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'''吉野 裕之'''(よしの ひろゆき、[[1961年]][[8月1日]] - )は[[プログラムオフィサー]]、[[歌人]]、[[俳人]]。 |
'''吉野 裕之'''︵よしの ひろゆき、[[1961年]][[8月1日]] - ︶は、日本の[[プログラムオフィサー]]、[[歌人]]、[[俳人]]。[[号 (称号)|堂号]]は空蝉庵<ref name="a">{{cite web|url = http://hiro1961.art.coocan.jp/profile.html|title = profile
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== 経歴 == |
== 経歴 == |
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[[神奈川県]][[横浜市]]生まれ。[[神奈川県立横浜緑 |
[[神奈川県]][[横浜市]][[根岸町 (横浜市)|根岸]]生まれ<ref>﹁[http://hiro1961.art.coocan.jp/hyoron/utamakura.html 横浜・根岸-ふるさとという場所]﹂﹃神奈川県歌人会会報﹄第34号、2008年9月。</ref>。[[横浜国立大学教育学部附属横浜小学校]]、[[横浜国立大学教育学部附属横浜中学校|同中学校]]、[[神奈川県立横浜緑ケ丘高等学校]]を経て、[[九州大学大学院農学研究院・大学院生物資源環境科学府・農学部|九州大学農学部]]卒業、同大学院農学研究科修士課程修了。大学、大学院では[[木材化学]]を専攻。
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長谷工総合研究所副主任研究員などを経て、[[ハウジングアンドコミュニティ財団]]チーフ・プログラム・オフィサー。この間、[[住まい・まちづくり活動推進協議会]]事務局長、住まい・まちづくり担い手支援機構理事などを兼務。[[NPO]]、[[市民活動]]による[[まちづくり]]の実務と研究を行う。2010年より[[内閣官房]][[%E5%9C%B0%E6%96%B9%E5%89%B5%E7%94%9F#地域活性化伝道師|地域活性化伝道師]]<ref>{{Cite web|和書|url = https://www.kantei.go.jp/jp/singi/tiiki/29dendoushi.html|title = 地域活性化伝道師一覧|publisher = 内閣府地方創生推進事務局|accessdate = 2018-2-26}}</ref>。2020年、都市住宅学会賞論文賞受賞<ref>{{Cite web|和書|url = http://www.uhs.gr.jp/2020/2020_gakkaisho.pdf|title = 2020 年度都市住宅学会賞審査選考経過報告|publisher = 都市住宅学会|accessdate = 2021-1-12}}</ref>。
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短歌を[[加藤克巳]]に師事、[[光栄堯夫]]に兄事。1986年、﹁桜狩﹂に入会、1988年、﹁個性﹂に入会︵2004年終刊︶。2002年、[[今井恵子]]、[[高橋みずほ|髙橋みずほ]]とともに、短歌ユニット﹇BLEND﹈を始動、雑誌﹇BLEND﹈を第10号まで発行︵2007年終刊︶。1987年、[[角川短歌賞]]候補、1990年、1991年、[[歌壇賞]]候補。
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短歌を[[加藤克巳]]に師事、[[光栄堯夫]]に兄事。1986年、﹁桜狩﹂に入会︵2011年退会︶、1988年、﹁個性﹂に入会︵2004年終刊︶。2002年、今井恵子、髙橋みずほとともに、短歌ユニット﹇BLEND﹈を始動、雑誌﹇BLEND﹈を第10号まで発行︵2007年終刊︶。1987年、[[角川短歌賞]]候補、1990年、1991年、[[歌壇賞]]候補。
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俳句を[[今村俊三]]、[[岸田稚魚]]に師事。1985年、﹁桃滴舎﹂に入会︵1991年終刊︶、1986年、﹁琅玕﹂︵玕‥王偏に干︶に入会︵1991年退会︶。1991年、[[岡井省二]]、[[岡本高明]]の誘いを受け、﹁槐﹂創刊に参加。翌年、第1回槐賞受賞。同世代の同門に、[[山西雅子]]、[[加藤かな文]]、小山森生などがいる。2001年、﹁槐﹂退会。
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2010年8月、プロデュースした[[短歌]]と[[俳句]]の同人誌「ことばの楽園」が、2012年11月、同じく俳句の同人誌「豆句集 みつまめ」が創刊される。 |
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法政大学ではコミュニティアートを、フェリス女学院大学では俳句の創作を講じている。 |
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[[法政大学]]では[[コミュニティアート]]を、[[フェリス女学院大学]]では短歌・俳句の創作を、[[東京家政大学]]では社会と文化、芸術論を講じている<ref name="a" />。[[横浜歌人会]]代表委員<ref>{{Cite web|和書|url = http://yokohama-kk.art.coocan.jp/soshiki/kaiin-yakuin.html|title = 会員&役員|publisher = 横浜歌人会|accessdate = 2016-4-14 |
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}}</ref>。また、[[2013年]]1月より12月まで、砂子屋書房のサイトで「一首鑑賞*日々のクオリア」を連載<ref>{{Cite web|和書|url = https://sunagoya.com/tanka/?author=12|title = 一首鑑賞*日々のクオリア|publisher = 砂子屋書房|accessdate = 2018-2-11}}</ref>。 |
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== テーマ・作風 == |
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活動のテーマは、﹁現代と[[都市]]とぼくと﹂における3つの﹁と﹂の意味を探ること<ref>{{cite web|url = http://hiro1961.art.coocan.jp/|title = Made in Y|publisher=Made in Y|accessdate = 2016-8-30}}</ref>。また、﹁短詩型と都市は双子の兄弟ではないか。数年前、ふと、このことに思い至った。いずれも身体の奥に潜んでいたなにかが、[[時間]]を可視化しながら形=[[空間]]になったものではないか。複数の領域での試みが、自分のなかで統一された﹂と、語っている<ref>﹁あとがき﹂﹃セレクション歌人33吉野裕之集﹄ 邑書林、2008年。</ref>。
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短歌は[[現代仮名遣い]]で、俳句は[[歴史的仮名遣い]]で制作している。ライトヴァースとも見えるが、ただライトであるのではなく、一見抵抗感のない若者風の語法の裏側に、近代短歌の核心となってきた〈私〉が確かに存在しており<ref>{{Cite web|和書|url = http://petalismos.net/tanka/tanka-backnumber/tanka179.html|title=吉野裕之 または、縮小する世界で我に返る歌|publisher = 東郷雄二:今週の短歌|accessdate = 2016-10-11}}</ref>、都市に住む〈私〉の目に映ずる風景を、「すでにあるもの」として描くのではなく、「立ち現れるもの」として微細に描いていく<ref>{{Cite web|和書|url = http://petalismos.net/tanka/kanran/kanran23.html|title = 吉野裕之『ざわめく卵』|publisher = 東郷雄二:橄欖追放 |
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|accessdate = 2016-10-11}}</ref>。 |
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また、短歌と俳句の両者の実作者であることを活かし、一連すべての短歌に俳句を詞書とした作品の制作も試みている<ref>たとえば、「忘れてしまう」15首(「たべるのがおそい」vol.2(2016年10月))、「ラフレシアみたいな声」12首(「短歌」2018年2月号)、「雲を見たんだ」13首(「短歌往来」2019年6月号)、「長い長い時間」12首(「短歌」2021年4月号)など。</ref>。 |
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== 著書 == |
== 著書 == |
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=== 単著 === |
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* 歌集『空間和音』 砂子屋書房、1991年 |
* 歌集『空間和音』 砂子屋書房、1991年 |
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* 歌集『ざわめく卵』 砂子屋書房、2007年 |
* 歌集『ざわめく卵』 砂子屋書房、2007年 |
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* 『[[セレクション歌人]] |
* 『[[セレクション歌人]] 吉野裕之集』 邑書林、2008年 |
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* 歌集『博物学者』 北冬舎、2010年 |
* 歌集『博物学者』 北冬舎、2010年 |
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* 歌集『Yの森』 [[沖積舎]]、2011年 |
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* 歌集『砂丘の魚』 沖積舎、2015年 |
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* 『現代短歌文庫 吉野裕之歌集』 砂子屋書房、2022年 |
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=== 共著 === |
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=== アンソロジー === |
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* 『現代の第一歌集 次代の群像』 ながらみ書房、1993年 |
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* 『現代短歌の全景 男たちのうた』 [[河出書房新社]]、1995年 |
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* 『現代短歌一〇〇人二〇首』 邑書林、2001年 |
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* 『2004年の桜/725首』 北冬舎、2004年 |
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* 『アンソロジー横浜2009』 [[六花書林]]、2009年 |
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== 脚注 == |
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== 外部リンク == |
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* [http://hiro1961.art.coocan.jp/ Made in Y] |
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* [http://www.hc-zaidan.or.jp/ ハウジングアンドコミュニティ財団] |
* [http://www.hc-zaidan.or.jp/ ハウジングアンドコミュニティ財団] |
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* [http://petalismos.net/tanka/tanka-backnumber/tanka179.html 東郷雄二「今週の短歌 179:2006年11月 第3週 吉野裕之 または、縮小する世界で我に返る歌」](吉野裕之作品書評) |
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⚫ | * [http://petalismos.net/tanka/kanran/kanran23.html 東郷雄二「橄欖追放 第23回 吉野裕之『ざわめく卵』」](同上) |
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* [http://petalismos.net/tanka/kanran/kanran179.html 東郷雄二「橄欖追放 第179回 吉野裕之『砂丘の魚』」](同上) |
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* [https://note.com/awano/n/nfc95066798f0 阿波野巧也「歌集を読む・その7 - 吉野裕之『砂丘の魚』」](同上) |
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⚫ | * [https://bokutachi.hatenadiary.jp/entries/2009/04/22 現代歌人ファイルその29・吉野裕之](同上) |
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経歴[編集]
神奈川県横浜市根岸生まれ[2]。横浜国立大学教育学部附属横浜小学校、同中学校、神奈川県立横浜緑ケ丘高等学校を経て、九州大学農学部卒業、同大学院農学研究科修士課程修了。大学、大学院では木材化学を専攻。 長谷工総合研究所副主任研究員などを経て、ハウジングアンドコミュニティ財団チーフ・プログラム・オフィサー。この間、住まい・まちづくり活動推進協議会事務局長、住まい・まちづくり担い手支援機構理事などを兼務。NPO、市民活動によるまちづくりの実務と研究を行う。2010年より内閣官房地域活性化伝道師[3]。2020年、都市住宅学会賞論文賞受賞[4]。 短歌を加藤克巳に師事、光栄堯夫に兄事。1986年、﹁桜狩﹂に入会︵2011年退会︶、1988年、﹁個性﹂に入会︵2004年終刊︶。2002年、今井恵子、髙橋みずほとともに、短歌ユニット﹇BLEND﹈を始動、雑誌﹇BLEND﹈を第10号まで発行︵2007年終刊︶。1987年、角川短歌賞候補、1990年、1991年、歌壇賞候補。 俳句を今村俊三、岸田稚魚に師事。1985年、﹁桃滴舎﹂に入会︵1991年終刊︶、1986年、﹁琅玕﹂︵玕‥王偏に干︶に入会︵1991年退会︶。1991年、岡井省二、岡本高明の誘いを受け、﹁槐﹂創刊に参加。翌年、第1回槐賞受賞。同世代の同門に、山西雅子、加藤かな文、小山森生などがいる。2001年、﹁槐﹂退会。 2010年8月、プロデュースした短歌と俳句の同人誌﹁ことばの楽園﹂が、2012年11月、同じく俳句の同人誌﹁豆句集 みつまめ﹂が創刊される。 法政大学ではコミュニティアートを、フェリス女学院大学では短歌・俳句の創作を、東京家政大学では社会と文化、芸術論を講じている[1]。横浜歌人会代表委員[5]。また、2013年1月より12月まで、砂子屋書房のサイトで﹁一首鑑賞*日々のクオリア﹂を連載[6]。テーマ・作風[編集]
活動のテーマは、﹁現代と都市とぼくと﹂における3つの﹁と﹂の意味を探ること[7]。また、﹁短詩型と都市は双子の兄弟ではないか。数年前、ふと、このことに思い至った。いずれも身体の奥に潜んでいたなにかが、時間を可視化しながら形=空間になったものではないか。複数の領域での試みが、自分のなかで統一された﹂と、語っている[8]。 短歌は現代仮名遣いで、俳句は歴史的仮名遣いで制作している。ライトヴァースとも見えるが、ただライトであるのではなく、一見抵抗感のない若者風の語法の裏側に、近代短歌の核心となってきた︿私﹀が確かに存在しており[9]、都市に住む︿私﹀の目に映ずる風景を、﹁すでにあるもの﹂として描くのではなく、﹁立ち現れるもの﹂として微細に描いていく[10]。 また、短歌と俳句の両者の実作者であることを活かし、一連すべての短歌に俳句を詞書とした作品の制作も試みている[11]。著書[編集]
単著[編集]
- 歌集『空間和音』 砂子屋書房、1991年
- 歌集『ざわめく卵』 砂子屋書房、2007年
- 『セレクション歌人 吉野裕之集』 邑書林、2008年
- 歌集『博物学者』 北冬舎、2010年
- 歌集『Yの森』 沖積舎、2011年
- 歌集『砂丘の魚』 沖積舎、2015年
- 『現代短歌文庫 吉野裕之歌集』 砂子屋書房、2022年
共著[編集]
- 『パブリック・アートは幸せか』 公人の友社、1994年
- 『横浜歌枕集成・新版』 短歌新聞社、2000年
- 『岡井省二の世界 - 霊性と智慧』 北宋社、2001年
- 『加藤克巳作品研究』 風心社、2003年
アンソロジー[編集]
- 『現代の第一歌集 次代の群像』 ながらみ書房、1993年
- 『現代短歌の全景 男たちのうた』 河出書房新社、1995年
- 『現代短歌一〇〇人二〇首』 邑書林、2001年
- 『2004年の桜/725首』 北冬舎、2004年
- 『アンソロジー横浜2009』 六花書林、2009年