北畠具行
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北畠 具行︵きたばたけ ともゆき、︵1290年︶-正慶元年/元弘2年6月19日︵1332年︶は、鎌倉時代末期の公卿。北畠師行の子で、村上源氏北畠家の庶流にあたる。
北畠家初代の北畠雅家の孫にあたり、北畠宗家4代目の北畠親房は具行の従兄弟違︵従兄弟の子供︶にあたる。
親房とともに後醍醐天皇に仕えて、従二位権中納言に昇進する。和歌にも優れており、﹁君の恩寵も深かりき﹂と評される程の側近となった。また、親房が世良親王急死の責任を取って出家すると、宗家は幼少の顕家が継いだために、具行はその後見人となった。
1331年、後醍醐天皇が倒幕計画を立てると、具行も主要メンバーの一人となる。だが、挙兵は失敗して、具行も鎌倉幕府軍に捕えられてしまった︵元弘の変︶。翌年、京極高氏︵佐々木道誉︶に護送されて鎌倉に護送される途中、幕府の命によって近江国柏原︵現在の滋賀県米原市︶で斬られた。処刑前に具行は高氏の丁重な扱いに感謝の意を述べ、普段はばさらと呼ばれていた高氏も具行との別れを惜しんだと言う。