出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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[[Category:長野県出身の人物|みうら ひさし]]
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2010年11月29日 (月) 12:18時点における版
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この項目では、翻訳家・シンガーソングライターについて説明しています。政治家・弁護士については「三浦久 (政治家)」をご覧ください。 |
三浦久︵みうらひさし 1945年 - )は、男性シンガー・ソングライター、翻訳家、大学教授。長野県辰野町出身。ボブ・ディランやブルース・スプリングスティーン、レナード・コーエンの歌詞対訳、評論・研究書の翻訳などでも知られる。
略歴
●長野県諏訪清陵高等学校卒業
●カリフォルニア大学卒業
●京都大学大学院修士課程修了
●信州大学客員講師
●信州豊南短期大学 教授
来歴
1960年代、米国留学中にボブ・ディラン等のフォーク・ソングを聴き、歌い始める。帰国後、京都でフォークシンガーとしての活動を始め、﹃私は風の声を聞いた﹄等4枚のアルバムをリリース。1985年より長野県辰野町に自身が経営するライブハウス&喫茶店﹁OREAD﹂を開店。しばらく音楽活動を中止していたが、1989年天安門広場で一人の若者が戦車を止めようとする映像を見て活動を再開。以後、﹃セカンド・ウインド﹄ ﹃メッセージ﹄﹃ガビオタの海﹄﹃カムサハムニダイ・スヒョン﹄の4枚のCDを自身のレコード・レーベルOREAD RECORDよりリリース、ライブ活動も積極的に行なっている。1996年10月から、オンラインマガジン﹁長野ジャーナル﹂より、連載エッセイ ﹃ぼくが出会った歌、 ぼくが出会った人﹄を発信している。2004年12月19日、9作目のアルバム﹃千の風﹄をリリース。
音楽作品
アルバム
●私は風の声を聞いた︵1974年、エレクトラ/ワーナー・パイオニア L-8033E︶
●漂泊の友︵1976年、エレクトラ/ワーナー・パイオニア L-8072E︶
●ポジティヴリー寺町通り︵1979年、東芝EMI ETP-80096︶
●ライブ三浦久︵1980年、東芝EMI ETP-90018︶
●セカンド・ウインド︵1994年、OREAD RECORDS OR-001︶
●メッセージ︵1997年、OREAD RECORDS OR-002︶
●ガビオタの海︵1999年、OREAD RECORDS OR-003︶
●カムサハムニダ イ・スヒョン︵2002年、OREAD RECORDS OR-004︶ミニアルバム
●千の風︵2004年、OREAD RECORDS OR-005︶
●碌山︵2005年、OREAD RECORDS OR-006︶ミニアルバム
シングル
●山頭火/こおろぎがうたうように︵1972年、PEP MUSIC SERVICE CO. LTD. KL-1︶EP
●松毬︵まつぼっくり︶︵1974年、エレクトラ/ワーナー・パイオニア L-1205E︶
●あの果てしない大空へ︵1997年、OREAD RECORDS ORS-001︶
著書
翻訳
●ディランは語る Bob Dylan In His Own Words︵1979年、編: マイルズ︶
●ボブ・ディランひと粒の砂にさえも︵1981年、著: ポール・ウィリアムズ、プレイガイドジャーナル社︶
●ボブ・ディラン—詩の研究︵1983年、著:ジョン・ハードマン、ソニー・マガジンズ︶
●英語対訳版草木塔抄他/Fire on the Mountain︵1998年、著: 種田山頭火、共訳: グリーン・ジェイムズ、青空文庫︶
エッセイ
●追憶の60年代カリフォルニア︵1999年、平凡社新書︶
●ブルース・スプリングスティーン/36ストーリーズ︵編: 城山隆︶エッセイ収録
歌詞対訳
●ボブ・ディラン﹃ダウン・イン・ザ・グルーヴ﹄︵1988年︶
●ミック・ジャガー﹁ラッキー・イン・ラブ﹂
●ブルース・スプリングスティーン︵2005年︶
2005年紙ジャケ発売にあたり、すべてのアルバムの対訳と解説。
など
外部リンク