タメルラーノ (ヘンデル)
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﹃タメルラーノ﹄︵Tamerlano︶HWV 18は、ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデルが1724年に作曲したイタリア語のオペラ・セリア。ティムールとオスマン帝国のバヤズィト1世が戦ったアンカラの戦いを背景とする作品である。
ハッピーエンドで終わることがほとんど義務であったバロック・オペラの中にあって、本作はかなり悲劇的な内容になっている[1]。登場人物の死が舞台上で描かれるのも異例である。
この時期、オペラ作家としてのヘンデルの創作活動は充実しており、﹃エジプトのジュリアス・シーザー﹄、本作、﹃ロデリンダ﹄の3作を約1年の間に次々と発表している。
ティムールの捕虜になったバヤズィト1世。スタニスワフ・フレボフス キ画︵1878年︶
台本はニコラ・プラドン﹃タメルラン﹄を原作として[2]アゴスティーノ・ピオヴェーネが書いた台本をニコラ・フランチェスコ・ハイムが改作したものである[3]。ピオヴェーネの台本は1711年にフランチェスコ・ガスパリーニの作曲したオペラがヴェネツィアで上演されているほか、多数の作品の元になっている︵アントニオ・ヴィヴァルディの﹃バヤゼット﹄、ヨゼフ・ミスリヴェチェクの﹃タメルラーノ大王﹄など︶。
自筆譜に記された日付によると、﹃タメルラーノ﹄は1724年7月3日に作曲を開始し、わずか20日後の7月23日に完成している[4]。しかし、バヤゼット︵バヤズィト1世︶役のために新しくテノール歌手フランチェスコ・ボロジーニが雇われたため、ヘンデルはボロジーニに合わせて曲の多くを改訂しなければならなくなった︵ボロジーニは自分のために改訂された台本を持ってきていた︶[5][6]。カストラート全盛の当時のオペラ・セリアにあって、テノールが英雄の役を歌うのは異例だった。
オペラは1724年10月31日にロンドンのヘイマーケット国王劇場で初演された。秋のシーズン中に9回、1725年5月にも3回上演された。1725年にはハンブルクでもレチタティーヴォ部分をドイツ語に翻訳して公演された[2]。
音楽は当時の定型であったレチタティーヴォとアリアの枠組みを使用しているが、重要な場面では技巧をつくしたアリオーゾが出現したり、レチタティーヴォ・セッコを途中で突然アッコンパニャートに変化させることによって劇的な効果をあげている。最後はこれも当時の定型であった全員の合唱による大団円に終わるが、その音楽は非常に暗い。
バヤゼットの歌うアリアのうち2曲は、ヘンデルの旧作であるオラトリオ﹃復活﹄および﹃ブロッケス受難曲﹄から転用されており、宗教曲的な響きを持つ[7]。