「サッポー」の版間の差分
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[[ファイル:Sappho-drawing.jpg|180px|thumb|サッポー<br />(ロマン主義的なイメージで描かれたもの)(1883年の作品)]] |
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恋愛詩人としてのサッ |
恋愛詩人としてのサッフォーは[[古代ローマ]]時代にもよく知られ、[[オウィディウス]]は抒情詩「愛について」の中で「いまやサッポーの名はあらゆる国々に知られている」(Ars Amatoria, 第28行)と述べている。 |
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その一方で後世にはサッ |
その一方で後世にはサッフォーの作品は頽廃的であるとみなされ、さまざまな非難を浴びた。[[古代ローマ時代]]にもサッフォーは非難の的となっていたが、その後、[[キリスト教]]が興隆し、[[神学|キリスト教学]]が独善的な性格を強めてゆくに従い、サッフォーの詩は「反聖書的である」とされた。そして、[[キリスト教]]の力がエジプトにまで及ぶに至って、サッフォーの作品の多くが失われた。 |
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[[File:Godward-In the Days of Sappho-1904.jpg|thumb|left|300px|「サッフォーの時間」ジョン・エドワード・ゴットワード]] |
[[File:Godward-In the Days of Sappho-1904.jpg|thumb|left|300px|「サッフォーの時間」ジョン・エドワード・ゴットワード]] |
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当時、サッ |
当時、サッフォーの詩はエジプトの[[アレクサンドリア図書館]]に所蔵されていた。これは、アレクサンドリアが学問の都市であっただけでなく、キリスト教信徒や[[東ローマ帝国]]皇帝が、無神論を含むギリシア哲学や観察に基づく科学を「聖書を冒涜するもの」として非常に迫害するようになると、ギリシアの学者たちはキリスト教の力の及びにくいエジプト属州へ逃げて学問を続けていたためである(390年には、[[東ローマ帝国]]皇帝[[テオドシウス1世]]によって、“同性愛の罪を犯した”とするゴート人のギリシア学者を捕らえるという名目の下、[[テッサロニカの虐殺]]が起こる)。 |
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しかし、そのエジプトにも[[キリスト教]]の力が及ぶようになり、415年には、アレクサンドリアで、ギリシア学問の学校の女性校長であり著名な数学者・哲学者・無神論者でもあった[[ヒュパティア]]がキリスト教徒によって裸にされて吊され全身の肉を牡蠣の貝殻でそぎ落とされて惨殺されるという虐殺事件が起こった。さらに、エジプトを統括する司祭の指揮のもと、キリスト教徒は[[アレクサンドリア図書館]]をも破壊し蔵書を焼き払った。所蔵されていた大量の貴重なギリシア学問やヘレニズム学術の成果がすべて消失し、サッ |
しかし、そのエジプトにも[[キリスト教]]の力が及ぶようになり、415年には、アレクサンドリアで、ギリシア学問の学校の女性校長であり著名な数学者・哲学者・無神論者でもあった[[ヒュパティア]]がキリスト教徒によって裸にされて吊され全身の肉を牡蠣の貝殻でそぎ落とされて惨殺されるという虐殺事件が起こった。さらに、エジプトを統括する司祭の指揮のもと、キリスト教徒は[[アレクサンドリア図書館]]をも破壊し蔵書を焼き払った。所蔵されていた大量の貴重なギリシア学問やヘレニズム学術の成果がすべて消失し、サッフォーの詩もまた失われた。サッフォーの一部の詩は、キリスト教徒の迫害を逃れて[[サーサーン朝]]ペルシアへ亡命した学者たちにより現在まで残っている。 |
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前述のようにサッ |
前述のようにサッフォーは非常に女性同性愛と結びつけられやすかったため、現代では、Sapphic(サッフォー風の)は女性同性愛者を、Sapphismは女性同性愛を示すのに用いられる。また、女性同性愛者を呼ぶ一般的な呼称である「レスビアン」もサッフォーが[[レスボス島]]出身であることに由来する。ちなみに、英語で「レスボス人」は"lesbian"と表記されるが、これは「レズビアン」の"lesbian"と同じつづりである。そのことから、同島の現代の一般名称は[[レスボス島|ミティリーニ島]]の名称に好んで替えられて呼ばれている。 |
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== 日本語文献 == |
== 日本語文献 == |
2021年11月17日 (水) 05:59時点における版
サッフォー | |
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サッフォーだと推定されているもので、手前に「サッフォー」と書かれている。古代ギリシアの像を古代ローマ時代に模刻したもの。(紀元前5世紀初期) | |
誕生 |
紀元前7世紀末 レスボス島 |
死没 | 紀元前6世紀初 |
職業 | 詩人 |
活動期間 | 古代ギリシア |
ジャンル | 抒情詩 |
ウィキポータル 文学 |
生涯
作風
サッフォーの作品には5脚の3行と2脚の1行からなる四行詩が多く、この形式はサッポー詩体として知られる。またその詩の内容は好んで恋愛を主題とする。古来サッフォーの作として著名なものに﹁アプロディテへの讃歌﹂がある。評価
日本語文献
脚注
(一)^ Lidov 2002, pp. 205–6, n.7. (二)^ 注 - サッフォーの最後については、遡ればメナンドロス︵紀元前342-292)あたりから、渡し守のパオーンに恋をしてルーカディアの崖から飛び降りたのだろう、などと語られてきたが、これは現代の学者からは、歴史的な事実ではないと見なされており、おそらく喜劇詩人が作り出した話か、あるいはサッフォーの非自伝的な詩を彼女自身の話として誤読してしまったことが原因で作り出された話だろうと推測されている(Joel Lidov, "Sappho, Herodotus and the Hetaira", in Classical Philology, July 2002, pp.203–237. pp.205-206)。参考文献
●Lidov, Joel (2002). “Sappho, Herodotus and the Hetaira”. Classical Philology 97 (3).関連項目
●9歌唱詩人 ●マルーシャ・チュラーイ - ﹁ウクライナのサッフォー﹂と呼ばれる17世紀の女性詩人 ●エーゲ海の誘惑 - 2008年のウクライナ映画。原題が﹁サッポー﹂︵ウクライナ語: Сафо) ●パオーン外部リンク
- サッフォ:作家別作品リスト - 青空文庫
- サッポー日本語訳詩番号逆引き対照表 - ウェイバックマシン(2002年2月20日アーカイブ分)
- ギリシアの壺絵におけるサッポーの描写