ) ●オードリー、オールナイトニッポン初のDVD化! (サンケイスポーツ) ●オードリーと一緒に"1万人の春日体操"でトゥース(ナタリー)オールナイトニッポン 土曜 | ||
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前担当 |
オードリーのオールナイトニッポン |
次担当 - |
曜日 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 |
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月曜 | 城田優 | |||||||||||
火曜 | 岡野昭仁 | はんにゃ | ||||||||||
水曜 | 小栗旬 | 吉岡聖恵 | ||||||||||
木曜 | ナインティナイン | |||||||||||
金曜 | 吉岡聖恵 | AKB48 | ||||||||||
土曜 | オードリー |