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1857年 [[長野県]]埴科郡松代町(現・[[長野市]][[松代町 (長野県)|松代町]]松代)に[[松代藩|松代藩士]]横田数馬の次女として生まれる。 |
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1857年 [[信濃国]][[埴科郡]]松代(現・[[長野市]][[松代町 (長野県)|松代町]]松代)に[[松代藩|松代藩士]]横田数馬の次女として生まれる。 |
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[[1873年]] 松代町から英を含む16人が[[富岡製糸場]]へ伝習工女として入場する。 |
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[[1873年]] 松代町から英を含む16人が[[富岡製糸場]]へ伝習工女として入場する。 |
2014年5月21日 (水) 09:04時点における版
明治時代の富岡製糸場
生家(旧横田家住宅)
人物・逸話
●英は17歳で故郷を離れ富岡に着任するが、工女募集責任者である父親横田数馬の影響をうけ、国益と家名のために自ら進んで工女となっている。
●﹃富岡日記﹄の前半は伝習生として、後半は技術者としての記録であるが、どちらも国家的視点から展開されている。
●横田家の先祖は奥会津横田の住人山内大学と伝えられ、江戸時代には信州松代藩士として150石の禄を受けていた中級武士であった。英の実弟である横田秀雄(横田正俊の父)は大審院長、同じく小松謙次郎は鉄道大臣を務めた。
●﹃富岡日記﹄や﹃我母乃躾﹄に示されている英の母親横田亀代子︵きよこ︶の躾は、儒教精神に裏付けられた独自の教えであり、学習教材に広く使われている。
●長野市松代町の生家は﹁旧横田家住宅﹂として国の重要文化財に指定され、保存、公開されている。
●横田秀雄と小松謙次郎は英の弟
●真田志んは英の姪
●富岡製糸場の工女姿のキャラクター﹁おエイちゃん﹂︵現:富岡市イメージキャラクター﹁お富ちゃん﹂︶のモデルとなった。
参考文献
●和田英﹃富岡日記―定﹄︵創樹選書、1976年︶
●和田英﹃我母之躾﹄︵信濃教育会出版部、1992年︶
外部リンク
●富岡日記