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* Pero 伊坂芳太良作品集成(編集・構成 [[田中一光]]・小池一子、[[PARCO出版]](PARCO view 17)、1983年)伊坂芳太良の肖像および年譜が掲載されている([http://www.amazon.co.jp/dp/4891940719 Amazon情報]) |
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* Pero 伊坂芳太良作品集成(編集・構成 [[田中一光]]・小池一子、[[PARCO出版]](PARCO view 17)、1983年)伊坂芳太良の肖像および年譜が掲載されている([http://www.amazon.co.jp/dp/4891940719 Amazon情報]) |
2021年6月28日 (月) 08:49時点における版
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伊坂 芳太良︵いさか よしたろう、1928年 - 1970年9月4日︶は、1960年代に活躍したイラストレーター、グラフィックデザイナー。通称ペロ。
細密なペンで描写された和洋折衷の線画が特徴。青年漫画雑誌﹁ビッグコミック﹂の表紙や、ファッションブランド﹁EDWARD'S(エドワーズ)﹂の紙袋イラスト、ノベルティーグッズなどを手がけた。その他、岩崎書店、あかね書房、国土社などから主として1960年代に出版された子供向けの書籍︵翻訳ものを含む︶の挿絵・イラストを手がけている。
略年譜
●1928年 - 神奈川県横浜市鶴見区に産まれる。
●阿佐ヶ谷洋画研究所(現在の阿佐ヶ谷美術専門学校)で学び、東京美術学校を受験するも失敗[1]。
●1957年に広告制作会社ライトパブリシティに入社。
●1966年、老舗紳士服スーツメーカー﹁EDWARD'S(エドワーズ)﹂の広告に起用される。
●1967年にADC特別賞を受賞。
●1970年には、﹁エキスポ70﹂のポスターも手がけた。
●1970年9月8日- 頭部クモ膜下出血により死去。享年42。
エピソード
伊坂芳太良は、1960年代後半の日本で華麗なイラストレーションをおびただしく描き、そして突然、逝った。少年期に戦争、敗戦を経験し、戦後の混乱の中で芸術への夢を燃やす青春であった。日本の広告デザインが高度成長経済を背景に飛躍するとき、イラストレーター、伊坂芳太良の存在が浮かび上がる。見事なタレントであった。ペロの愛称がサインされる彼のイラストレーションは、時代の顔、時代の風俗そのものであった。サイケデリックであり、ネオ·クラシックであり、そして日本の粋の精神を内に蓄えていた。線描きの1本1本を痛飲しながら描く姿には疲れせき生き急ぐその時代の若者に通じる凄妻絶さがあった。横尾忠則、和田誠らの気鋭のアーチストの一歩先を走り抜けていった男。美しい男であった。幻といわれるペロの画業の集大成が、没後十三年目に完成した。[2]
浅葉克己(アートディレクター)の記録。﹁ペロさんの部屋には何故か、西部劇の酒場の扉が付いていて、うっかり前の人が入ったのに気づかずに入って行くと、バーンと帰って来た扉で胸や顔を打たれるのだ。僕がペロさんの部屋に行くことになったのは入社した次の年の65年で、ペロさんは東レの女性ものを中心に広告を創り、僕は、男ものの広告をまかされた。その頃のペロさんのイラストは漫読のイジワル爺さんが中心で、広告の仕事の方が忙しかった。東レの水着の撮影でハワイに行き、帰りにサンフランシスコに寄って帰って来た。そしてこんなことを言った。広告の仕事では、自分がどこをやったか、彼等に見せても解ってもらえなかった。広告の仕事よりも、イラストレーションの仕事に自分は賭けたい”と。丁度そんな時にエドワーズの仕事がぼつぼつ入ってきた﹂ [3]
株式会社エドワーズ。伊坂芳太良のイラストレーターとしての仕事がまさに華麗に咲きそろう場となったこの紳士既製服メーカーは、1966年から本格的な発注を芳太良に対して始めている。倉橋一郎。エドワーズ社長であった彼は、東レからライトパブリシティを紹介され、自社の広告イメージ確立にライトの協力を求めることになる。当時日本のファッション産業は原糸メーカー指導型で、この東レ、エドワーズの共同企画は、二次製品にフアッショナブルなイメージを醸成し市場を活性化しようという計画のもとに生まれた。折しも1965年以降、パリ、ロンドンなどの既製服市場が活気を呈し、その勢いは日本にも波及しようとしていた。独特の感覚的なキャンペーンで知名度を高めるという倉橋一郎の方針は、伊坂芳太良というキャスティングを得て着実に、というより破竹の勢いで成果を生んでいった。銀座四丁目の三愛の丸いビルに、まずファッショナブルなショー·ルームを作ることとなり、その限りでは土屋耕一のアイデアが中心となっていた。だが、デザイナーとしてアート·ディレクションやレイアウトを担当していた芳太良が、絵を描くという提案を行い、またクライアントの倉橋が、それでは絵に専念してみてはと同意する、この二者の出会いは実に興味深いものがある。時代を見る目を両者が持ち、また物創りの衝動を共にしていた。カウンター·カルチュアやビートルズ革命などの言葉で表現されるこの時のファッションはただ新しいという側面だけでは計りきれない。クレージュの宇宙服ルックがパリで発表される一方で、ロンドンの若者は復古調ともいえる古着指向にも浸っていた。エドワーズのネーミングや発想がこの点を衝いていたことに、キャンペーン成功のルーツを見るべきだろう。1966年制作のエドワーズ、ショッピングバッグの名作には英文で﹁1818年のロマンティシズム再見﹂というコピーが入っている。﹁最初のポスターを描(時、男というのは酒と女と博打だ、とテーマを打ちだして描いてもらった。続いてショッピングバッグも作った。これが爆発的に当たってしまった。そのあと、どんどんノベルティが生まれた。カレンダー、トランプ、シャツ箱、靴箱、ネームカード、ネクタイ入れ、帽子入れ、灰皿、 マッチ、シーツ、カーテン、トレー、 グラス、皿、ゆかた。考えられる限りのものを作っだ﹂(倉橋一郎)帽子から靴まで、紳士のスタイル画にさらに人物を描きこむという"多重人間”の発想は倉橋、芳太良がイタリアの古い石版画からヒントを得てつくりだしたものだという。忙しい時は、赤坂プリンスホテルに1ヵ月も缶づめになって芳太良は描きまくった。まだホテルで缶づめ、などという仕事のスタイルそのものが珍しかった。﹁夏に会社で仕事をしているとよくプリンスホテルから電話で、泳ぎにこないかと誘ってくれた。ペロさんの部屋からタダでプールに入れたからだ。僕等がプールに浮かんで、 夏の雲や女性の水着が付いてる部分に目をうばわれている時も、ペロさんのペンや筆は休むことなく動き続けていたのだ。 ペロさんの人間的やさしさに甘えさせてもらった﹂(浅葉克己)造形作家、倉俣史朗との出会いもこの頃にあった。倉橋は、三愛に勤務していた倉俣が、独立して手がける最初の仕事に、エドワーズをすすめ、伊坂の絵の立体構成を倉俣は分担した。壁全体に絵が描かれ、それが洋服箪筒であったり、時計も描きものであるというようなインストレーションが生まれていた。第一作が前出の東レのショー·ルームの構成であった。
[4]
あなたが残したエドワーズや東レやクラレや三楽や漫画読本や、その他のおびただしい数の作品の1つひとつは、 あなたの死後も僕たちの記憶の中にとどまり、いつまでも消え去ることはないでしょう。さようなら、ペロさん。さよなら、[5]
登場人物
ペーター佐藤
浅葉克己
長沢節
長友啓典
和田誠
横尾忠則
村越襄
土屋耕一
日暮真三
中島興
板根進
菅三鶴
倉橋一郎
畑埜佐武朗
小林秀夫
参考文献
●Pero 伊坂芳太良作品集成︵編集・構成 田中一光・小池一子、PARCO出版︵PARCO view 17︶、1983年︶伊坂芳太良の肖像および年譜が掲載されている︵Amazon情報︶
●伊坂芳太良の世界︵立風書房︵イラストレーション・ナウ︶、1974年︶
●タウンゼント館︵伊坂芳太良画、日暮真三文、みゆき書房︵みゆきイラストシリーズ1︶、1969年︶
●12人のグラフィックデザイナー︵第3集︶︵誠文堂新光社、1969年︶片山利弘、木村恒久、横尾忠則とともに、伊坂が取り上げられている。
関連する展覧会
●ペロ伊坂芳太良原画展﹁ビッグコミック﹂︵2011年7月8日︵金︶~7月20日︵水︶、Pater's Shop & Gallery︶
●1969年前後のビッグコミックの表紙の原画16点、モノクロ風刺画など12点のあわせて28点。
●伊坂芳太良原画展︵2010年1月27日~2月9日、青山ブックセンター本店︶﹁シブヤ経済新聞﹂による紹介
●1969年に五木寛之が連載し、伊坂が挿絵を手がけた短編小説集﹁奇妙な味の物語﹂︵ポプラ社︶の刊行︵2009年11月︶を記念して開催
●﹁奇妙な味の物語﹂の挿絵原画、企業ポスター原画、書籍原画など約50点の展示
●Pero 伊坂芳太良原画展︵2010年1月29日︵金︶~2月10日︵水︶、ペーターズショップアンドギャラリー︶紹介
●幻の絵師ペロ展︵2001年8月29日︵水︶~9月10日︵月︶、新宿髙島屋︶同展のポスターが掲載されている
注
(一)^ ﹃芸術新潮﹄2001年10月号87ページ
(二)^ Pero 伊坂芳太良作品集成︵編集・構成 田中一光・小池一子、PARCO出版︵PARCO view 17︶、1983年
(三)^ 伊坂芳太良の世界︵立風書房︵イラストレーション・ナウ︶、1974年︶241頁。
(四)^ 伊坂芳太良の世界︵立風書房︵イラストレーション・ナウ︶、1974年︶242頁。
(五)^ 伊坂芳太良。伊坂芳太良の世界﹁伊坂芳太良が、死んだ。﹂日暮真三︵立風書房︵イラストレーション・ナウ︶、1974年︶
外部リンク
●Pater's Shop & Gallery