「伊達宗実 (亘理伊達家)」の版間の差分
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| 兄弟 = [[伊達秀宗|秀宗]]、[[伊達忠宗|忠宗]]、[[飯坂宗清]]、[[伊達宗泰|宗泰]]、[[伊達宗綱|宗綱]]、[[伊達宗信|宗信]]、[[伊達宗高|宗高]]、'''宗実'''、[[伊達宗勝|宗勝]]、[[亘理宗根]] |
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| 妻 = 正室:[[白河義綱]]の娘 |
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| 子 = '''[[伊達宗成|宗成]]'''、[[中島宗常]]、[[伊東重定]]、女子([[伊達宗規 (岩谷堂)|伊達宗規]]室) |
| 子 = '''[[伊達宗成|宗成]]'''、[[中島宗常]]、[[伊東重定]]、女子([[伊達宗規 (岩谷堂)|伊達宗規]]室) |
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| 特記事項 = |
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'''伊達 宗実'''︵だて むねざね︶は、 |
'''伊達 宗実'''(だて むねざね)は、[[仙台藩]]初代藩主[[伊達政宗]]の九男。仙台藩一門第二席・[[亘理伊達氏]]第2代当主。 |
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== 生涯 == |
== 生涯 == |
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[[慶長]]18年([[1613年]])、 |
[[慶長]]18年([[1613年]])、伊達政宗の九男として仙台に生まれる。幼名は'''喝食丸'''。 |
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[[寛永]]2年([[1625年]])に元服し、寛永16年([[1639年]])に跡継ぎのいなかった[[亘理城]]主・[[伊達成実]]の養子となる。 |
[[寛永]]2年([[1625年]])に[[元服]]し、寛永16年([[1639年]])に跡継ぎのいなかった[[亘理城]]主・[[伊達成実]]の養子となる。 |
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寛永21年︵[[1644年]]︶8月、領内総検地︵寛永検地︶の結果を受けて知行の再編が行われることになったが、亘理領は成実による開発の成果によって、二割出目︵1反を360歩から300歩に改定︶での計算ながらも、ほぼ倍近くの数字<ref>亘理伊達氏の所領は、最後に加増を受けた[[寛永]]5年︵[[1628年]]︶の時点で、所領48ヶ村余で計1,226貫804文であった。なお仙台藩では1貫=10石として計算する。</ref>が出たため、亘理伊達氏の知行は2,000貫ちょうどとされ、余剰分の16ヶ村余を本藩に召し上げられることになった。仙台藩は[[地方知行]]制のため、知行の削減は所領の没収を意味し、さらにこの収公予定地に[[亘理郡]]内の一部と[[塩田]]が含まれていたこともあり、宗実は兄である藩主・[[伊達忠宗|忠宗]]に対して強硬に抗議したが、結局本藩から補償金を下すことを条件に所定の領地を返上した。
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寛永21年︵[[1644年]]︶8月、領内総検地︵寛永検地︶の結果を受けて知行の再編が行われることになったが、亘理領は成実による開発の成果によって、二割出目︵1反を360歩から300歩に改定︶での計算ながらも、ほぼ倍近くの数字<ref>亘理伊達氏の所領は、最後に加増を受けた[[寛永]]5年︵[[1628年]]︶の時点で、所領48ヶ村余で計1,226貫804文であった。なお仙台藩では1貫=10石として計算する。</ref>が出たため、亘理伊達氏の知行は2,000貫ちょうどとされ、余剰分の16ヶ村余を本藩に召し上げられることになった。仙台藩は[[地方知行]]制のため、知行の削減は所領の没収を意味し、さらにこの収公予定地に[[亘理郡]]内の一部と[[塩田]]が含まれていたこともあり、宗実は兄である藩主・[[伊達忠宗|忠宗]]に対して強硬に抗議したが、結局本藩から補償金を下すことを条件に所定の領地を返上した。
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== 参考文献 == |
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*『亘理町史』上巻(宮城県亘理郡亘理町、 |
*『亘理町史』上巻(宮城県亘理郡亘理町、1975年) |
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*『新地町史』歴史編(福島県相馬郡新地町、 |
*『新地町史』歴史編(福島県相馬郡新地町、1999年) |
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== 脚注 == |
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2012年1月25日 (水) 23:30時点における版
伊達宗実 | |
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時代 | 江戸時代前期 |
生誕 | 慶長18年(1613年) |
死没 | 寛文5年6月5日(1665年7月17日) |
別名 | 喝食丸 |
戒名 | 円照院殿徹山利通大禅定門 |
墓所 | 大雄寺(宮城県亘理郡亘理町) |
官位 | 治部大輔、安房守 |
主君 | 伊達政宗→忠宗→綱宗→綱村 |
藩 | 仙台藩 |
氏族 | 伊達氏 |
父母 |
父:伊達政宗、母:弘子姫(柴田信恒の娘)、 養父:伊達成実 |
兄弟 | 秀宗、忠宗、飯坂宗清、宗泰、宗綱、宗信、宗高、宗実、宗勝、亘理宗根 |
妻 | 正室:白河義綱の娘 |
子 | 宗成、中島宗常、伊東重定、女子(伊達宗規室) |
伊達 宗実(だて むねざね)は、仙台藩初代藩主伊達政宗の九男。仙台藩一門第二席・亘理伊達氏第2代当主。
生涯
系譜
人物・逸話
- 宗実は強力で武芸に優れており、その中でも兄・忠宗に習った銃術を最も得意とした。また水泳も得意としたと伝わっている。
参考文献
- 『亘理町史』上巻(宮城県亘理郡亘理町、1975年)
- 『新地町史』歴史編(福島県相馬郡新地町、1999年)
脚注
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