カネテツデリカフーズ
表示
種類 | 株式会社 |
---|---|
市場情報 | 非上場 |
略称 | かねてつ |
本社所在地 |
日本 〒679-4167 神戸市東灘区向洋町西五丁目8番地 |
設立 | 1948年(昭和23年)9月29日 |
業種 | 食料品 |
法人番号 | 8140001023937 |
事業内容 | 水産練製品・惣菜の製造販売 |
代表者 | 代表取締役社長 村上健 |
資本金 | 4,000万円 |
従業員数 | 311名(男・233名/女・78名) |
関係する人物 | 中島らも |
外部リンク | http://www.kanetetsu.com/ |
特記事項:創業は 1926年(大正15年)3月、西宮にて。 |
カネテツデリカフーズ株式会社︵Kanetsu Delica Foods Inc.︶は、兵庫県神戸市東灘区に本社を置くかまぼこやちくわなどの魚肉練り製品を製造・販売する日本の食品メーカー・水産加工品業者である。
カネテツデリカフーズ本社内の﹁てっちゃん工房﹂
●1926年︵大正15年︶3月 - 村上鉄雄が兵庫県西宮市に於いて魚肉練り製品製造業を創業。
●1944年︵昭和19年︶2月 - 戦時企業統制令により、神戸かまぼこ株式会社に統合される。
●1948年︵昭和23年︶10月 - 統制経済解除で﹁かねてつ蒲鉾株式会社﹂設立。
●1951年︵昭和26年︶ - マスコットキャラクター﹁てっちゃん﹂誕生。
●1967年︵昭和42年︶3月 - ﹁かねてつ食品株式会社﹂に社名変更。
●1982年︵昭和57年︶ - 中島らもが常務・村上健の命を受け、雑誌﹃宝島﹄で﹁啓蒙かまぼこ新聞﹂を連載、話題となる。
●1985年︵昭和60年︶1月1日 - ﹁カネテツデリカフーズ株式会社﹂に社名変更。
●1990年︵平成2年︶ - 全製品の合成保存料無添加を実施。
●1998年︵平成10年︶1月 - 神戸地方裁判所に和議を申請。
●1998年︵平成10年︶4月 - 伊藤ハム株式会社と業務提携。
●2012年︵平成24年︶4月 - てっちゃん工房オープン。
●2013年︵平成25年︶5月 - 物流部門を業務委託化。
概要
創業者の村上鉄雄が、1926年︵大正15年︶に兵庫県西宮市で練製品の製造を始める。間もなくして第二次世界大戦の開戦により、1944年︵昭和19年︶には戦時企業統制令の発令で、同社を中心に数社の同業者を統合し、神戸かまぼこ株式会社に改名。社長に就任すると共に、戦後になって、同業者が合同の状態で、再び企業名をかねてつ蒲鉾株式会社に改名。また本社及び工場を、西宮市から神戸市兵庫区神明町に移転する。 1951年︵昭和26年︶に誕生したマスコットキャラクター、﹁てっちゃん﹂の登場ならびに、CMソング﹁てっちゃんの歌﹂で、関西から西日本では、一躍その名が知れ渡ると共に、地元・関西では有名企業の一つとして知名度を高めるが、東海地方から東では、同業最大手の紀文を筆頭に、他にも小田原市に本社を置く、鈴廣や籠清など競合他社が多数しのぎを削っていたこともあり、今ひとつの知名度に甘んじていた。しかし1982年︵昭和57年︶に、当時同社の常務だった村上健︵現社長︶が、コピーライターの中島らもと灘高校の同級生であった縁から、﹃宝島﹄誌上で2ページの新聞記事もどきの広告﹁啓蒙かまぼこ新聞﹂の連載を開始する。かまぼこなどの練り製品に興味を持たない読者に対し、あの手この手の奇手奇策を凝らした内容が話題となる共に、これに乗じて、関東地方を中心とする東日本への営業展開を開始。関西で有名企業だった同社の名前が、ついに全国区の知名度を得ることになる。ただ﹁啓蒙かまぼこ新聞﹂は、編集方針そのものがかなりいい加減であったため、読者に対し企業側の思惑とはかけ離れたイメージを与える[1]ことも少なくなく、時には批判の声が上がることもあった。 1998年︵平成10年︶1月29日に取引先の経営破綻の影響を受け[2]、神戸地方裁判所に和議を申請したが、取引先等の支援を受け自主再建の道を選ぶ。その後業績は持ち直し、関西を代表する練り製品メーカーとして、近年では伊藤ハムと業務提携を締結した。 なお、兵庫県伊丹市に本社がある水産加工品メーカー﹁伊丹かねてつ食品﹂とはかねてつという屋号のつながりから関係を取り沙汰されることも多いが、資本・人材面において関連は一切ない。 キャッチコピーは﹁何かが違う専門店の味﹂︵CMなどで使用︶。 当社の看板商品の一つである﹁練り物﹂は食用油で揚げた物が中心であるが、近年は健康志向を考えて油で揚げない︵業界初︶ノンオイルの練り物も発売している。沿革
テレビ番組・CM
前述の通り関西では非常に有名な企業であり、関東地区でもCMが放送されていたことから一定の知名度があった。また﹁てっちゃん﹂のキャラクターと、童謡﹁かわいい魚屋さん﹂を思わせる軽快なCMソング﹁てっちゃんのうた﹂︵作詞‥宮崎博史・作曲‥冨田勲・歌‥松島トモ子︶は人気を呼び、同社の知名度増に拍車を掛けた。地元関西の朝日放送では1980年代に関西ローカルで午後6時~7時台の天気予報のスポンサーを務めていたことでも知られる︵タイトルは﹁てっちゃんの天気予報﹂で、提供クレジットは﹁かねてつ﹂。現社名になる前の1984年︵昭和59年︶頃にその天気予報はたいむ6に内包される︶。ちなみに﹁てっちゃん﹂のモデルは当社2代目社長の幼少時代をモチーフにしたと言われる。 現社名に変更された1985年︵昭和60年︶から数年間、関東でもテレビ東京系列の水曜夜の天気予報のスポンサーとなり、海外の海の映像と当時のCMソング︵インスト︶をバックに、天気予報をテロップで流していた。さらに画面下には同社のシンボルマークが常時表示されていた。脚注
(一)^ その一例として、この一連の広告をまとめ、1987年にビレッジプレスから刊行された﹁啓蒙かまぼこ新聞・単行本﹂にて、作家の村上春樹が、同単行本の刊行に伴い、寄せたあとがき・解説に、村上の姉が、中島の手による﹁啓蒙かまぼこ新聞﹂を読んだ際に、”中島らもという人物が﹁かねてつ﹂という架空の企業を勝手にでっち上げて、この2ページの中で無茶苦茶な絵空事を書いている”という風にとらえていた例がある。
(二)^ 但し、当該取引先企業との間には、実際の商品と連動しない不透明な手形取引が頻繁に行われていたことが明らかになっており︵日経ビジネス1998年7月27日号、85~88ページ︶、単純な取引債権の焦げ付きではなく手形詐欺の被害に遭ったという側面が強い。
関連項目
- つみきみほ - トータルなイメージキャラクターとして、同社と契約。1987年から1990年にかけて放送された、同社のCMの多くに出演していた。
- 忍者ハットリくん - 「かねてつ食品」時代にテレビ朝日系で放送されたテレビアニメ版(1981年〜1983年)のスポンサーを務めていた。