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「兵粮奉行」の版間の差分

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'''兵粮奉行'''(ひょうろうぶぎょう'''小荷駄奉行'''(こにだぶぎょう))は、[[日本]]の[[戦国時代_(日本)|戦国時代]]において行軍・戦闘中の[[兵糧]]([[小荷駄]])[[輸送]]を担当する[[奉行]]のこと。


''''''''''''[[]][[_()|]][[]][[]][[]][[]]''''''


== 概要 ==


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優れた馬などは最前線にて用いられたために、小荷駄隊は[[足軽]]及び[[農村]]から[[徴発]]された[[人夫]]([[陣夫]])が[[駄馬]]や[[荷車]]に兵糧などを載せて引率するという機動性・戦闘力いずれも劣る部隊であり、なおかつ軍の後方に位置しながらも敵軍に襲われる可能性が高い部隊であった。長距離の遠征になればなるほど、小荷駄隊の重要性が増加する一方、その襲撃を受ける可能性とその損失による軍隊への打撃は大きくなった。そのため、[[戦国大名]]家の職制では、[[武者奉行]]と同格の戦闘経験が豊富な熟練の老臣が任じられるケースが多く、直接戦闘に参加して武功を上げるよりも輸送する小荷駄を敵軍から防衛する事が求められた。


== 変遷 ==

少なくとも安土時代の[[織田信長]]が設置した14ある[[奉行]](臨時職)の中には小荷駄奉行は見られないが、薪奉行や軍奉行は見られる<ref>川口謙二・ 池田孝・ 池田正弘『東京美術選書33 江戸時代奉行職事典』(東京美術、1983年) p.13.</ref> 。桃山時代の[[豊臣秀吉]]が設置した14ある奉行職には、小荷駄奉行が見られる<ref>川口謙二・ 池田孝・ 池田正弘『東京美術選書33 江戸時代奉行職事典』(東京美術、1983年)pp.13 - 14.</ref>。ただし、「兵粮奉行」と「小荷駄奉行」は区別されており、この時期では同一視されてはいない<ref>川口謙二・ 池田孝・ 池田正弘『東京美術選書33 江戸時代奉行職事典』(東京美術、1983年) p.14.</ref>。時代は下って、近代期の[[秩父事件]]の困民党は[[一揆]]側でありながら近代的軍制・部隊編成を行ったが、やはり「兵粮方」と「小荷駄方」は区別しており、同一視はしていない<ref>ツルシカズヒコ『秩父事件再発見 民主主義の源流を歩く』(新日本出版社、2018年)p.51.</ref>。



[[]][[]]20[[駿]][[]][[]][[]][[]]調西[[]][[]]

[[文禄・慶長の役|文禄の役]]([[1592年|1592]]-[[1593年]])では[[帖佐宗光]]が兵糧奉行を担当。


[[関ヶ原合戦]]([[1600年]])では、東軍は徳川家の[[代官頭]]である伊奈忠次・[[彦坂元正]]・大久保長安が小荷駄奉行となった。


[[島原の乱]]([[1637年|1637]]-[[1638年]])では[[一揆]]側の[[森宗意軒]]が兵糧奉行を担当(前述、近代期の秩父事件においても一揆側は兵糧奉行を取り決めている)。


[[鳥羽・伏見の戦い]]([[1867年]])では倒幕側の兵糧奉行として[[春木義彰]]が任じられる。


[[北越戦争]]([[1868年]])、[[尾張藩]]藩士馬場守信(神主[[氷室長翁]]の門人)が担当。


== 脚注 ==

{{脚注ヘルプ}}

{{Reflist}}


== 関連項目 ==

* [[後方支援]] - [[酒保商人]]、[[補給処]]

* [[兵科]] - [[輜重]]

* [[小荷駄隊]]


{{デフォルトソート:ひようろうふきよう}}


[[Category:戦国時代 (日本)]]

[[Category:兵站]]


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14[1] 14[2][3][4]

20駿調西

1592-1593

1600

1637-1638

1867

1868

脚注[編集]

  1. ^ 川口謙二・ 池田孝・ 池田正弘『東京美術選書33 江戸時代奉行職事典』(東京美術、1983年) p.13.
  2. ^ 川口謙二・ 池田孝・ 池田正弘『東京美術選書33 江戸時代奉行職事典』(東京美術、1983年)pp.13 - 14.
  3. ^ 川口謙二・ 池田孝・ 池田正弘『東京美術選書33 江戸時代奉行職事典』(東京美術、1983年) p.14.
  4. ^ ツルシカズヒコ『秩父事件再発見 民主主義の源流を歩く』(新日本出版社、2018年)p.51.

関連項目[編集]