「仲畑貴志」の版間の差分
要出典のタグのついていた記載について、幾らか出典を追加。 |
編集の要約なし |
||
1行目: | 1行目: | ||
{{存命人物の出典明記|date=2014年5月12日 (月) 07:56 (UTC)}} |
{{存命人物の出典明記|date=2014年5月12日 (月) 07:56 (UTC)}} |
||
'''仲畑 貴志'''︵なかはた たかし、[[1947年]][[8月20日]]<ref>[http://www.nhk.or.jp/kagaijugyou/archives/archives154.html >﹁見つけよう! 自分の言葉﹂ 京都市立新町小学校 仲畑貴志] [[課外授業ようこそ先輩]]</ref> - ︶は、[[日本]]の[[コピーライター]]。[[事業構想大学院大学]][[教授]]<ref name=mpd>[http://www.mpd.ac.jp/teachers/profs/nakahata.html 仲畑 貴志 | 専任教授 | 教員 | 事業構想大学院大学︵MPD︶]</ref>。[[京都府]][[京都市]]生まれ<ref>[http://adv.yomiuri.co.jp/ojo/02number/200004/04toku1.html 特集 広告をするということ 対談 糸井重里 仲畑 貴志] 2000.04 [[読売新聞ADリポート]]</ref><ref name=acc>[http://www.acc-cm.or.jp/kaiho/117/38kokoro/index.html ACC会報︻ACCtion︼117号] 2007.2, [[全日本シーエム放送連盟]]</ref>、 |
'''仲畑 貴志'''︵なかはた たかし、[[1947年]][[8月20日]]<ref>[http://www.nhk.or.jp/kagaijugyou/archives/archives154.html >﹁見つけよう! 自分の言葉﹂ 京都市立新町小学校 仲畑貴志] [[課外授業ようこそ先輩]]</ref> - ︶は、[[日本]]の[[コピーライター]]。[[事業構想大学院大学]][[教授]]<ref name=mpd>[http://www.mpd.ac.jp/teachers/profs/nakahata.html 仲畑 貴志 | 専任教授 | 教員 | 事業構想大学院大学︵MPD︶]</ref>。[[京都府]][[京都市]]生まれ<ref>[http://adv.yomiuri.co.jp/ojo/02number/200004/04toku1.html 特集 広告をするということ 対談 糸井重里 仲畑 貴志] 2000.04 [[読売新聞ADリポート]]</ref><ref name=acc>[http://www.acc-cm.or.jp/kaiho/117/38kokoro/index.html ACC会報︻ACCtion︼117号] 2007.2, [[全日本シーエム放送連盟]]</ref>、[[京都市立洛陽工業高等学校]]機械科卒業<ref>[[マドラ出版]]﹁[[広告批評]]の別冊① 仲畑貴志全仕事﹂[[1983年]]</ref>。東京コピーライターズクラブ会長<ref>[http://www.tcc.gr.jp/about/index.html TCCとは] [[東京コピーライターズクラブ]]</ref>。[[仲畑広告制作所]]・仲畑広告映像所主宰<ref name=acc/>。[[宣伝会議]]コピーライター養成講座校長<ref>[http://copy.sendenkaigi.com/koushi.html 講師陣の紹介|広告コピーの学校 コピーライター養成講座] [[宣伝会議]]</ref>。株式会社ナカハタ社長<ref>[http://ad-navi.sendenkaigi.com/actor_company/view/2077 日本の広告会社]</ref><ref name=itoi>[http://www.1101.com/nakahata/2008-09-01.html 仲畑くんと糸井くん] 2008-09-01-MON [[ほぼ日刊イトイ新聞]]</ref>。
|
||
{{要出典範囲|date=2014年11月|[[糸井重里]]や[[川崎徹]]などと共に広告業界から頭角をあらわし、コピーライターブームの立役者となった一人として知られる}}。﹁コピーライターの神様﹂と称される<ref name=adst/>。
|
{{要出典範囲|date=2014年11月|[[糸井重里]]や[[川崎徹]]などと共に広告業界から頭角をあらわし、コピーライターブームの立役者となった一人として知られる}}。﹁コピーライターの神様﹂と称される<ref name=adst/>。
|
||
== 略歴 == |
== 略歴 == |
||
京都で生まれ育ち、高校卒業後は設計事務所に就職するも、一年余りで設計事務所を辞める︵一説には﹁実は設計の仕事が好きではなかった﹂らしい︶<ref>[[マドラ出版]]﹁[[広告批評]]の別冊① 仲畑貴志全仕事﹂[[1983年]]</ref>。グラフィックデザインをしていた友人からコピーライターという仕事があることを知り上京。様々な仕事を経験しながら、[[宣伝会議]]コピーライター養成講座を受ける。その後広告代理店に入社、[[1970年]]にはTCC︵[[東京コピーライターズクラブ]]︶の新人賞を得ている。
|
京都で生まれ育ち、高校卒業後は設計事務所に就職するも、一年余りで設計事務所を辞める︵一説には﹁実は設計の仕事が好きではなかった﹂らしい︶<ref>[[マドラ出版]]﹁[[広告批評]]の別冊① 仲畑貴志全仕事﹂[[1983年]]</ref>。グラフィックデザインをしていた友人からコピーライターという仕事があることを知り上京。様々な仕事を経験しながら、[[宣伝会議]]コピーライター養成講座を受ける。その後広告代理店に入社、[[1970年]]︵昭和45年︶にはTCC︵[[東京コピーライターズクラブ]]︶の新人賞を得ている。
|
||
[[1972年]]に[[サントリー]]が設立した広告制作プロダクション、[[サン・アド]]に入社する。最初はサン・アドに一足早く入社した[[西村佳也]]と共に、上司であった[[品田正平]]によるコピーチェックの洗礼を受ける日々が続く。品田の役割はクライアントに広告のゲラを納める役割であった為、コピーのチェックが重要責務であったこともあって、仲畑本人が書いたコピーを読んではボツ…が幾度となく繰り返され、完成までは締め切り関係なし、という厳しさの中でコピーを書き続けてゆく。やがて[[サントリー角瓶]]の新聞広告等でその実力を発揮し、[[1977年]]には'''「角÷H2O」'''でTCCクラブ賞を受賞。[[1979年]]には[[ソニー]]の[[ウォークマン]]やサウンドセンサーIIなどのコピーも担当するようになり、文字通りの売れっ子コピーライターに成長する。 |
[[1972年]](昭和47年)に[[サントリー]]が設立した広告制作プロダクション、[[サン・アド]]に入社する。最初はサン・アドに一足早く入社した[[西村佳也]]と共に、上司であった[[品田正平]]によるコピーチェックの洗礼を受ける日々が続く。品田の役割はクライアントに広告のゲラを納める役割であった為、コピーのチェックが重要責務であったこともあって、仲畑本人が書いたコピーを読んではボツ…が幾度となく繰り返され、完成までは締め切り関係なし、という厳しさの中でコピーを書き続けてゆく。やがて[[サントリー角瓶]]の新聞広告等でその実力を発揮し、[[1977年]](昭和52年)には'''「角÷H2O」'''でTCCクラブ賞を受賞。[[1979年]](昭和54年)には[[ソニー]]の[[ウォークマン]]やサウンドセンサーIIなどのコピーも担当するようになり、文字通りの売れっ子コピーライターに成長する。 |
||
[[1981年]]にサントリー・[[トリスウイスキー|トリス]]の子犬が京都の路地裏を駆け巡るCMの企画・コピーを担当し、カンヌ国際広告映画祭金賞を受賞。これを機に同年サン・アドより独立し、フリーとなり[[仲畑広告制作所]]を設立<ref>[[マドラ出版]]「[[広告批評]]の別冊① 仲畑貴志全仕事」[[1983年]]</ref>。翌[[1982年]]には[[TOTO (企業)|TOTO]]の[[ウォシュレット]]発売キャンペーン広告に携わり、話題を集めると共に、以後TOTOが発売する商品のキャンペーンクリエイターとして活躍する<ref>[[マドラ出版]]「[[広告批評]]の別冊① 仲畑貴志全仕事」[[1983年]]</ref>。(このTOTOウォシュレットの成功に伴い、[[仲畑広告制作所]]は[[乃木坂]]に在するTOTO乃木坂ビル内にオフィスを移している<ref>[[マドラ出版]]「[[広告批評]]の別冊① 仲畑貴志全仕事」[[1983年]]</ref>。またTOTOが九州発祥の企業であることなどの経緯もあってか、その後も[[九州旅客鉄道|JR九州]]や[[岩田屋]]など九州を本拠とするの企業の広告を多数手掛けてゆく<ref>[[講談社]]「仲畑広告大仕事」[[1993年]]</ref>。[[1988年]]には、爆発的反響を呼んだソニーのウォークマンで[[ニホンザル]]のチョロ松が目を閉じて音楽を聴き入る姿を映したCMなど、CM企画にも数多く関わってゆく(ウォークマンのコピー「音が進化した。ヒトはどうですか。」は、当時[[仲畑広告制作所]]に在籍していた[[一倉宏]]の手によるもの<ref>[[眞木準]]『ひとつ上のチーム。[新装版]』2012年、P288</ref>)。 |
[[1981年]](昭和56年)にサントリー・[[トリスウイスキー|トリス]]の子犬が京都の路地裏を駆け巡るCMの企画・コピーを担当し、カンヌ国際広告映画祭金賞を受賞。これを機に同年サン・アドより独立し、フリーとなり[[仲畑広告制作所]]を設立<ref>[[マドラ出版]]「[[広告批評]]の別冊① 仲畑貴志全仕事」[[1983年]]</ref>。翌[[1982年]]には[[TOTO (企業)|TOTO]]の[[ウォシュレット]]発売キャンペーン広告に携わり、話題を集めると共に、以後TOTOが発売する商品のキャンペーンクリエイターとして活躍する<ref>[[マドラ出版]]「[[広告批評]]の別冊① 仲畑貴志全仕事」[[1983年]]</ref>。(このTOTOウォシュレットの成功に伴い、[[仲畑広告制作所]]は[[乃木坂]]に在するTOTO乃木坂ビル内にオフィスを移している<ref>[[マドラ出版]]「[[広告批評]]の別冊① 仲畑貴志全仕事」[[1983年]]</ref>。またTOTOが九州発祥の企業であることなどの経緯もあってか、その後も[[九州旅客鉄道|JR九州]]や[[岩田屋]]など九州を本拠とするの企業の広告を多数手掛けてゆく<ref>[[講談社]]「仲畑広告大仕事」[[1993年]]</ref>。[[1988年]]には、爆発的反響を呼んだソニーのウォークマンで[[ニホンザル]]のチョロ松が目を閉じて音楽を聴き入る姿を映したCMなど、CM企画にも数多く関わってゆく(ウォークマンのコピー「音が進化した。ヒトはどうですか。」は、当時[[仲畑広告制作所]]に在籍していた[[一倉宏]]の手によるもの<ref>[[眞木準]]『ひとつ上のチーム。[新装版]』2012年、P288</ref>)。 |
||
またテレビCMソングの作詞者として、[[1976年]](昭和51年)のサントリーゴールド900のCMソング<ref>[[マドラ出版]]「[[広告批評]]の別冊① 仲畑貴志全仕事」[[1983年]]</ref>あy、[[1978年]]の[[サントリー樹氷]]のCMソング「[[マイルド・ナイト]]」<ref>[http://www.tcc.gr.jp/copitan/copirashow/id/3103/copira_id/12267 仲畑貴志 コピーライターを探す 東京コピーライターズクラブ]</ref>(歌・[[いしだあゆみ]])や「[[マイルド・ウォッカ]]」<ref>[http://www.tcc.gr.jp/copitan/copirashow/id/3103/copira_id/11372 仲畑貴志 コピーライターを探す 東京コピーライターズクラブ]</ref>(歌・[[チェリッシュ (歌手グループ)|チェリッシュ]])の作詞も手掛けた(「マイルド・ナイト」「マイルド・ウォッカ」は、共に[[宇崎竜童]]が作曲を担当)。この他、「恋はルンルン」(歌・[[伊藤つかさ]]、作曲・[[坂本龍一]])など作詞多数。 |
またテレビCMソングの作詞者として、[[1976年]](昭和51年)のサントリーゴールド900のCMソング<ref>[[マドラ出版]]「[[広告批評]]の別冊① 仲畑貴志全仕事」[[1983年]]</ref>あy、[[1978年]](昭和53年)の[[サントリー樹氷]]のCMソング「[[マイルド・ナイト]]」<ref>[http://www.tcc.gr.jp/copitan/copirashow/id/3103/copira_id/12267 仲畑貴志 コピーライターを探す 東京コピーライターズクラブ]</ref>(歌・[[いしだあゆみ]])や「[[マイルド・ウォッカ]]」<ref>[http://www.tcc.gr.jp/copitan/copirashow/id/3103/copira_id/11372 仲畑貴志 コピーライターを探す 東京コピーライターズクラブ]</ref>(歌・[[チェリッシュ (歌手グループ)|チェリッシュ]])の作詞も手掛けた(「マイルド・ナイト」「マイルド・ウォッカ」は、共に[[宇崎竜童]]が作曲を担当)。この他、「恋はルンルン」(歌・[[伊藤つかさ]]、作曲・[[坂本龍一]])など作詞多数。 |
||
2008年6月には[[電通]]と共に、企業のブランディングを手掛ける広告制作プロダクション「ナカハタ」を共同で設立する<ref name=itoi/>。 |
[[2008年]]6月には[[電通]]と共に、企業のブランディングを手掛ける広告制作プロダクション「ナカハタ」を共同で設立する<ref name=itoi/>。 |
||
この他、長年に渡り、[[毎日新聞]]の『[[万能川柳]]』の選者も務めている<ref>[http://mainichi.jp/feature/senryu/ 万能川柳 毎日新聞]</ref>。 |
この他、長年に渡り、[[毎日新聞]]の『[[万能川柳]]』の選者も務めている<ref>[http://mainichi.jp/feature/senryu/ 万能川柳 毎日新聞]</ref>。 |