ゲルト・エンゲルス
表示
ハゲルト・エンゲルス(Gert Josef Arthur ENGELS、1957年4月26日 - )はドイツ・デューレン市出身の元サッカー選手・コーチ・監督。
略歴
現役時代はデューレン99、ボルシア・メンヒェングラットバッハ、現在の水戸ホーリーホックの前身であるアセノスポーツクラブなどでプレー、引退後、デューレン99のユースコーチに就任したのを皮切りに1990年に再び来日し、アセノスポーツクラブのコーチとなった。その後、兵庫県の滝川二高のコーチを経て1993年より横浜フリューゲルスのコーチとなった。
1998年からはヘッドコーチを務めていたが、10月に前任のカルロス・レシャックの辞任を受け監督となった。それからわずか1月後、フリューゲルスは横浜マリノスとの合併が発表されたが合併発表以後の試合はリーグ戦、天皇杯とも全て勝ち、天皇杯を見事制覇した。ホーム最終戦のスピーチで﹁誰でもいい、助けてくれ!﹂と叫んでアピールするなどチーム消滅と最後まで闘い、天皇杯優勝後も﹁ドイツではカップ戦で優勝したチームには沢山の企業からスポンサーになりたいとオファーがある。カップ戦優勝チームが消滅するなんてドイツではあり得ない﹂と語り、日本サッカー界に警鐘を鳴らした。
1999年はジェフユナイテッド市原の監督となったもののファーストステージ限りで解任された。
2000年からは京都パープルサンガのコーチとなったが前任の加茂周が解任されたのを受けてセカンドステージから監督に昇格、この年はチームのJ2降格を食い止めることは出来なかったものの翌2001年はJ2優勝を果たし、さらにJ1に復帰した2002年は天皇杯で優勝する、というセンセーショナルな結果を残した。しかし2003年は開幕から10試合で2勝8敗の不振のため解任された。2004年から浦和レッドダイヤモンズのヘッドコーチを務めている。監督経験豊富にもかかわらず、一歩下がってギド・ブッフバルト監督の片腕としてサポートしており、最早浦和にはなくてはならない貴重な存在とされている。2007年は監督がホルガー・オジェックに交代となったが、コーチとして続投。2008年3月16日、成績不振の責任を問われオジェックが解任されたことに伴い、監督に昇格した。
天皇杯はコーチとして1度︵横浜フリューゲルス︶、ヘッドコーチとして2度︵浦和レッズ︶、監督として2度︵横浜フリューゲルス、京都パープルサンガ︶の計5回優勝している。2006年にはヘッドコーチとしてゼロックス・スーパーカップ優勝、そしてJリーグ優勝に貢献した︵浦和レッズ︶。
監督として
元々ユース世代のコーチから出発しており、選手の育成能力や戦術的組織を作る能力は高い。最新のスポーツ科学に基づいたトレーニングを組むモダンなドイツ人指導者である。
エピソード
●日本滞在が長いため、インタビューでもほぼ全て日本語で答えている。なお、本人によればドイツ語と日本語を含めて6ヵ国語を話せるとのこと。
●夫人はフィリピン人。
●喫煙者である。
●ザビエルの末裔と言う噂である[要出典]エラー: タグの貼り付け年月を﹁date=yyyy年m月﹂形式で記入してください。間違えて﹁date=﹂を﹁data=﹂等と記入していないかも確認してください。。
監督・ヘッドコーチ成績
- 天皇杯優勝 5回(1993, 1998, 2002, 2005, 2006)
- J2優勝 & J1昇格 1回(2001)
- J1ステージ優勝 1回(2004-2nd)
- J1年間優勝 1回(2006)
- J1年間準優勝 3回(2004, 2005, 2007)
- ナビスコ杯準優勝 1回(2004)
- ゼロックス・スーパーカップ優勝 1回(2006)
- AFC アジアチャンピオンズリーグ優勝 1回(2007)
|
|
|
|
|
|