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2012年7月15日 (日) 03:01時点における版
三沢 勝衛︵三澤 勝衛 みさわ かつえ、1885年1月25日 - 1937年8月18日︶は、長野県更級郡三水村︵現長野市信更町︶出身の地理学者。
略歴
長野県内各地の学校教諭勤務の後、1920年、長野県立諏訪中学校︵現長野県諏訪清陵高等学校︶教諭を務める。地理学、博物科の鉱物学、太陽黒点観測をはじめとする天文学の研究に打ち込み、総合的で独創的な風土論を展開した。野外調査を重視し、生徒たちにも実地観察と自分の頭で考える大切さを教え、教え子からは古畑正秋︵天文学︶、藤森栄一︵考古学︶、矢沢大二︵地理学︶、河角廣︵地震学︶、諏訪彰︵火山学︶、新田次郎︵作家︶といった優れた学者、研究者、文化人が輩出している。また、﹁地域の力﹂や﹁地表現象﹂といった独自の用語によって地理学を論じ、小田内通敏との交流の中で、歴史的考察を含めた経済地理学的な地域研究を行なった。更に、辻村太郎、田中啓爾との交流を感じさせる術語﹁地理︵学︶的洪観﹂、﹁地域性﹂、﹁地理︵学︶的地域﹂を用いて地理学を論じ、景観概念を駆使した地域研究を発表した。諏訪清陵高校の敷地内には、膨大な量の研究資料を収めた﹁三沢勝衛先生記念文庫﹂がある。 三沢の﹁風土﹂は、大地の表面と大気の底面との触れ合う接触面のことで、三沢によると、ここで大地と大気とは化合し、さまざまな風土が生じ、風土を知り尽くすことが自然を活用した産業を育成する基礎であるという。たとえば八ヶ岳山麓のマツ︵松︶は寒冷地に多くの人々が居住できるための努力で、貴重な宝であると賞賛した。また信州の冬の厳寒と乾燥を利点視し、凍み豆腐、寒天づくりなど産業振興を勧めた。 没後70年以上を経てから著作全集が発行されるなど、今日にも通じる思想を残した人物である。著書
- 『諏訪製糸業の地理的考察』
- 『上諏訪温泉の泉脈について』
- 『八ヶ岳火山麓の景観型』
- 『郷土地理の観方』
- 『新地理教育論』
- 三澤勝衛著作集 『風土の発見と創造』 全4巻 http://shop.ruralnet.or.jp/fair/fair20090426.html
関連文献・資料
- 木村信夫「自然と生きる農村説く--先駆者三澤勝衛、信州の教壇で「風土学」に心血」(『日本経済新聞』2009年4月17日(金)朝刊14版36面)