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当時、[[ゴールデンタイム]]19時台の視聴率で他局に押されつつあった<ref group="注">特に水曜日は大苦戦をしていた。</ref>TBSが視聴率を奪還するために練られた企画で、各曜日ごとに個性的な芸能人を司会に迎え、日替わりで特色のあるバラエティー番組を放送した<ref>{{Cite journal|和書|journal=企業と広告|volume=18|issue=10|publisher=チャネル|date=1992-10-01|pages=24 |
当時、[[ゴールデンタイム]]19時台の視聴率で他局に押されつつあった<ref group="注">特に水曜日は大苦戦をしていた。</ref>TBSが視聴率を奪還するために練られた企画で、各曜日ごとに個性的な芸能人を司会に迎え、日替わりで特色のあるバラエティー番組を放送した<ref>{{Cite journal|和書|journal=企業と広告|volume=18|issue=10|publisher=チャネル|date=1992-10-01|pages=24|id={{NDLJP|2853115/15}}}}</ref>。各番組には原則、情報番組の要素が加えられていた。TBSでの月-金曜19時台の帯番組は1984年から1987年まで拡大放送された﹃[[JNNニュースコープ]]﹄︵19:00-19:20︶以来となっていた。また、月曜から木曜19時台の日替わりバラエティ番組は[[1975年]]3月から同年7月まで[[テレビ東京|東京12チャンネル︵現‥テレビ東京︶]]で放送された﹃[[7時のナマナマ歌謡曲]]﹄︵月-金曜19:00-19:25︶以来で、1時間枠では初であった。さらに、火曜と水曜の1時間枠は前番組︵火曜﹃[[そこが知りたい]]﹄、水曜﹃[[北緯35度の風]]﹄︶から続けてだが、月曜19時台の1時間枠は[[1964年]]1月から7月に放送の時代劇﹃[[白馬の剣士]]︵第1期︶﹄以来28年3か月ぶりで︵バラエティー番組では初︶、木曜19時台の1時間枠はTBS開局以来初であった。
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当時の[[磯崎洋三]]社長のいわゆる「鶴の一声」で、視聴率の好悪に関わらず大量の番組を打ち切ってスタートした枠だったが、当初から視聴率は伸びず、結局『ムーブ』は1年で打ち切られた。さらなるテコ入れとして[[1993年]][[10月11日]]から[[1994年]][[3月24日]]までは同様の趣旨で『'''ザッツ!'''』が放送されたが、『ザッツ!』でも視聴率は伸びず、半年で打ち切りとなり、TBSが社運を賭けたゾーン編成は合わせて1年半の短命に終わった。しかし、『ムーブ』及び『ザッツ!』という枠そのものは失敗に終わったものの、『ムーブ』枠で唯一視聴率が好調であった『上岡龍太郎の男と女ホントのところ』は『上岡龍太郎vs50人』『[[上岡龍太郎がズバリ!]]』とタイトルを変え1996年まで放送を続け、『[[ウェディングベル|ザッツ!・ウェディングベル]]』は、枠消滅後も1997年まで継続、『[[関口宏の東京フレンドパークII|関口宏の東京フレンドパーク]]』は次番組の後に『関口宏の東京フレンドパークII』として復活し、時間帯を移動しつつも[[2011年]]3月まで放送されるなど結果を出した番組もある。 |
当時の[[磯崎洋三]]社長のいわゆる「鶴の一声」で、視聴率の好悪に関わらず大量の番組を打ち切ってスタートした枠だったが、当初から視聴率は伸びず、結局『ムーブ』は1年で打ち切られた。さらなるテコ入れとして[[1993年]][[10月11日]]から[[1994年]][[3月24日]]までは同様の趣旨で『'''ザッツ!'''』が放送されたが、『ザッツ!』でも視聴率は伸びず、半年で打ち切りとなり、TBSが社運を賭けたゾーン編成は合わせて1年半の短命に終わった。しかし、『ムーブ』及び『ザッツ!』という枠そのものは失敗に終わったものの、『ムーブ』枠で唯一視聴率が好調であった『上岡龍太郎の男と女ホントのところ』は『上岡龍太郎vs50人』『[[上岡龍太郎がズバリ!]]』とタイトルを変え1996年まで放送を続け、『[[ウェディングベル|ザッツ!・ウェディングベル]]』は、枠消滅後も1997年まで継続、『[[関口宏の東京フレンドパークII|関口宏の東京フレンドパーク]]』は次番組の後に『関口宏の東京フレンドパークII』として復活し、時間帯を移動しつつも[[2011年]]3月まで放送されるなど結果を出した番組もある。 |
2023年2月18日 (土) 07:42時点における版
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ムーブ | |
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ジャンル | バラエティ番組 |
出演者 | 下記参照 |
製作 | |
製作総指揮 | 森本仁郎(制作) |
プロデューサー | 深尾隆一(総合P) |
制作 | TBS |
放送 | |
放送国・地域 | ![]() |
放送期間 | 1992年10月12日 - 1993年9月23日 |
放送時間 | 月曜 - 木曜19:00 - 19:54 |
放送分 | 54分 |
概要
当時、ゴールデンタイム19時台の視聴率で他局に押されつつあった[注 1]TBSが視聴率を奪還するために練られた企画で、各曜日ごとに個性的な芸能人を司会に迎え、日替わりで特色のあるバラエティー番組を放送した[1]。各番組には原則、情報番組の要素が加えられていた。TBSでの月-金曜19時台の帯番組は1984年から1987年まで拡大放送された﹃JNNニュースコープ﹄︵19:00-19:20︶以来となっていた。また、月曜から木曜19時台の日替わりバラエティ番組は1975年3月から同年7月まで東京12チャンネル︵現‥テレビ東京︶で放送された﹃7時のナマナマ歌謡曲﹄︵月-金曜19:00-19:25︶以来で、1時間枠では初であった。さらに、火曜と水曜の1時間枠は前番組︵火曜﹃そこが知りたい﹄、水曜﹃北緯35度の風﹄︶から続けてだが、月曜19時台の1時間枠は1964年1月から7月に放送の時代劇﹃白馬の剣士︵第1期︶﹄以来28年3か月ぶりで︵バラエティー番組では初︶、木曜19時台の1時間枠はTBS開局以来初であった。 当時の磯崎洋三社長のいわゆる﹁鶴の一声﹂で、視聴率の好悪に関わらず大量の番組を打ち切ってスタートした枠だったが、当初から視聴率は伸びず、結局﹃ムーブ﹄は1年で打ち切られた。さらなるテコ入れとして1993年10月11日から1994年3月24日までは同様の趣旨で﹃ザッツ!﹄が放送されたが、﹃ザッツ!﹄でも視聴率は伸びず、半年で打ち切りとなり、TBSが社運を賭けたゾーン編成は合わせて1年半の短命に終わった。しかし、﹃ムーブ﹄及び﹃ザッツ!﹄という枠そのものは失敗に終わったものの、﹃ムーブ﹄枠で唯一視聴率が好調であった﹃上岡龍太郎の男と女ホントのところ﹄は﹃上岡龍太郎vs50人﹄﹃上岡龍太郎がズバリ!﹄とタイトルを変え1996年まで放送を続け、﹃ザッツ!・ウェディングベル﹄は、枠消滅後も1997年まで継続、﹃関口宏の東京フレンドパーク﹄は次番組の後に﹃関口宏の東京フレンドパークII﹄として復活し、時間帯を移動しつつも2011年3月まで放送されるなど結果を出した番組もある。 ﹃ムーブ﹄は、1992年秋の番組改編の最大の目玉で、メインとなる4人︵関口、三宅、紳助、上岡︶が並んで一斉に﹁この秋、ムーブです。﹂と言うテレビCMが作られていた︵単体で言うバージョンもあった︶。また、これとは別に﹁人間の味がする、ムーブ。﹂のキャッチコピーで料治直矢が出演する局のイメージCMもあった。 スポンサーセールスは前半・中盤・後半の3枠に分割されており、後半は雪印乳業︵現在の雪印メグミルク︶とグループ各社の一社提供だった。﹃ムーブ﹄枠
●月曜日‥﹃関口宏の東京フレンドパーク﹄ - 総合司会は関口宏と渡辺正行。 ●火曜日‥﹃三宅裕司のぎゃっぷウォーズ︵→三宅裕司の!どこが違うの?︶﹄ - ともに司会は三宅裕司が担当。 ●水曜日‥﹃島田弁護協会︵→テレビ進学塾︶﹄ - ともに司会は島田紳助が担当︵テレビ進学塾は佐藤B作が加わる︶。 ●木曜日‥﹃上岡龍太郎の男と女ホントのところ﹄ スタジオセットの床のタキロンなどに﹃ムーブ﹄の共通ロゴがある以外は各番組とも独立した内容だった。﹃ムーブ﹄は全編ステレオ放送が実施されていた[注 2]。エンディングでは﹁今月の歌﹂として下記のエンディングテーマ曲が使用されていた︵最後の4か月間は行われていない︶。歴代エンディングテーマ曲
●1992年10月 氷室京介﹁Good Luck My Love﹂ ●1992年11月 渡辺美里﹁メリーゴーランド﹂ ●1992年12月 髙橋真梨子 with 玉置浩二﹁貴方が生きたLove Song﹂ ●1993年1月 アルフィー﹁Believe﹂ ●1993年2月 SING LIKE TALKING﹁離れずに暖めて﹂ ●1993年3月 Hound Dog﹁JEALOUSY﹂ ●1993年4月 KATSUMI﹁君のもとへ﹂ ●1993年5月 TUBE﹁夏を待ちきれなくて﹂︵曲を歌うTUBEとともに司会者4人が合成で出てくるバージョンと櫓を組んだ祭りの会場セットで歌うバージョンの2つが流された︶﹃ザッツ!﹄枠
●月曜日‥﹃関口宏のPAPAパラダイス﹄ ●火曜日‥﹃ウェディングベル﹄ ●水曜日‥﹃コサキンルーの怒んないで聞いて!!﹄ ●木曜日‥﹃上岡龍太郎vs50人﹄︵かみおかりゅうたろうとごじゅうにん、タイトル変更︶ ﹃ムーブ﹄ではステレオ放送が実施されていたが、﹃ザッツ!﹄では﹁今月の歌﹂が廃止されたため、モノラル放送に切り替えられた。﹃ザッツ!﹄終了後
1994年春の改編でゾーン編成は解消されたが、火曜日の﹃ウェディングベル﹄は続行。木曜日の﹃上岡龍太郎vs50人﹄は﹃上岡龍太郎がズバリ!﹄とタイトルを再変更して継続。月曜日には﹃ムーブ﹄時代に好評だった﹃関口宏の東京フレンドパーク﹄が﹃関口宏の東京フレンドパークII﹄として復活をし、2011年春まで放送された[注 3][注 4]。 また、水曜日初期に放送されていた﹃島田弁護協会﹄の末期に集中的に放送されていた、嫁不足に悩む地方の独身男性と都会に住む女性をお見合いさせる﹃沼島お見合いシリーズ﹄は視聴率が15パーセントを超えるなど好評を博し、その後期首特番などで﹃沼島の春よふたたび﹄としてシリーズ化される[注 5]などここから派生した番組は多い。 なお、TBSは1994年春の﹃ザッツ!﹄終了から2009年春の﹃総力報道!THENEWS﹄までの期間、19時台に帯のゾーンを編成しなかった。打ち切り
元々、この時間で放送されていた番組︵﹃クイズ100人に聞きました﹄、﹃わいわいスポーツ塾﹄など︶や火曜21時からの2時間枠﹃ギミア・ぶれいく﹄など視聴率は悪くはなかったものの番組枠確保のため打ち切られた番組も多い。﹃ギミア・ぶれいく﹄司会の大橋巨泉は﹃ムーブ﹄に大反対し磯崎と直談判まで行い番組の存続を訴えている[注 6]。 同様に﹃DRAGON QUEST -ダイの大冒険-︵第1作︶﹄[注 7]は視聴率が好調だったことから放送延長が決まりそれを前提としたストーリーを作成していた矢先に打ち切りとなった。そのためアニメは大幅なストーリー変更の上終了。市場にアニメ未登場キャラクターの玩具が発売される事態となった。[2] また﹃KATO&KENテレビバスターズ﹄は裏番組に押されたため視聴率で苦戦、視聴率が10パーセントに届かないことも多く﹁鶴の一声﹂で打ち切られた。ムーブの改編によって影響が出た放送番組
●月曜日 ●19時台前半‥クイズ100人に聞きました→終了 ●19時台後半‥わいわいスポーツ塾→終了︵スポンサーの雪印グループは本番組に移動︶ ●火曜日 ●19時台‥そこが知りたい→20時台に移行。 ●20時台‥連続ドラマ枠→21時台に移行。 ●21・22時台‥ギミア・ぶれいく→終了 ●水曜日 ●19時台‥北緯35度の風︵毎日放送制作︶→終了、毎日放送制作枠は怪傑!ドクターランドとして火曜22時台に移行。 ●木曜日 ●19時台前半‥DRAGON QUEST -ダイの大冒険-︵第1作︶→終了 ●19時台後半‥近藤正臣の味覚人情報︵毎日放送制作︶→終了、毎日放送制作枠は新伍のワガママ大百科として土曜18時台前半に移行。 ●土曜日 ●18時台前半‥料理天国→終了 ●20時台‥KATO&KENテレビバスターズ→終了 ●日曜日 ●19時台後半・20時台‥Goodジャパニーズ→終了脚注
注釈
出典
TBS系列 月曜日19時台 | ||
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前番組 | 番組名 | 次番組 |
クイズ100人に聞きました わいわいスポーツ塾 ※19:30 - 19:58 |
ムーブ |
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TBS 火曜日19時台 | ||
そこが知りたい |
ムーブ |
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TBS系列 水曜日19時台 | ||
ムーブ |
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TBS系列 木曜日19時台 | ||
DRAGON QUEST -ダイの大冒険- 近藤正臣の味覚人情報 ※19:30 - 19:58 【毎日放送制作】 |
ムーブ |