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ハニヤス

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ハニヤス
時代 神代
『日本書紀』
埴安神[1]
よみ はにやすのかみ[1]
異称2 埴山姫[2]
よみ2 はにやまひめ[2]
異称3 埴山姫神[3]
よみ3 はにやまひめのかみ[3]
『古事記』
波邇夜須
よみ はにやす
異称1 波邇夜須毘古神[4]
よみ1 はにやすびこのかみ[4]
異称2 波邇夜須毘売神[5]
よみ2 はにやすびめのかみ[5]
先代旧事本紀
埴安彦[6]
よみ はにやすびこ[6]
異称1 埴安姫[7]
よみ1 はにやすひめ[7]
備考 巻一陰陽本紀
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イザナミの病と死によって生まれた神々(『古事記』に基づく) SVGで表示(対応ブラウザのみ)

便

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便便便



便便


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[ 1][ 2]便1

古事記の原文[編集]

  • 以下の原文に頻出する「以音」という注意書きは、「この部分だけは文字そのものに意味がある漢文ではなく、日本語の音に漢字にあてはめただけで、文字そのものの意味は関係ない」ということ。たとえば「屎成神」は、「糞が神に成った」という意味であり、「屎」「成」「神」はそれぞれ漢字元来の意味を保持している。これに対して、「波邇夜須」は日本語固有名詞の「ハニヤス」の音に漢字をあてはめただけであり、(海の)「波」、(暗い)「夜」などの字義は失われている。
国史大系第7巻)『古事記』上巻
原文[18] 訓み下し文[19](一部を除き注釈を割愛)
次生火之夜藝ヒノヤギハヤノカミ夜藝二字以 次に火之夜芸速男神ひのやぎはやをのかみを生みき。
亦名謂火之ヒノカゝ毘古ビコノカミ 亦の名は火之炫毘古神ひのかかびこのかみと謂ひ、
亦名謂火之迦具ヒノカグツチノカミ迦具二字以 亦の名は火之迦具土神ひのかぐつちのかみと謂ふ。
此子 此の子を生みしに因りて、
美蕃登ミホト此三字以炙而病臥在。 みほとをかえて病みして在り。
多具理タグリ此四字以神。 たぐりに成りし神の
金山カナヤマ毘古ビコノカミ金云迦那、下效 名は金山毘古神かなやまびこのかみ
金山カナヤマ毘賣ビメノカミ 次に、金山毘売神かなやまびめのかみ
次於クソ成神名波邇夜須毘古ハニヤスビコノカミ此神名以 次に、くそに成りし神の名は、波邇夜須毘古神はにやすびこのかみ
波邇夜須毘賣ハニヤスビメノカミ此神名亦以音。 次に、波邇夜須毘売神はにやすびめのかみ
次於尿ユマリ成神名彌都波能賣ミツハノメノカミ 次に、尿ゆまりに成りし神の名は、弥都波能売神みつはのめのかみ
和久產巢日ワクムスビノカミ 次に、和久産巣日神わくむすひのかみ
此神之子、謂トヨ宇氣毘賣トヨウケビメノカミ宇以下四字以 此の神の子は、豊宇気毘売神とようけびめのかみと謂ふ。
故、伊邪那美イザナミノカミ者。 かれ伊邪那美神いざなみのかみは、
火神 火の神を生みしに因りて、
神避カムサリ坐也。 遂に神避りしき。
天鳥船アメノトリフネ豐宇氣毘賣神トヨウケビメノカミアハセテ八神ヤハシラ 天鳥船より豊宇気毘売神に至るまでは、あはせて八はしらの神ぞ。
(現代語訳)
(イザナミは)次に火之夜芸速男神ひのやぎはやをのかみを産んだ。
その名は別名火之炫毘古神ひのかかびこのかみともいい、
また別名火之迦具土神ひのかぐつちのかみともいう。
この子(火の神)を産んだことが原因で、
陰部を火傷して病に伏せってしまった。
(伏せている間に、苦しんで)嘔吐すると、その吐瀉物が神になった。
その名を金山毘古神かなやまびこのかみ
次に(吐瀉物から)金山毘売神かなやまびめのかみが生まれた。
次に、(苦しんで)大便を漏らすと、それが波邇夜須毘古神はにやすびこのかみという名の神になった。
次に(大便から)波邇夜須毘売神はにやすびめのかみが生まれた。
次に、(苦しんで)小便を漏らすと、それが弥都波能売神みつはのめのかみという名の神になった。
次に、和久産巣日神わくむすひのかみが生まれた。
この神の子どもは豊宇気毘売神とようけびめのかみという。
こうして伊邪那美神いざなみのかみ
火の神を産んだことが原因で
とうとう神去って(死んで)しまった。
(原注)天鳥船から豊宇気毘売神までを数えると、全文で8神となる。

8(1)(2)(3)(4)(5)(6)(7)(8)(9)(10)10[20]

18[20]2[20]

[21][20]

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[22][23][22][23]

[24][24][25][26][24]

10[24]411[24]

[27]11[5][ 3][29]便[29]

巻一「神代紀・上」第五段の一部抜粋[編集]

第二の一書[編集]

国史大系第1巻)『日本書紀』巻一(神代紀・上)第五段・第二の一書
原文[30] 訓み下し文[31]
次生火神軻遇突智、 次に火の神軻遇突智かぐつちを生む。
時伊弉冉尊爲軻遇突智所焦而終矣。 時に伊弉冉いざなみのみこと軻遇突智かぐつちが為に、かれてかむさりましぬ。
其且終之間[※ 1] かむさりまさむとする間に、
臥生土神埴山姫及水神罔象女。 臥しながら土神つちのかみ埴山姫はにやまひめ及び水神みづのかみ罔象女みつはのめを生む。
即軻遇突智娶埴山姬 即ち軻遇突智、埴山姫きて、[※ 2]
生稚産靈、 稚産霊わくむすひを生む。
此神頭上生蚕與桑、 此の神のかしらの上に、蚕と桑と生れり。
臍中生五穀。 ほその中に五穀いつくさのたなつものれり。
罔象、此云。 罔象、此れをば美都波みつはと云ふ。
(現代語訳)
(イザナミは)次に火の神軻遇突智かぐつちを生んだ。
その時に伊弉冉いざなみは、軻遇突智かぐつちのために火傷を負い、死んだ。
その死のうという時に
横たわったまま、土の神埴山姫はにやまひめと水の神罔象女みつはのめを生んだ。
軻遇突智かぐつち埴山姫はにやまひめを娶って、
稚産霊わくむすひを生んだ。
この神(稚産霊)の頭上に、カイコクワ(カイコの餌)が生じた。
ヘソの中には五穀)が生まれた。
罔象はここではミツハという。
  1. ^ 「かむさる」は、「神としてこの世を去る」ことを意味し、死ぬことを指したもの。「かみさる」に充てる漢字が、第二の一書では「終」、第三の一書では「神退」と「神避」、第五の一書では「神退去」、第六の一書は「化去」となっている。なお『日本書紀』のメインストーリーである「本書」では、イザナミが火の神を生む逸話はなく、イザナミは死なない。[32]
  2. ^ イザナギとイザナミによる神生み以降で、男女として交接するのはカグツチとハニヤマヒメが最初となる[33]。平田篤胤はカグツチとハニヤマヒメが同母兄妹であることを指摘し、こうした近親相姦は人間世界では禁忌であるが、神の世界については「人智を以て料知へき事にはあらず」とした[33]

第三の一書[編集]

国史大系第1巻)『日本書紀』巻一(神代紀・上)第五段・第三の一書
原文[30] 訓み下し文[31]
伊弉冉尊生火産靈時、 伊弉冉いざなみのみこと火産霊ほむすひを生む時に、
為子所焦而神退矣、 子の為にかれて、かむ退りましぬ。
亦云神避矣。 亦ははく、かむるといふ。
其且神退之時、 其のかむ退りまさむとする時に、
則生水神罔象女及土神埴山姫 則ち水神みづのかみ罔象女みつはのめ、及び土神つちのかみ埴山姫はにやまひめを生み、
又生天吉葛。 天吉葛あまのよさつらを生みたまふ。
天吉葛、 天吉葛あまのよさつら
此云阿摩能與佐圖羅、 これをば阿摩能与佐図羅あまのよさつらと云ふ。
一云與曾豆羅。 あるはく、与曾豆羅よそつらと云ふ。
(現代語訳)
伊弉冉いざなみが、火産霊ほむすひを生む時に、
子のために焼かれ、神退かむさった(死んだ)。
これを神避かむさったともいう。
その神退かむさろう(死なれよう)とするときに、
水の神罔象女みつはのめと土の神埴山姫はにやまひめを生み、
また、天吉葛あまのよさつら[※ 1]をお生みになった。
ここでは天吉葛あまのよさつらは、アマノヨサヅラという。
あるいはヨソヅラという。
  1. ^ 天吉葛(=アマノヨサヅラ=ヨソヅラ)とは、古語で「天」=高天原に存在する、「よい(=便利な)つる植物」を意味し、神格化された植物と考えられている[34][35]。「天」「吉」いずれも美称辞とし、葛類の祖神とみる説もある[36]。具体的には様々な解釈があり、クズのように食材としてのデンプンを採るための植物(農耕が定着する以前には重要な植物だった)とする説[37][35][36]のほか、祝詞(後述)との関連で(水を汲む道具としての)ヒョウタンと解釈する説(忌部正通神代巻口訣』)もある[36]

第四の一書[編集]

国史大系第1巻)『日本書紀』巻一(神代紀・上)第五段・第四の一書
原文[30] 訓み下し文[31]
伊弉冉尊、 伊弉冉いざなみのみこと
且生火神軻遇突智之時、 火神ひのかみ軻遇突智かぐつちを生まむとする時に、
悶熱懊悩、因爲吐。 悶熱あつか懊悩なやむ。りてたぐりす。
此化爲神、名曰金山彦かなやまびこ れ神と化為る。名を金山彦かなやまびこまうす。
次小便、化爲神、名曰罔象女みつはのめ 次に小便ゆまりまる[※ 1]。神と化為る。名を罔象女みつはのめまうす。
次大便、化爲神、名曰埴山媛はにやまびめ 次に大便くそまる。神と化為る。名を埴山媛はにやまびめまうす。
(現代語訳)
伊弉冉いざなみが、
まさに火の神軻遇突智かぐつちを生むという時に、
熱さに苦しんで、そのためにヘドを吐いた。
これが神となった。名付けて金山彦かなやまびこという。
次に小便した。これが神となった。名付けて罔象女みつはのめという。
次に大便した。これが神となった。名付けて埴山媛はにやまひめという。
  1. ^ 「-まる」は「排泄する」の意[38]。『今昔物語集』「此の殿に候ふ女童の大路に屎(くそ)まり居て候」[39]。この語は現代語の「おまる」などに残っている[38]

第六の一書[編集]

国史大系第1巻)『日本書紀』巻一(神代紀・上)第五段・第六の一書
原文[30] 訓み下し文[31]
伊弉諾尊與伊弉冉尊、 伊弉諾尊いざなぎのみこと伊弉冉尊いざなみのみことと、
共生大八洲國。。 共に大八洲国おほやしまのくにを生みたまふ。
然後、伊弉諾尊曰、 しかりして後に、伊弉諾尊いざなぎのみことのたまはく、
「我所生之國、 「我が生める国、
  唯有朝霧而薫滿之哉。」   ただ朝霧のみ有りて、かおり満てるかな」
乃吹撥之氣、化爲神、 すなはち吹きはらいき、神と化為る。
號曰級長戸邊命。 みな級長戸辺命しなとべのみことまうす。
亦曰級長津彦命、是風神也。 亦は級長津彦命しなつひこのみことまうす。これ風神かぜのかみなり。
又飢時生兒、號倉稻魂命。 又、やはしかりし時に生めりしみこを、倉稲魂命うかのみたまのみことまうす。
又、生海神等號少童命、 又、生めりし海神わたつみのかみたちを、少童命わたつみのみことまうす。
山神等號山祇、 山神やまのかみたち山祇やまつみまうす。
水門神等號速秋津日命、 水門みなとのかみたち速秋津日命はやあきつひのみことまうし、
木神等號句句廼馳、 木神きのかみたち句句廼馳くくのちまうし、
土神號埴安神 土神つちのかみ埴安神はにやすのかみまうす。
然後、悉生萬物焉。 然して後に、ふつく万物よろづのものを生む。
至於火神軻遇突智之生也、 火神軻遇突智かぐつちうまるるに至りて、
其母伊弉冉尊、見焦而化去。 其の母伊弉冉尊いざなみのみことかれて化去かむさりましぬ。
(現代語訳)
伊弉諾尊いざなぎのみこと伊弉冉尊いざなみのみこととは、
協力して大八洲国おほやしまのくに(日本列島)を生み出された。
そして伊弉諾尊いざなぎのみことは、
「われらの生んだ国は、
 朝霧のみが立ち込めている。(よい薫りで満ちている。)[注 4]
と言って、ただちにその霧を吹き払うと、その息が神となった。
名付けて級長戸辺命しなとべのみことといい、
または級長津彦命しなつひこのみことという。これは風の神である。
また、飢えた時に生んだ子は倉稲魂命うかのみたまのみことという。
また、生んだ海の神たちを名付けて少童命わたつみのみことといい、
山の神たちを名付けて山祇やまつみといい、
海峡みなとの神たちを名付けて速秋津日命はやあきつひのみことといい、
木の神たちを名付けて句句廼馳くくのちという。
土の神名付けて埴安神はにやすのかみという。
その後にことごとく万物を生んだ。
火の神軻遇突智かぐつちが生まれるに至って、
その母伊弉冉尊いざなみのみことは、身を焼かれてお隠れになった。

日本書紀の記述[編集]


[41][41]

[42]

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[43][44][13][45][46]

[ 5][48][ 6]77[ 7]7姿[48][48][48]

鎮火の祝詞[編集]

鎮火の祝詞(一部抜粋)
原文[43] 訓み下し文[51]
吾名妋命所知食上津國 名妋なせみことの知ろし上津国うはつくに[※ 1]に、
心惡子生置奴止 しき子を生み置きて来ぬ」とりたまひて、
返坐更生子、 返り坐して更にみこを生み給ふ、
水神、[※ 2] 神、
瓠、[※ 3] ひさご
川菜、[※ 4] 川菜かはな
埴山姫はにやまひめ 埴山姫はにやまひめ
四種物生給 くさの物を生み給ひて、
心惡子心荒比曾波[※ 5] 「此の心悪しき子の心あらびなば、
水神、瓠[※ 6]埴山姫、川菜 神、ひさご川菜かはな埴山姫はにやまひめを持ちて、
鎭奉禮止、事教悟給 鎮めまつれ」と事をしさとし給ひき。
(現代語訳)
「私(イザナミ)の愛しい夫(イザナギ)が司る地上の国に、
悪い子(ホムスビ)を生み置いて気がかりだ」と仰せられて
そこ(黄泉比良坂[56])から(現世に[56])引き返して(生き返って[57])更に子をお生みになった。[※ 7]
それは水の神(ミツハノメ)と、
水を汲むためのヒサゴ(ひょうたん)、[※ 8]
それから埴山姫はにやまひめと、
火消しに用いる川菜(ミズゴケ)であった。
(イザナミは)この四種のものをお生みになって、
「この心の悪い子が暴れ(て現世に害を及ぼす[60])ならば、
水の神はひょうたんで水をかけ、 埴山姫はにやまひめは川菜を持って
これを鎮めよ」と教え悟し置かれたことである。
  1. ^ イザナギが治める現世国は「上津国」、イザナミがゆく夜見国(黄泉国)は「下津国」。[52]
  2. ^ この「水の神」は『古事記』のミズハノメ、『日本書紀』のミツハノメである[53]
  3. ^ 「瓠」(ヒサゴ)はひょうたんのこと。『日本書紀』第三の一書には、イザナミは水の神ミツハノメ、土の神ハニヤマヒメを生んだあと、「天吉葛」(あまのよさつら)を生んだとある。『日本書紀』注釈書の『神代巻口訣』には「天吉葛者瓠也」とあり、また飯田武郷も天吉葛は瓠としている。ここではひょうたんは水を汲むための容器として登場する。水を汲むための「柄杓」(ひしゃく)と「瓠」(ひさご)とは源を一とする語とみられる。[53]
  4. ^ 『和名類聚抄』に「水苔加波奈一云河苔」とあり、「川菜」は「水苔」のこと。乾燥させると水をよく吸い、植木を移し替えるときにはその根をミズゴケに水を吸わせたもので覆って保護する。古建築では、鎮火のまじないとして、木に苔の彫刻をする。[53]
  5. ^ 「(荒)比曾波」に「(荒れ)びなば」と訓をふるのは無理がある、との指摘が古くからある。伝本の中には「曾」が「南」の草書のように見えるものもあり、「(荒)比南波」であれば「(荒れ)びなば」と読める。国学者井上頼圀(18369-1914)は、「曾」は「奈」か「勢」の誤記だと推定した。また、「曾」の古義は「勢」であったとする講もあり、「(荒)比勢波」であれば「(荒れ)びせば」と読める。[54]
  6. ^ ここは「乎持氐」(を持ちて)が省略されている。[55]
  7. ^ 古代陵墓の石室・石棺が「黄泉国」であるならば、現世にある陵墓の入口から石室までの通路(坂になっている)部分は黄泉比良坂に相当すると考えられる[58]
  8. ^ 飯田武郷は、ヒョウタンが水に浮き、水に漬けても腐らず、水を汲むのに適しているのはイザナミの神力によるものだと考えられた、と指摘した[59]

[61][ 8]22[61][57][44][62]

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[55][45][55][55]

[59][59]

1883-1969[63][63][ 9][63][63][63][44][44][63][65][66]

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1730-1801[8][29][8][4][67][68][69]

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9[67][70]10[71][70][67][72][73][ 10]

[72][53][67][70][72][53][73]
(例)『万葉集』巻六、932番歌(詠み手:車持千年
白波之(しらなみの) 千重来縁流(千重に来よる) 住吉能(すみのえの) 岸乃黄土粉(岸のハニフに) 二寶比天由香名(にほひて行かな)
 大意:白波が何重にもおしよせる住之江(大阪市住吉区)の岸の黄色い土で(衣を)染めて行きたい。
(例)『万葉集』巻七、1146番歌(詠み人知らず)
目頬敷(めづらしき) 人乎吾家尓(ひとをわぎへに) 住吉之(すみのえの) 岸乃黄土(きしのハニフを) 将見因毛欲得(みむよしもがも)
 大意:愛しい女と我が家で暮らし、あの有名な住之江の岸の黄色い土を眺めたい。

橿使[75]

[73][70][53]

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便便[69][76][77]

1776-1843[8][71][71][71][71]

[71][71]

[78][ 11]

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[8][70][8][8]

[67][69]

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[70][83]

便[29]

1828-1900[83][70]

95[70][83][83][13][8]
国史大系第1巻)『日本書紀』巻三(神武天皇即位前紀)戊午年九月
原文[84] 訓み下し文[85]
夢有天神訓之曰 みゆめ天神あまつかみしてをしへまつりてのたまはく、
「宜取天香山社中土香山、 天香山あまのかぐやまやしろの中のはにを取りて、
 以造天平瓮八十枚幷造厳瓮[※ 1]  天平瓮あまのひらか八十枚やそちを造り、あはせて厳瓮いつへを造りて、
 而敬祭天神地祇、  天神あまつやしろ地祇くにつやしろゐやまひ祭れ。
 亦為厳呪詛。  また厳呪詛いつのかしりをせよ。
 如此、則虜自平伏。」  如此かくのごとくせば、あたおのづからにしたがひなむ」
(現代語訳)
夢に天神があらわれて教えて言うには
天香具山の神社の境内のはにをとって、
それで天平瓮あまのひらか(皿上の神器[87])80枚と厳瓮いつへ(神酒を容れる瓶状の神器[87])を造り、
天神地祇を敬い祭れ。
また、厳重に潔斎をして呪詛祈祷をせよ。
そうすれば、敵はおのずから平定されるだろう。」
  1. ^ 「天平瓮」はものを盛る皿状の器、「厳瓮」は液体を容れる瓶・碗状の器。[86]

80
国史大系第1巻)『日本書紀』巻三(神武天皇即位前紀)己未年二月
原文[84] 訓み下し文[85]
天皇、以前年秋九月、 天皇、さきの年の秋九月ながつきを以て、
潜取天香山之埴土、 ひそか天香山埴土はにつちを取りて、
以造八十平瓮、 八十やその平瓮を造りて、
躬自齋戒祭諸神、 躬自みづか齋戒ものいみして諸神もろもろのかみたちを祭りたまふ。
遂得安定區宇、 つひ区宇あめのした安定しづむること得たまふ。
故號取土之處、曰埴安 かれはにつち取りしところなづけて、埴安はにやすふ。
(現代語訳)
天皇は前年の秋の九月に
隠密に天香山の埴土を採り、
それで八十平瓮をつくり、
自ら潔斎して神々を祀った。
そして今、遂に天下を平定した。
そこで、その土を採った場所を埴安はにやすというのである。

[88]

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10[20]2[20][21][ 12]

[70]

[70][33]2[89]

[70]#

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[90][90][72][91]

[90][91][92][20][90][72][91]

[90][91][90]

[90][90][90]

[72][72][91]

[67][ 13][67]

尿[]


1883-1969尿[95][95]1922-2019西[ 14]尿[96]1961-[97][ 15]

便便尿[99][8][29]

便[99]尿[ 16]尿[99]尿[96]

[99]#[ 17][101]

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[102]

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[86][76][86][77][86][86][86]

[86]

便退[33]

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[33][33]尿尿[33][103]

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[86][86][86]

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1812-1863[70][69][70][4][67]

[69][70]

[86][69]

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[86][76][77]

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[13]

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[104]

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2015西28612924[105]12[105]

129100[105][105]





橿[13] - 

[13][77][76] - 

[13][72] - 

[13][72] - 

[13] - 

[13] - 

[13][77][76]

[76][77] - 



西[106]



[76][107] - 

[108][72] - 

[108]

[77]



 - [12]



 - [10]

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 - 8[109][109][109][109]

 - [109][ 18][110][ 19]1961-[110][ 20]

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1943-[112]

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[112][ 21]

[105] - 3[105]101719[105]

[105] - 632[105]

[105] - 43[105]

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_()[113] - [113]

 - [113]

[114][114] - [114][114]

[114]

[115] - [115]

[115] - 

[115] - 湿

 ()[115] - 

[115] - 

[115] - [115]

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[]

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(一)^ 便[14][15][16]

(二)^ [17]

(三)^ [28]

(四)^ [40]

(五)^ [47]

(六)^ [49]

(七)^ 777[50]

(八)^ 1000

(九)^ [64]

(十)^  [74]

(11)^ [79][80][81][82] 1946-2便[82]

(12)^ 22[20][21]

(13)^ [93]109[93][94]

(14)^ 2[96]

(15)^ [98]

(16)^ 1871-1939尿[99]

(17)^ [100]

(18)^ [87]

(19)^ [111]

(20)^ [111]

(21)^ 510[112]

[]



(一)^ abcp.306

(二)^ abcp.306

(三)^ abcp.306

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The Quest for Hisory201020142ISBN 978-4-86255-068-2