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'''六殿神社'''︵ろくでんじんじゃ︶は、[[熊本県]][[熊本市]][[南区 (熊本市)|南区]]に鎮座する[[神社]]である。<!--'''日本三大不動尊'''の一つである-->[[長寿寺 (熊本市)|長寿寺]]︵木原不動︶と同じく雁回山︵木原山︶にある。旧[[近代社格制度|社格]]は郷社。
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[[1178年]]︵[[治承]]2年︶、[[平清盛]]の子である[[平重盛]]が、自身の祈願所であった[[武蔵国]]の[[六孫王]]大権現を勧請したことにはじまる。また、木原山に城を築いた[[源為朝]]︵鎮西八郎︶の創建という説、さらには、平安末期に当地を治めていた木原氏の創建という説もある<ref>[[鈴木喬 (歴史研究家)|鈴木喬]]﹃熊本の神社と寺院﹄[[熊本日日新聞社]]、1980年、82-83頁</ref>。
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六殿神社の楼門は、[[1907年]]([[明治40年]])に、熊本県下 |
六殿神社の楼門は、[[1907年]]([[明治40年]])に、熊本県下の建造物としては最も早く国の[[重要文化財]]の指定を受けた<ref>熊本日日新聞社編纂・発行『熊本県大百科辞典』、1982年</ref>。 |
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=== 重要文化財(国指定) === |
=== 重要文化財(国指定) === |
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* 六殿神社 楼門 - 別名「釘無しの門」。1907年(明治40年)、熊本県下 |
* 六殿神社 楼門 - 別名「釘無しの門」。1907年(明治40年)、熊本県下の建造物としては最も早く国の指定を受ける。 |
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: [[室町時代]]、[[1549年]]︵天文18年︶[[名和顕忠]]により建立。三間一戸の入母屋造り、茅葺き、 |
: [[室町時代]]、[[1549年]]︵天文18年︶[[名和顕忠]]により建立。三間一戸の入母屋造り、茅葺き、重層の門である。飛騨の番匠甚五左エ門の作とされる<ref>角川日本地名大辞典編纂委員会編﹃角川日本地名大辞典43熊本県﹄[[角川書店]]、1987年</ref>。
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== 境内社 == |
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== 関連事項 == |
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== 外部リンク == |
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2013年2月10日 (日) 01:32時点における版
六殿神社 | |
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所在地 | 熊本市南区富合町木原2378 |
位置 | 北緯32度42分02秒 東経130度42分32秒 / 北緯32.700671度 東経130.70875度 |
主祭神 |
阿蘇大明神 天照皇大神 埴安姫神 諏訪大明神 氷川大明神 稲荷大明神 |
社格等 | 郷社 |
創建 | 1178年(治承2年) |
別名 | 木原六殿宮 |
例祭 | 10月9日 |
由緒
1178年︵治承2年︶、平清盛の子である平重盛が、自身の祈願所であった武蔵国の六孫王大権現を勧請したことにはじまる。また、木原山に城を築いた源為朝︵鎮西八郎︶の創建という説、さらには、平安末期に当地を治めていた木原氏の創建という説もある[1]。
六殿神社の楼門は、1907年︵明治40年︶に、熊本県下の建造物としては最も早く国の重要文化財の指定を受けた[2]。
祭神
例祭日
文化財
重要文化財(国指定)
●六殿神社 楼門 - 別名﹁釘無しの門﹂。1907年︵明治40年︶、熊本県下の建造物としては最も早く国の指定を受ける。
室町時代、1549年︵天文18年︶名和顕忠により建立。三間一戸の入母屋造り、茅葺き、重層の門である。飛騨の番匠甚五左エ門の作とされる[3]。
境内社
- 宿大神 - 子授け安産母性の守り神
- 菅原神社 - 学問の神、菅原道真公
- 鉾神社 - 医療の神にして、疫病退散病気平癒
- 中王宮 - 創建以来初代より第3代までの大宮司を祀る
- 代官宮 - 伊津野、佐藤姓の祖神を祀る
- 大王宮 - 創建の平重盛命、父平清盛命を祀る
出典
- ^ 鈴木喬『熊本の神社と寺院』熊本日日新聞社、1980年、82-83頁
- ^ 熊本日日新聞社編纂・発行『熊本県大百科辞典』、1982年
- ^ 角川日本地名大辞典編纂委員会編『角川日本地名大辞典43 熊本県』角川書店、1987年
参考文献
- 下益城郡教育支会編『下益城郡誌』1922年(名著出版復刻、1973年)
- 富合村誌編さん委員会編さん『富合村誌』下益城郡富合村、1971年、829-834頁
- 日本歴史地名大系44『熊本県の地名』平凡社、1985年、617頁