「ラモン・ヴィナイ」の版間の差分
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[[File:Ramón Vinay.jpg|thumb|ラモン・ヴィナイ]] |
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⚫ | '''ラモン・マリオ・フランシスコ・ヴィナイ・セプルベダ'''('''Ramón Mario Francisco Vinay Sepúlveda''', [[1912年]][[8月31日]] - [[1996年]][[1月4日]])は、[[チリ]]生まれの[[オペラ]]歌手。1940年代から60年代にかけて[[テノール]]および[[バリトン]]の両声域で活躍した。特に[[ジュゼッペ・ヴェルディ|ヴェルディ]]『[[オテロ (ヴェルディ)|オテロ]]』に多く出演したことで有名。 |
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== 生涯 == |
== 生涯 == |
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1912年、チジャン |
1912年、[[チジャン]](Chillán)にフランス系移民の子として生まれる。幼くして母親を亡くし、1920年に父親らと共に[[フランス]]に移住、[[ディーニュ=レ=バン]]に育つ。1928年には単身で[[メキシコ]]に再移住、同地で歌唱の才能を認められ、初め[[バリトン]]として訓練を受ける。初舞台は1931年9月16日、[[メキシコシティ]]、[[w: en: Palacio de Bellas Artes|ベラス・アルテス劇場]]にて、[[ガエターノ・ドニゼッティ|ドニゼッティ]]『[[ラ・ファヴォリート|ラ・ファヴォリータ]]』のドン・アルフォンソ役。 |
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ヴィナイはメキシコを拠点としてバリトン歌手としての活躍を続け、イタリア・オペラの主なバリトン役、例えばヴェルディ『[[リゴレット]]』、同『[[アイーダ]]』のアモナズロ、[[ルッジェーロ・レオンカヴァッロ|レオンカヴァッロ]]『[[道化師 (オペラ)|道化師]]』のトニオなどをレパートリーにする。 |
ヴィナイはメキシコを拠点としてバリトン歌手としての活躍を続け、イタリア・オペラの主なバリトン役、例えばヴェルディ『[[リゴレット]]』、同『[[アイーダ]]』のアモナズロ、[[ルッジェーロ・レオンカヴァッロ|レオンカヴァッロ]]『[[道化師 (オペラ)|道化師]]』のトニオなどをレパートリーにする。 |
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[[1944年]]には[[テノール]]の声域に挑戦、6月19日に難役『[[オテロ (ヴェルディ)|オテロ]]』でテノールとしてのデビューを飾る。バリトン出身の重い声質と、フランス語の発音の良さを活かし、[[ジョルジュ・ビゼー|ビゼー]]『[[カルメン]]』のドン・ホセ役、[[カミーユ・サン=サーンス|サン=サーンス]]『サムソンとデリラ』のサムソン役なども得意とした。[[1946年]]からは[[ニューヨーク]]・[[メトロポリタン歌劇場]]、[[1947年]]からは[[イタリア]]の各都市にも登場、殆ど上記のオテロ、ドン・ホセ、サムソンおよび『道化師』のカニオばかりを歌って、同時代の[[テノール#分類|テノール・ドラマティコ]]の中心的存在となった。歌い崩しの少ない彼の歌唱は多くの大指揮者にとっても好評で、オテロでは[[アルトゥーロ・トスカニーニ|トスカニーニ]]指揮盤([[NBC交響楽団]]による放送録音)、[[ヴィルヘルム・フルトヴェングラー|フルトヴェングラー]]指揮盤([[ザルツブルク]]におけるライブ録音)など、いくつかの名録音を残している。 |
[[1944年]]には[[テノール]]の声域に挑戦し、6月19日に難役﹃[[オテロ (ヴェルディ)|オテロ]]﹄でテノールとしてのデビューを飾る。バリトン出身の重い声質と、フランス語の発音の良さを活かし、[[ジョルジュ・ビゼー|ビゼー]]﹃[[カルメン (オペラ)|カルメン]]﹄のドン・ホセ役、[[カミーユ・サン=サーンス|サン=サーンス]]﹃サムソンとデリラ﹄のサムソン役なども得意とした。[[1946年]]からは[[ニューヨーク]]・[[メトロポリタン歌劇場]]、[[1947年]]からは[[イタリア]]の各都市にも登場、殆ど上記のオテロ、ドン・ホセ、サムソンおよび﹃道化師﹄のカニオばかりを歌って、同時代の[[テノール#分類|テノール・ドラマティコ]]の中心的存在となった。歌い崩しの少ない彼の歌唱は多くの大指揮者にとっても好評で、オテロでは[[アルトゥーロ・トスカニーニ|トスカニーニ]]指揮盤︵[[NBC交響楽団]]による放送録音︶、[[ヴィルヘルム・フルトヴェングラー|フルトヴェングラー]]指揮盤︵[[ザルツブルク]]におけるライブ録音︶など、いくつかの名録音を残している。
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1950年代に入ると、これまでのイタリア/フランス系オペラに加え、[[リヒャルト・ワーグナー|ワーグナー]]の[[テノール#分類|ヘルデンテノール]]諸役、例えば『[[ニーベルングの指環]]』のジークムント、『[[パルジファル]]』、『[[トリスタンとイゾルデ (楽劇)|トリスタンとイゾルデ]]』のトリスタンなどもレパートリー化する。その歌唱は[[バイロイト音楽祭]]のライブ録音などで確認できる。 |
1950年代に入ると、これまでのイタリア/フランス系オペラに加え、[[リヒャルト・ワーグナー|ワーグナー]]作品の[[テノール#分類|ヘルデンテノール]]諸役、例えば『[[ニーベルングの指環]]』のジークムント、『[[パルジファル]]』、『[[トリスタンとイゾルデ (楽劇)|トリスタンとイゾルデ]]』のトリスタンなどもレパートリー化する。その歌唱は[[バイロイト音楽祭]]のライブ録音などで確認できる。 |
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10年間にわたって重量級の役ばかり歌ってきたヴィナイだが、1950年代の終りからはテノールの声域発声に困難を生じ始め、再びバリトンに舞い戻る。イタリア |
10年間にわたってテノールの重量級の役ばかり歌ってきたヴィナイだが、1950年代の終りからはテノールの声域発声に困難を生じ始め、再びバリトンに舞い戻る。イタリア・オペラでは『オテロ』のヤーゴ役、[[ジャコモ・プッチーニ|プッチーニ]]『[[トスカ]]』のスカルピア役、ドイツ・オペラでは『[[ローエングリン]]』のテルラムント役などの好録音が残っている。ヤーゴ役(1962年[[ダラス]]でのライブ)では、50年代にはオテロ役でのライバルだった[[マリオ・デル=モナコ]]に対してヴィナイがヤーゴを演じるという珍盤もある。発声は更に重さを増し、60年代半ばには[[バス (声域)|バス]]の諸役、例えば[[ジョアッキーノ・アントニオ・ロッシーニ|ロッシーニ]]『[[セビリアの理髪師]]』のドン・バルトロ役、ヴェルディ『[[ドン・カルロ]]』の異端審問官役なども演じ、生涯を通じて男声オペラ歌手の全声域をこなすに至ったが、バスでは結局のところ大きな成功を収めることはできなかった。 |
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[[1969年]]9月には故国[[チリ]]・[[サンティアゴ |
[[1969年]]9月には故国[[チリ]]・[[サンティアゴ・デ・チレ]]のムニシパル劇場で一連の引退公演を行った。そのうち9月22日の﹃[[オテロ (ヴェルディ)|オテロ]]﹄の公演では、ヴィナイは第1幕から第3幕までは悪役のヤーゴ︵バリトン︶として出演し、最終第4幕では主役のオテロ︵テノール︶を演じた。その歌手人生を象徴する一夜であった。
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1996年1月4日、メキシコのプエブラで死去。 |
1996年1月4日、メキシコの[[プエブラ]]で死去。85歳。 |
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== 外部リンク == |
== 外部リンク == |
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*[http://www.cantabile-subito.de/Tenors/Vinay__Ramon/hauptteil_vinay__ramon.html Ramon Vinay, 1911-1996] |
*[http://www.cantabile-subito.de/Tenors/Vinay__Ramon/hauptteil_vinay__ramon.html Ramon Vinay, 1911-1996] |
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[[de:Ramón Vinay]] |
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[[Category:チリの声楽家]] |
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[[fr:Ramón Vinay]] |
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[[Category:フランス系チリ人]] |
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[[Category:1912年生]] |
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[[Category:チヤン出身の人物]] |
2022年1月16日 (日) 11:46時点における最新版
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